美術館は『モナリザ』だけでは成り立たないし、ゲーム産業はFFとDQだけでは成り立たない。
かといって、『モナリザ』以外のスペースをアウトサイダー・アートで埋めたり、FFとDQ以外の棚を『デス・クリムゾン』で埋めたりするわけにはいかない。こういうスペースや棚を埋めるために、適度にどうでもいい作品、というものが必要になる。いわゆる埋め草だ。
個人的で真剣な魂の叫びがこもった作品や、存在すること自体がドラマであるような作品は、埋め草にはなれない。社会性のある、中庸で、条理にかなった作品が、埋め草になれる。
『げんしけん』という作品は、まさに「埋め草」そのものだ。
私は社会性のまるでない人間なので、『げんしけん』の社会性については語れない。中庸から程遠い人間なので、『げんしけん』の中庸については語れない。条理の枠を変えたいと願う人間なので、『げんしけん』がいかに条理にかなっているかについては語れない。
というわけで、『げんしけん』を褒めるのは非常に難しい。質の高い埋め草であることは確かなのだが。