2006年11月26日午後7時、北海道は札幌にある体育館「きたえーる」の柔道場にて、ひとつの他流試合が行われた。主なルールは以下のとおり。
・目突き、肘、股間への攻撃は禁止
・足以外のところが地面についているときは顔面への打撃は禁止
さらに、これがルールかどうかはわからないが、
・グローブなし、マウスピースなし
「手の骨、鼻の骨、前歯、どれが先に折れるか」という、無闇に危険なセッティングである。感染症の問題もある。おそらくもう二度と見られないセッティングだろう。
そして対戦者の片方も珍しい。
珍しくないほうは、総合格闘家の岩倉豪。アマチュアだそうだが、鍛え上げられた巨体がまさに格闘家だ。
珍しいほうは、合気道を教える柳道場の師範、柳龍拳。御歳65歳、細身の老人だ。合気道を教えているといっても、平凡な合気道家ではない。「気功」を看板に掲げるオカルト風味の怪老人である。オカルト合気道の実演動画はこちら。
試合前後の情報や説明によれば、この無闇に危険なセッティングは、柳龍拳が要求したものだったという。
オカルト合気道家が、普通の総合格闘家とまともに試合をする――わけがない、と私は信じていた。なにか奇天烈な方法で試合をうやむやにしてしまうにちがいない。そのときの失望を味わいたいものだと思った。バキ風にいえば「失望を知りたい」だ。
だから私はこの他流試合を見に行った。
そう、私は北海道に行った。11月26日の朝、羽田発新千歳行スカイマーク717便で行った。
札幌到着のあとは食べ歩きで時間を潰し、午後5時前には試合会場に到着した。私より先に来ていた観戦者は、ほんの数人。おかげで私は最前列から事の次第を見守ることになる。
試合前、午後6時から7時までは、柳道場の門下生が稽古をした。私は合気道のことなど皆目わからないが、とりあえず門下生は常識的なカタギに見えたし、稽古には別段オカルト要素はなかった。
しかしこのとき私の中では事態は風雲急を告げていた。柳道場には実態がある。信者かもしれないが子分ではないカタギの門下生がいる。その門下生を観戦者の前に出したということは、相手が逃げでもしないかぎり、本当に試合をやるということだ。
午後7時、両対戦者が顔を合わせ、ルールの確認を行い同意書にサインした。岩倉豪の体格を目の前にしても、柳龍拳には怯んだ様子はない。では自信満々かというと、そうでもない。戦って敵を倒そうとする気迫や生臭さがまるでない。そういう美学なのかもしれないが、あきらめているようにも見えた。
なにか奇天烈な方法が飛び出して試合が流れるのではないかと、試合開始の瞬間まで、私はまだ信じていた。
柳龍拳は、肩口から斜めに腕を振り下ろす、奇妙な動きを見せた。この動きの意味がわからなかったが、あとから考えるに、この腕をつかませて技をかける狙いだったのではと思われる。岩倉豪は2、3回この動きを見てから、振り下ろされる腕を相手にせず攻撃に入り、顔面にパンチが入った。
柳龍拳は鼻と口に出血した。戦意喪失でギブアップかと見た岩倉豪のアピールで、レフェリーが確認に入ったが、しっかりした声で「ノー」と宣言。再開である。
最初の攻防と同じように、柳龍拳は斜めに腕を振り下ろし、岩倉豪はそれを相手にせず普通に攻める。今度は柳龍拳の袖をつかみ、顔面にパンチが続けて入った。レフェリーが割って入る。静脈を切った程度の出血があり、柳龍拳は起き上がれないどころか動かない。試合終了である。
結末から遡っていえば、こういうことだ――オカルト合気道家が、無謀な相手と危険なセッティングで試合をやって、大怪我をした。
だが、このまとめは、なにかしら論点先取になっている。グローブも防具もなしに人間の顔を殴ることの不吉さが、抜け落ちている。
2つの世界がある。暴力前の世界と、暴力後の世界だ。両者のあいだはあまりにもひどく断絶している。この断絶は、なまなかな想像力では埋まらない。その深い断絶を、一方通行で飛び越えるのが、暴力だ。後戻りする方法はないので、暴力後の世界にいる人は、暴力前の世界など最初からなかったように思い込む。だがそれはあった。私はそれを見たし、そこにいた。
暴力後の世界に行って得られるのは、「暴力前の世界は素晴らしい」という認識だけだ。それさえもじきに忘れてしまう。自分とは無縁なものに興味を抱き続けるのは難しい。
暴力は、その苦痛や恐怖のゆえに悪いのではない。暴力は、暴力前の世界を消滅させてしまうがゆえに、悪い。暴力後の世界になじんだ人は、もっとも美しい希望のなかにさえ、暴力前の世界を持たないだろう。
