「百合」とはなんでしょう、なにを指す言葉なのでしょう。
「百合」の定義を管理している公的な委員会などは存在しません。かといって共通認識がまるでないわけでもありません。漠然とした共通認識と取っ組み合っても非生産的なので、西在家香織派は、次のように百合を定義しています。
「非レズビアンの立場から書かれた非ポルノの女性同性愛(もしくはそれに近いもの)のストーリー」
つまり、レズビアンがレズビアンとして書いた女同士の恋愛小説は、百合ではありません。ゲイ雑誌に載っている小説がボーイズラブではないのと同じです。(「非レズビアンの立場」であって、「非レズビアン」でないところに注目)
また便宜上、ポルノも百合から除外します。ヘテロ男性向けポルノのなかに女同士物がジャンルとして存在しており、これと百合を明確に区別する必要があるためです。
これとは異なる百合の定義を採用している個人・団体や文献もあるかもしれません。しかし西在家香織派の定義はこうです。
香織派では、百合を含む作品のことを、「百合物件」と呼びます。百合な小説、まんが、映画、ゲーム、これらすべて百合物件です。
百合物件のなかでも、百合をメインテーマとするもので、主人公が男とくっついて終わる等の裏切りのないものを、「純正な百合物件」と呼びます。なお、途中で主人公が男とくっついたりしても、右の条件を満たしていれば、純正な百合物件として認められます。
少なくとも香織派では、「百合」と呼ぶことはしません。「女同士物」と呼びます。
しかしポルノにも、百合的なものが少なからず含まれている場合があります。また、ポルノと非ポルノの境界線を厳密に定めるのも、ややナンセンスです。そのため、女同士物であっても百合的に価値の高いものは、参考指定物件リストで紹介しています。
また、参考指定物件リストには、入手性が悪い、純正な百合物件ではない等の問題がある非ポルノ作品も多く入っています。
いずれも例外なく問答無用かつ徹底的に、びた一文たりとも百合ではありません。
また、生物学的に女でも、男性として育った場合や、性自認が男性である場合には、百合ではありません。
日本国内なら、あなたの家の近くの本屋、ビデオ屋、ゲーム屋にあります。TV放送にもあります。通販したり、遠くまで出かけていったりしても手に入りますが、まず身近なところをきちんと押さえておきましょう。
身近なところでは、ほとんど見たことがない? それは探しかたが足りないのです。百合物件は、ボーイズラブのようにわかりやすいレッテルをつけて、本屋の一角を占有しているような、そういうものではありません。いまのところは、まだ。
入手のために努力するだけの値打ちのある、純正な百合物件を、学習指定物件リストに挙げました。これを参考にすれば、よい百合物件を誰でも簡単に手に入れられます。
なにをおいてもまず、『美少女戦士セーラームーン』、略称「セラムン」です。
武内直子によるまんが版よりも、TVアニメ版のほうが百合的にはより重要です。セラムンSで登場した天王はるかと海王みちるのカップルは、同人界に一大ブームを巻き起こし、百合の新時代を切り拓く破城槌になりました。
現在もっとも影響力の大きい百合物件は、『マリア様がみてる』、略称「マリみて」です。同人界に与えたインパクトは、ウテナ以後最大のもので、現在も拡大を続けています。
吉屋信子の少女小説は、歴史的に重要な百合物件です。当時(大正から昭和初期)は絶大な人気を誇り、少なからぬ数の模倣者がいました。現在の百合にも吉屋信子の影響は残っています。
他にも、『少女革命ウテナ』をはじめとして、重要な百合物件は多々あります。「学習指定物件リスト」をご覧ください。
本屋の店頭をはじめとする各種情報源の絶えざるチェック、情報網の整備、重要人物の動向の把握などが基本です。
百合物件探しには、天才も鈍才もありません。ただ持続する意思あるのみです。私は、まんが・アニメ関係に詳しい友人に会ったときには、必ず「なにか百合物件はありましたか?」と尋ねることにしています。
努力を重ねるうちに、直感が磨かれます。常人にとっては百合とは無縁な、なんの変哲もない絵を見ただけで、「これはもしや」と感じるようになります。逆に、女の子二人が抱き合っていても中身が百合ではないものを見ると、「パス」と感じるようになります。私はこれを「百合電波」と呼んでいます。百合電波の実在を確かめるのは困難ですが、私は個人的にその存在を確信しています。
これはもちろん、百合の真髄ともいうべき問いです。百合の奥はたいして深いわけではありませんが、ほんの数十行で真髄が言い尽くせるほど浅いわけでもありません。以下の二つの答は、いずれも人を軽くあしらう体のものです。
A.性=政治説
人間社会における性は、きわめて政治的なものです。社会は女に向かって、ときには良妻賢母たれと言い、ときには娼婦たれと要求します。この使い分けは男にとっても難しいもので、そのへんを混乱すると、一仕事終えたばかりの娼婦に説教を垂れるような間抜けな行動につながります。
政治とは厄介なもので、「もう政治は嫌だ」と思っても、けっしてやめることができません。そこでボーイズラブや百合が現れます。同性愛だろうと政治から自由なわけはありませんが、同性愛者でなければ知らぬが花で、夢をみることができます。政治から自由な性を夢見て、人は百合やボーイズラブを読むのです。
B.一粒で二度おいしい説
まんが・小説・アニメの世界では、女性キャラを魅力的に描くことは、きわめて重要とみなされています。単独のキャラの魅力を高めるのも手ですが、複数のキャラを出すことで作品全体として魅力を高めるのもよい方法であり、多くの作品で行われています。
ページ数なり放映枠なりは限られているので、余計なものにページや時間を使うことはできません。女性キャラの魅力を描きたいのに、男性キャラを出さねばならないとしたら、それは非効率です。余計なものを出さずに済ませ、また、女性キャラから毛色の違う魅力を引き出すのが百合です。
現在、同人界ではマリみてブームが拡大中です。セラムン以降の百合の質的な進歩が、量的な拡大として現れてきているようです。
マリみて本を作るにあたっては、現代百合の教養や、百合電波を放射する能力が求められます。これは、『月姫』本を作るのに求められるよりも高いハードルです。マリみてブームは、このハードルを越えられる層がますます厚くなっていることを反映しています。量から質へと転化したのがセラムンブームだとすれば、質から量へと転化したのがマリみてブームです。
「質から量へ」のマリみてブームの後には、再び「量から質へ」のブームが起こるでしょう。もし、このようなサイクルの存在をもって「流行っている」と考えるのなら、すでに百合は流行っているといえます。