君が僕を4 将来なにになりたい?

解題

 たしか2008年の冬コミだったと思います。ほとんどのサークル参加者と同じく、私は自分のスペースにいて、自分の本が売れないのを眺めていました。
 と同時に、新作の構想を練っていました。なにしろ小売業を実践中だったので、商売の話はどうか、くらいのことを考えました。しかし商売といっても、実務を描いたらサラリーマンBLですし、因果を説いたら松下幸之助です。どちらも関心が持てません。
 売上金の入った箱を見て、私は考えました。なぜ商売はみな金を稼ぐのだろう? 金を稼がない商売はないのか?
 答えは簡単です。商売とは、金の動きの影のことです。金が動いているのを見て初めて人は、そこに商売があると認識します。金を稼がない商売なんてものがもしあるとしたら、それは商売として認識できません。よって、金を稼がない商売はありません。
 ……嘘です。
 というのは嘘で、やっぱり金を稼がない商売はなさそうです。これを書いている現在(2010年8月4日)、Googleで"金を稼がない商売"はものの見事に0件ヒットです。しかしそれでも嘘ということにしたかったので、『恵まれさん』の設定が生まれました。

解題その2

 『君が僕を』というタイトルの元ネタは、マルセル・デュシャンの大駄作、Tu m'です。
 まがりなりにも美術作品のはずなのに、作品を見る必要はない、話を聞くだけで事足りる、むしろ話のほうが本体で作品自体はオマケ――そんな悪しき現代美術の嚆矢として悪名高いデュシャンですが、『話のほうが本体』という手口が相変わらず幅を利かせている以上、名前を挙げるだけの値打ちはあると言わなければなりません。
 『話のほうが本体』という手口は、出オチ同然の一発芸に見えるのに、それがいまだに廃れないのは、なぜなのか。
 「見ればわかる絵」というのが嘘だからです。正確に言えば、ごく狭い範囲にしか通じないものだからです。
 神奈川県の溝ノ口という土地を知らなければ、『天体戦士サンレッド』は十分にはわかりません。ほとんどの絵画も同じようなものです。たとえば私は、モローの描くサロメに首をかしげたことがあります。どうしてあれが新約聖書のサロメなのか、さっぱりわかりませんでした。あれは新約聖書ではなくロマン派のサロメで、鶴屋さんとちゅるやさんのように別物だと知ったのは、ずっと後のことです。
 絵よりも話のほうが広い範囲に通じる――だから『話のほうが本体』という手口が今でも通じるわけです。
 そのことを当時誰よりもよく知っていたであろうデュシャンなのに、なぜ絵を描いて大失敗したのか。
 恩のある画商に頼み込まれて断れなかったからです。
 デュシャンにまつわる数々の話のなかで、私はこの話が一番好きです。というわけで私にとってデュシャンの代表作はTu m'であり、『君が僕を』もあんな話になりました。
 (万一に備えて言っておきますが、『頼み込まれて断れなかった』などといううらやましい事件が私の身に降ってきたわけではありません。どうか誤解なきよう)
 
 『君が僕を』完結編、『君が僕を4 将来なにになりたい?』(ガガガ文庫)、発売中です。

 

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