普通のセッティングを蹴って、無闇に危険なセッティングを要求したのは、柳龍拳側だと聞いている。これは犯罪に近い。
オカルトを信じていたとしても十分に悪いが、「こんなに危険なセッティングでの試合は、相手が避けるだろう」などと当て込んでいたとしたら、なお悪い。格闘技という競技を成り立たせるためのルールを悪用することでもあるからだ。
「オカルトの実力が試される」という筋書きは好きだ。オカルト側が逃げるという結末になっても、もちろん失望はするが、その失望を味わうために北海道に行ったくらい好きだ。だが今回の結末はいただけない。
今回の試合で、柳龍拳はなにかを成し遂げた。そのことには賛嘆している。逃げたら馬鹿にするつもりでいたし、普通のセッティングで負けたら退屈しただろう。だが、その成し遂げたこととは、悪いことだった。
今回の試合が悪い例として記憶され、同様の事件が二度と起こらないことを願う。
はじめまして。
「暴力前」と「暴力後」の世界の断絶について、強く共感しました。
私も当日、きたえーるでの試合を見に行ったひとりです。
門下生の練習風景を見つめているときの不安に近い感情や、「達人」が本当に勝負の場に出てくるのかという期待感など、私も中里さんと同じような気持ちでした。
小学生の頃、少林寺拳法の道場の少年部に通っていたことがあるのですが、
年少のこどもや若い女の子が、師範と、何人かの黒帯の社会人に指導してもらう、まさにあんな感じの練習風景です。
6時15分頃、柔道場に入る時、高校生か中学生くらいの練習生とたまたますれ違い、会釈したのですが、なんら緊張する様子もなく、普通に会釈を返してくれました。
もし子供だった当時の自分が、「今日、師範が看板を賭けたノールール(に近い)真剣勝負をやる」と聞かされ、しかも普段では考えられないギャラリーが押しかけてきたとしたら、とても普通に練習できなかっただろうと思います。少なくとも、ギャラリーをちらちら気にしながら、仲間とひそひそ話をしながらの練習だったでしょう。
気功だの最強だの、そういう宗教っぽさなど皆無の、道場での練習としてはありふれた光景が腑に落ちないまま、柳龍拳の登場までの時間を過ごしました。
柳龍拳の登場。観客の後ろの方に立っていた私には柳龍拳の「あきらめているようにも見える」様子は全然見えなかったのですが、
耳が真っ赤になってるとか、そんな緊張している要素が一切見えないことに、自信の表れなのかと正直「達人」に期待しました。ほんの少し。
本当に柳龍拳が達人だからこそ、
門下生は普段通りに練習していたのだし、
年少門下生の母親らしいおばさんたちも気軽に見にやってきて、
そして柳龍拳は平静に相手と対峙していられるのだと。
そして試合開始、決着。
なまじ人垣が邪魔になった分だけ、老人に打撃が直撃する音が生々しく耳に残りました。
後味の悪さは、今でも消えないままです。
もし、柳龍拳の門下生やその関係者たちが、事がこんな真剣勝負だと知らされていないで、ただの他流派との交流演舞だと思っていたとしたら、後味の悪さは私の比じゃないだろうなあ、と気になってしまったり。
格闘技をやっている人が暴力を好きなのかと言えば全然そんなことはなく。
相手の腕力、握力の受け流しかたの理屈や、体幹や足さばき、間接の駆動、体重配分の理屈を覚えること、
サンドバッグを打ったときの感触が上達につれて強くなっていく実感など、
そういうことに喜びを見出しているから格闘技を習い続けるというのがほとんどだと思います。
格闘技歴が長いからと言って、暴力への耐性があるとは限らないのですね。
話は変わりますが、私もARIAやマリみて大好きです。
男には決して描けない、女性作家にしか表現できないあの雰囲気は憧れます。
百合ではないけれど、「雰囲気のそれっぽさ」ならば「守って守護月天」や「ヒーリングプラネット」など、桜野みねね氏の漫画なんかピタリだと思うのですが。
信者を作る能力、初中級者に稽古をつける能力、競技で結果を出す能力はそれぞれ別物だろうと思います。
今回のセッティングがどんな結果を生むか予想できなかった門下生は、格闘技というものをほとんど知らないか、あるいは信者でしょう。門下生の態度は、柳龍拳氏が達人かどうかとは関係がないと思います。
桜野みねねは強力な百合電波を出していますね。作品はなかなか百合にならないようですが。
