2010年09月01日
ラシーヌ『フェードル アンドロマック』(岩波文庫)
前に「ラシーヌはそこまで偉大か」と書いたが、まだ読んだことがなかったので、『フェードル アンドロマック』(岩波文庫)を読んでみた。
Continue reading "ラシーヌ『フェードル アンドロマック』(岩波文庫)"2010年08月27日
警察の走狗がたどる運命
強盗の計画を佐賀県警に通報したところ、主犯格を逮捕する捜査のため犯行に加担させられたうえに強盗予備容疑で逮捕され、実名を発表され名誉を傷つけられた
これで賠償額が33万円。タレコミは損だ。
ちなみに警察の身内ならこんな目にはあわない。例:戸高公徳
倫理学といえば
『ハーバード白熱授業』のおかげで倫理学が盛りあがっているらしい。
倫理学には詳しくないが、というより詳しくないせいで、前から気になっていることがひとつある。
人間が因果関係や事実を認識するときには、価値判断がその前提にある。言い換えれば、価値判断と無関係な因果関係や事実がたとえあるとしても、それは人間には認識できない。「大人は質問に答えない」だ。
このことの極端な例は、犯罪事件の報道で使われる紋切り型のひとつ、「犯人はわけのわからないことを言っている」だ。犯人が意図してわけのわからない(わからせない)言葉を発しているケースは稀だろう。多くのケースでは、発語した瞬間の当人にとっては、まったき必然性に満ちた真剣な言葉だろう。ただその必然性が、報道という行為の前提にある社会的な関心や価値の外にあるにすぎない。薬物が見せる幻覚についての一般論ならまだしも、個々の患者が見た個々の幻覚の詳細になど、誰も構ってはいられない。幻覚を見ている真っ最中の患者本人だけが例外だ。
さて本題。
こちらでサンデルの著書が一部無料公開されている。そのなかに、倫理学の思考実験が紹介されている(トロッコ問題)。こうすればああなる、という因果関係だけでは人間の行動は割り切れず、因果関係以外の状況に左右されることを示している。
しかし、そもそも因果関係の認識が価値判断を前提とするのなら、因果関係の認識が天下り式に与えられた状態での行動に、一体どれだけの意味があるのか?
事実や因果関係が認識され組織化され単純化される前の混沌とした世界に、倫理学はアプローチできるのか?
哲学者は問題を解くのではなく作るのが仕事なので、私と同じ問題を作った人はすでにいるにちがいない。この問題は業界ではどんな名前で呼ばれていて、どんな議論があるのだろう。
2010年08月20日
トレーニング記録
ピリオダイゼーションの1期間を終えたので、現状を記録しておく。この期間は、
・32日間
・レジスタンストレーニング中心
だった。ワークアウトの量は、
・レジスタンストレーニング:5回
・5MPターゲット:6回
・60MPターゲット:2回
・ロングライド:2回
・TSS:1530
現在のベンチマーク:
・5MP 271W (PB・前期 271W)
・60MP 193W (PB 207W、前期 188W)
5MPはもう少し出せる気がする。60MPは気温が下がらないとどうしようもない。なにしろエアコンを16度に設定しても室温が28度までしか下がらない。
暑いときに60MPをやると、後半は放熱が律速になる。もっと短い時間で似た効果を得られないものかと考え、新しいワークアウトを定義した。4分間5MPに続けて20分間60MP、名付けて短縮60MPターゲット。これでも心拍数をみると、本物の後半より低くなるが、やらないよりはマシだろう。筋グリコーゲンの消費が少ないので毎日できるというメリットもある。
次の期間は短縮60MPターゲット中心。目標はベンチマークの現状維持。
2010年08月19日
解題その2
『君が僕を』というタイトルの元ネタは、マルセル・デュシャンの大駄作、Tu m'です。
まがりなりにも美術作品のはずなのに、作品を見る必要はない、話を聞くだけで事足りる、むしろ話のほうが本体で作品自体はオマケ――そんな悪しき現代美術の嚆矢として悪名高いデュシャンですが、『話のほうが本体』という手口が相変わらず幅を利かせている以上、名前を挙げるだけの値打ちはあると言わなければなりません。
『話のほうが本体』という手口は、出オチ同然の一発芸に見えるのに、それがいまだに廃れないのは、なぜなのか。
「見ればわかる絵」というのが嘘だからです。正確に言えば、ごく狭い範囲にしか通じないものだからです。
神奈川県の溝ノ口という土地を知らなければ、『天体戦士サンレッド』は十分にはわかりません。ほとんどの絵画も同じようなものです。たとえば私は、モローの描くサロメに首をかしげたことがあります。どうしてあれが新約聖書のサロメなのか、さっぱりわかりませんでした。あれは新約聖書ではなくロマン派のサロメで、鶴屋さんとちゅるやさんのように別物だと知ったのは、ずっと後のことです。
絵よりも話のほうが広い範囲に通じる――だから『話のほうが本体』という手口が今でも通じるわけです。
そのことを当時誰よりもよく知っていたであろうデュシャンなのに、なぜ絵を描いて大失敗したのか。
恩のある画商に頼み込まれて断れなかったからです。
デュシャンにまつわる数々の話のなかで、私はこの話が一番好きです。というわけで私にとってデュシャンの代表作はTu m'であり、『君が僕を』もあんな話になりました。
(万一に備えて言っておきますが、『頼み込まれて断れなかった』などといううらやましい事件が私の身に降ってきたわけではありません。どうか誤解なきよう)
『君が僕を』完結編、『君が僕を4 将来なにになりたい?』(ガガガ文庫)、発売中です。