「インデザインは?」
私はいくらか安心した。
第一に、彼女は「インデザイン」と言った。もし彼女が「インデザ」と言っていたら、またしてもボゾビットを、ぱちん、ぱちん、とやる破目になっただろう。
第二に、彼女もTeXを避けたがっているのが、ありありとわかった。彼女にとってもやはりTeXはTeXだった。私は意地悪な空想をめぐらせた。なんといっても、「テフ」を省略して呼ぶなんて不可能だ。まさか、「テ」? なんでも、どこかの宇宙人の言葉では、「恋人」という意味だとか。
IllustratorとInDesignを両方揃えることが、どんなに非経済的か、彼女に説明した。
Illustrator 10とInDesign 2.0はどちらも小塚明朝・小塚ゴシックをバンドルしている。もし両方を買うと、フォントを重複して買うことになる。たかがバンドルとはいえない。小塚明朝と小塚ゴシックの単体の値段は、Illustrator 10自体に匹敵する。単体版のほうが字数がいくぶん多いとはいえ、バンドル版は2つセットなのだ。
「なんでインデザインじゃなくてイラレだったの?」
それは難しい質問だった。モノクロでは、グラデーションや半透明など使いようがない。
「だからテフする破目になるわけ」
私に言い聞かせているのか、ひとりで納得しているのか、わからない口調だった。
ところで、私はちょっと気になった。彼女はInDesignを使っているのだろうか?
「いや、あんたに使わせてみようと思って」
TeXの問題はまだ解決されていないので、私は話を戻した。
「テフの問題は解決されない。それくらい、わかってるでしょうが」
だからといって解決しないわけにはいかなかった。
「環境は?」
角藤版W32TeXをcygwinと組み合わせて、/usr/local
にインストールしてある、と私は答えた。もちろんjsarticleやokumacroも。
「縦書きだったね。まずはJISフォントメトリック。これがないと、お話にならない」
\DeclareFontShape{JY1}{mc}{m}{n}{<-> s * [0.9610259] jis-v}{}
\DeclareFontShape{JY1}{gt}{m}{n}{<-> s * [0.9610259] jisg-v}{}
彼女はGoogleを叩いてこの呪文を引き出し、プリアンブル、それも、\documentclass
の前に貼り付けた。
「ぶら下げは、乙部版でいこう」
彼女は、スタイルファイルと仮想フォントを取ってくると、share/texmf
の中に投げ込んだ。プリアンブルに――今度は\documentclass
の後に――書き込む。
\usepackage{hangpunc}
「フォントは?」
ヒラギノ明朝とヒラギノ角ゴで、と私はお願いした。
彼女はcygwinのbash上から、cat >/usr/local/share/texmf/dvips/config/hira.map
とタイプして、こう入力した。一文字も間違えず。
rml HiraMinPro-W3-H
rmlv HiraMinPro-W3-V
gbm HiraKakuPro-W6-H
gbmv HiraKakuPro-W6-V
「dvipsk -u+hira.map hoge.dvi
でヒラギノになる」
だんだんTeXらしくなってきた、と私は思った。
「ただし、出力するときはDistillerを通す。OpenTypeフォントを埋め込む能力はないから」
そんな、と私は抗議した。
「テフだから」
本当はできるにちがいない、と私は直感した。でもこれはTeXだった。
「\textwidth
と\columnsep
はzwで指定する。……他に質問は?」
Unicodeでしか出ないフォントを出したい、と言ってみた。
「MS明朝しか使わないんなら、umsパッケージっていうのがある」
お話にならない。
「ほかにも手はある。まずWordを使う。欲しい字を、ページの真ん中に馬鹿でかく書いておく。こいつをPostScriptプリンタドライバでEPSに書き出す。これをイラレで読んで、フォントだけを選択して縮小、EPSに書き出す。これを文中に配置する」
無茶苦茶だと思った。
「テフだから」
またそれだ。
「イラレでも使える手だし」
私はいくらか気持ちが軽くなった。