「数式エディタを知らない?」彼女は鋭く指摘した。

 Illustratorで数式を書きたいんだけど、と尋ねた私は――うっかりしていた。

 私はこれでもWord使いということになっている。フィールドコードが読めるとか、Wordの吐くHTMLをMS HTML FilterとHTML Tidyのあれこれの組み合わせであれこれの程度にまともにしてしまうとか、そのくらいのWord使いだった。となると、数式エディタのことは当然知っているべきだし、実際知っているし、彼女が「数式エディタ」と言った瞬間に全部わかってしまった。私が間抜けだったのだ。

 私はあわてて言った。数式エディタからコピーして貼る?

 「ほかに方法がなければね。ただし、なにしろ出来が出来だから、ズレてることもある」

 彼女は実演してみせた。数式エディタを単体で起動し、定積分の数式を作って、Illustratorに貼った。積分区間の数字が、インテグラルと重なっていた。

 「こういうときは手で直す」

 グループ解除して、インテグラルを少し左にずらし、再びグループ化。例によって、水際立った手さばきだった。

 手で直さずに済む方法は?

 「MathTypeでEPSを吐かせて配置する。これが一番安全」

 でもそれはお金がかかる。

 「暇ならOpenOfficeのMath Editorでも試してみれば? 私はやらないけど」

 TeXは?

 「テフの問題は解決されない」

 いつもそれだ。少しは具体的に説明してほしい。

 「問題その1。dvipsでEPSを吐かせると、テフのType1フォントを埋め込んでくる。埋め込みフォントはイラでは解釈できない。

 問題その2。だからってWindowsにテフのフォントをインストールすると、自分が糞データを作る危険性を高める。テフのType1フォントをアウトライン化するためだけにWindows環境を作るくらいなら、MathTypeを買ったほうがいい。MathTypeならTeXで書いてある数式を読めるし。

 問題その3。EPSの埋め込みフォントを全部アウトライン化してフォント情報を消してくれるフィルタが見当たらない。ちなみに、Ghostscriptでepswriteを使うと、たいていはフォントをアウトライン化じゃなくてビットマップ化する。

 問題その4。以上の問題をさらに追求していくと、追求に要するコストが推測できなくなる。dvipkにうまいオプションがあるからそれを探せばいいのか、それともGhostscriptのepswriteに手を加えて全部アウトライン化するようにしたほうが早いのか、それともあと1時間Googleすれば答が出てくるのか、見当もつかない。

 問題その5。テフに不可能はない。不可能はない、イコール、不可能って結論はどこをどう探しても絶対に出てこない。さっき言ったように、Ghostscriptのepswriteに手を加えればできるわけだし。もしプログラミングがわからなきゃ、勉強すればいい。だから、不可能はない。

 テフに不可能はないから、テフの問題は解決されない」

 もしかして彼女は神学を勉強したことがあるのかもしれない、と思った。「不可能はないから、問題は解決されない」なんて、悪の存在説明に使いそうな理屈だ。

 

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