Posted by: 中里一 at 2006年11月29日 00:20糸巻き巻き攻撃で倒せばよかったのに。。。見れると思ってたので残念でした。
Posted by: 今 at 2006年11月29日 23:44柳龍拳・他流試合事件
大東流合気道の柳龍拳と勝負をする事になり話題を呼んだが、【山木はその後代理を立てることを表明し、直接対決は流れた】と世間(2ちゃんねる)では言っているが、実際は柳龍拳が他流試合を一人で勝手に成立させ騒いでいるだけの迷惑な話。
実際は話の行き違いから山木陽介ではなく柳龍拳がヨ~ガ柔術を指名して他流試合となった。2006年11月26日午後7時(北海道立総合体育館・きたえ~る)より対戦した。(勝者ヨ~ガ柔術)実際の試合は一分弱で勝負が決した。開始後数秒で柳は顔にパンチを食らってノックダウン。いったんは立ち上がって試合を続行するも、胴衣の裾をつかまれ、顔面に連打を入れられうずくまった。柳は歯を折って顔面から流血し、救急車を呼ぶ騒ぎになる。
この他流試合のヨ~ガ柔術・勝利は、今まで柳龍拳のホームページで散々勝手に書かれた有名格闘家の溜飲を下げた。
一方、65歳という高齢で他流試合を実施した柳龍拳対しても評価が寄せられた。
柳龍拳VSヨ~ガ柔術の戦いがYouTubeで2006年11月27~28日にMost Viwed(Today)の一位となった。(パンクラスのジャージを着て映像に写っているのが山木陽介)
この件は社会現象となったが、フジテレビ番組「カワズ君の検索生活」製作サイドが、探偵ファイルサイドに悪意を持ちこの無謀な他流試合を仕組んだのではないかと、理由の一つは探偵ファイル側に承諾を得ず撮影を計画していた事、「インターネットで社会現象になっていたので」とディレクターのおかしな説明に矛盾点等があり、本来ならPRIDEやHERO'Sと同じ安全性を実行するべきだが、企画側の意向で他流試合において危険で凄惨な状況結果が残った。
◆悪質なフジテレビの取材状況◆
◇最初の状況、柳龍拳側は探偵ファイルとフジテレビが関係していると誤解していた。
◇11月10日・柳龍拳側に来たフジテレビ関係者が渡した名刺が古いもので住所も電話番号も違ってい たため、怪しいと思いフジテレビに問い合わせたところ、苦情処理係にまわされ以後連絡無し。
◇フジテレビが柳龍拳の実力を見たいからと言ってきたので昔の映像を送る。
◇フジテレビは当初電話で11月19日に撮影に訪れたいと言う事でした。
◇フジテレビ撮影スタッフが26日の試合をやめて芸能人と闘ってくれと言ってきたが11月26日には岩倉氏との試合があるため断わる。
◇当日、フジテレビ撮影スタッフは、柳龍拳側と探偵ファイル側がつるんでヤラセをするのでは…と疑っていた
◇柳龍拳側はフジテレビ側に当日来るのであれば探偵ファイル側にも連絡してくださいと要望するが、フジテレビ側は柳龍拳側が連絡不要と言っていたと主張
このような状況から探偵ファイル側が企画運営した企画を悪意を持ってフジテレビが企画を横取りしようとしたが見事に失敗、12月2日放送の「カワズ君の検索生活」では、検索キーワード一位の柳龍拳には終始触れず番組が終了してしまった。
フジテレビは、北海道立総合体育館での危険行為撮影を避け、安全面、社会的な公共性などをに留意し、お茶の間にメディアを提供しないといけないが、今回の探偵ファイル側を陥れるような番組作りに対しては、フジテレビの番組制作方針には倫理的な問題がある。
後日、北海道立総合体育館「きたえ~る」に『このような行為を公共の施設で行った良いのかと?』と苦情がよせられ、柳龍拳道場は「きたえ~る」当分の間使用禁止
危険なヤラセを行おうとしたフジテレビは放送倫理委員会に提訴される運びとなる
そうか、柳氏は試したのか。
勇気ある、残酷な行為選択だな。
よくやった、だがあっても致し方ない。
武人と文民は別個でなければならないことを
改めてひしひしと痛感させられる勝負事だ。
一の帰結から十を知った者の数はわからないにせよ
事件を知る者に少なからず影響を与えるに違いない。
はじめまして。たぬたんでぅ(」^q^)」
この柳龍拳の傷害事件について思ったことをコメントします。
この試合とも呼べない傷害事件を見て残る嫌悪感、後味の悪さ。
その正体はなんだろう?と疑問に思いました。
だって、これがちゃんとした試合なら、ここまで異常な後味の悪さなんて残るはずがないでしょう?
