「イラ」と彼女は言った。

 そう、彼女は「イラ」と言った。アクセントは「レ」だった。

 彼女のボゾビットを、ぱちん、ぱちん、と何度かフリップしてみた。「イラ」。Adobe Illustrator。もし彼女が、Adobe Photoshopのことを、「フォトショ」と言ったら? とはいえ、「イラ」と「フォトショ」にどれくらいの違いがあるだろう。

 「イラで文字組みと。組めば?」

 私は状況を説明した。

 要約すると、それはこういうことだった――ヒラギノ明朝だと、2倍ダーシの真ん中に隙間ができてしまいます。

 要約しないと、それはとても口に出しては言えないことだった。

 「見せて」

 私は彼女にマウスを渡した。

 Illustrator 10が起動するのを待つあいだ、彼女は身じろぎもしなかった。マウスをぐるぐると動かしてポインタで円を描いたりもしなかった。

 起動した。彼女は、はじめて手にするマウスを、右に、左に、一度ずつ、軽く動かした。そして、始まった。

 彼女は2倍ダーシの半分を選択状態にして、コピー、そして2度続けてペーストした。2倍ダーシは3倍ダーシになった。

 「トラッキングをマイナスにして重ね打ちする」

 彼女は3倍ダーシのうち、左のほうの2つを選択状態にして、文字設定パネルを叩いた。その瞬間にはもうテンキーがタイプ音をあげ、トラッキングの項目は「-500」と表示されていた。

 なるほど、たいした早業ではあった。間違っても彼女が「フォトショ」などと言わないことを祈った。もし「フォトショ」なんて言ったら、すべてが台無しだ。

 2倍ダーシの真ん中の隙間は、きれいに消えていた。

 

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