2004年04月14日

不思議な政治技術

 自分の都合でできないことを自分で主張すると、それが相手のせいになる――不思議な政治技術だ。
 政府(正確には外務大臣)は「自己責任」と言う。この場合、自己責任とは、政府が介入せずに事態を放置することだ。
 別にそれはそれでかまわない。日本国外で日本政府に守ってもらおうというのはお門違いで、助けを求める先は現地の行政機関(現在のイラクならCPA)である。また、「テロに屈しない」という例のスローガンの観点からも好ましい。相手にしなければ屈することもない。完全無視は不可能でも、お義理程度の情報収集と働き掛けと「ノーコメント」の壁で済ませるくらいのことはできる。
 自己責任ウェルカム、いつでもどうぞ――だが、それをしないのは政府だ。
 なぜできないのか。この件の成り行き次第では、小泉政権、さらには対米追従路線までもが吹っ飛ぶからだ。政府の救出活動は、人命よりも、対米追従路線を守るためのものだ。
 邪推だろうか? では、「自己責任」という台詞は一体なんなのか。
 たとえば、詐欺にあって一文無しになった人がいるとする。あなたは、その人の境遇を知って義侠心を起こし、詐欺師をつかまえてやろうと決意したとしよう。そのときあなたは、「自己責任」という台詞を口にするだろうか。それは、一文無しの人を見殺しにするときの台詞のはずだ。
 助ける義理もない連中に鼻面を引き回されれば、腹立ちまぎれに「自己責任」と言いたくもなる――というのは的確な理解ではない。
 外務大臣の「自己責任」という台詞は、国会の答弁で出てきた。私の知るかぎり、国会の答弁は、腹立ちまぎれの台詞を口にするような場ではない。「自己責任」という台詞には、ちゃんと狙いがある。その狙いとは、「自分の都合でできないことを自分で主張すると、それが相手のせいになる」だ。
 相手のせいになる――ここが重要だ。
 小泉政権と対米追従路線がいまのような危機に陥ったのは、誰のせいなのか。もちろん、小泉政権のせいだ。危険地域で3人が誘拐されたくらいで危機に陥るような、脆弱な政策をとったせいだ。これこそ自己責任というものだ。
 その責任を、被誘拐者の3人になすりつける政治技術が、川口外務大臣の「自己責任」発言である。
 私は、こういう政治技術を見ると吐き気がする。小泉政権崩壊が待ち遠しい。

Posted by hajime at 2004年04月14日 04:40
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