そこで、状況を素直にまとめて見直す事で、とっても分かりやすい答えが見えてきました。
元々この傷害事件を企てたのは探偵ファイルというサイトでした。
まず探偵ファイルが「自称武道家のオカルトまがいな事をしている柳龍拳というヤツが居る」という事を嗅ぎつけます。
当人はどうみても強そうに見えないのに、柳龍拳のHPにあった「ヒクソンに勝てる」という煽り文句が滑稽だったのでしょう。
そこで探偵ファイルはこう思いつきます。
「このデカいクチを叩くジジイに試合を申し込み追い込んでみよう。そして、その対応を笑いものにしてやろう」と
つまり、おそらく弱いであろう相手を、弱いと分かった上でさらに追い込んでバカにしてやろう、と考えたわけです。
探偵ファイルは柳龍拳側が口八丁で試合を断り、その逃げ惑う姿を予想し、それを笑いものにしてやろうとしました。
しかし、この意向は崩れ実際に試合が行われてしまいます。
誰が見ても明らかに実力差がある試合が現実になってしまいます。
そこで起こったのが、この傷害事件です。
そしてこの傷害事件の最低な所はここからです。
企画として取り上げた以上、この動画を撮影し公開しなければならないわけですが
その内容は、誰がどう見ても紛れもない暴力。
巨漢の男が老人を殴り倒し出血させているだけの、試合でも格闘技でもない、
暴力ともいえる一方的に相手を痛めつけるような残忍な映像でした。
こんな映像は、正直誰が見ても後味が悪いです。エキサイトできる白熱した格闘技の試合とは程遠いです。
しかし、動画は公開しなくてはならない。ここで探偵ファイルはある言い訳を思いつきます。
それは「これは格闘技であり試合であるから暴力ではないんだよ」という今更の言い訳です。
元々「ヒクソンに勝てる、なぁ~んて言ってるジジイをのしてやろう」という目的だったのが
突然「これは神聖な試合なので悪いことをしたわけではない」と言い訳し始めたのです。
それによって、明らかに後味の悪い。誰もが「これってマズいんじゃないの?」と疑問を抱く動画を無理矢理正当化させました。
そうすれば暴行を働いた探偵ファイルと、ヒクソンに勝てると書いたのに負けてしまった柳龍拳の
両者の顔が立つ。という訳です。
言い訳はそれだけではありません。
この試合に動向していたまったく関係のないフジテレビを批判する事で、
ユーザーの憤りをフジテレビ批判にすりかえて問題を解決させようとしました。
バカな探偵ファイルのファンの憤りはフジテレビの不当な取材に矛先をかえ、
一方で、どう考えても一番非のある主犯格の探偵ファイルと
デカいクチを叩いて面目が立たない柳龍拳。
そして探偵ファイルに面白半分で企画にのり、老人を痛めることになった名古屋ブラジリアン柔術クラブ。
この三者がお互いを悪くないと援護しあう、奇妙な暗黙の結託を始めたのです。
(これは憶測ですが、探偵ファイルと名古屋ブラジリアン柔術クラブの結託が特に強く
あわよくば柳龍拳ひとりが無謀で悪かったという話に仕立て上げようとさえ見えます。)
結果、探偵ファイルの口八丁にまかれたバカは「いや、柳龍拳もデカいクチ叩いてたから自業自得」と思い
動画だけを見た人や、探偵ファイルの言い訳に騙されない人が
「いや、いくら柳龍拳が自業自得だからといって殴って暴行する様子を晒しあげて笑うなんて度が過ぎている」という
良識派の2つの意見に分かれた。という事ですね。
なので、この試合と称された傷害事件に嫌悪感を示す人は多くいます。
これによって見えてきた重大な見落とし。
誰もが気づいているであろうが、結果が最悪なだけ表立って認めるのに気が引けている事実。
それは探偵ファイルの悪意です。
最初は「ヒクソンに勝てる」と書いている滑稽な柳龍拳が逃げる姿を見るのが目的であったと思います。
柳龍拳が逃げてくれれば、ただのネットによくある「痛いやつをさらす記事」が完成して事なきを得たわけです。
そうすれば1つの笑い話で済んだでしょう。
それが、探偵ファイルの執拗な追いたてと、意地をはる柳龍拳の間で、お互いに引き際がわからなくなり
ついには試合に至った。という事だと思います。
実際、この企画はただの「痛いヤツを晒す記事」に収めることを望んでいるユーザーもたくさんいたでしょう。
その証拠が、試合間近になって「本当にやるんですか?」と不安の声が探偵ファイルに届いたという事が記事中に書いてあります。
一番許せない事、嫌悪感、後味の悪さの原因は、
探偵ファイルが、どう見ても弱者である老人を見せしめのために殴りつけた事です。
最初は、ただ単純に「痛いヤツを晒す記事」が見たくて笑ってたユーザーらを巻き込んで
探偵ファイルが暴走し、結果的に集団で老人をいじめている状況とほぼ変わらない事になってしまった。
あそこで歯止めを聞かせて実際の試合に持ち込ませなければ良かったんですが
度が過ぎた、やってはならない事を平然とやってしまう事に歪んだ美学を感じている探偵ファイルの気色悪さ。
これが異様な後味の悪さの原因です。
その原因を隠すために、あちこちで「格闘技の試合だったから仕方がない」という不当な言い訳が飛び交っています。
オレとしては、この探偵ファイルの行為は悪であったと断罪すべきだと思っています。
こういった行為を、煙に巻いた言い訳で許すことは、この世でもっとも卑怯な行為の1つです。
柳龍拳から電波が出ていたことは事実です。
また、探偵ファイルからは柳龍拳以上の電波が出ていることも事実です。
痛いヤツをちょっと笑いものにしてやろうというイタズラ心と
探偵ファイルの相手が引くまで度を越えて突き進んでやろうとする、この傷害事件では、
根本が決定的に違います。
そこをごっちゃにしないでほしい。この探偵ファイルに隠された悪意を見抜いて欲しい。
探偵ファイルを問題にしている方々のことが、私には不思議です。探偵ファイルのごとき卑小なものが、柳龍拳を押しのけて、試合の主役として語られるとは。
「柳龍拳は気違いで、自分の言動に責任を取れないから、今回の試合はすべて探偵ファイル側が悪い」――という見方を私は拒否します。柳龍拳こそが試合の主役として語られるべきです。
事件の構成要素のほとんどは、柳龍拳が作り出したものです。「ヒクソンと試合させろ」と主張したのも、賞金つきで他流試合を募集したのも、グローブなしでの試合を望んだのも、血を流して倒れたのも、柳龍拳です。柳龍拳は自己の存在を賭けて、これらのものを作り出しました。気違い沙汰です。しかし柳龍拳は確かに、なにか重要なものを作り出しました。
いっぽう、探偵ファイルはなにも作り出していません。柳龍拳が作り出したものに反応しただけです。それも、まるで脊髄反射のようなつまらない方法で。探偵ファイルが「卑小」というのは、こういうことです。
「柳龍拳は気違いだから~」という見方をすれば、柳龍拳が作り出したもの一切も否定されます。すると柳龍拳は虫けらのような犠牲者へと矮小化され、探偵ファイルのごとき卑小なものがクローズアップされます。
私は柳龍拳を認めます。柳龍拳が成し遂げたことは悪いことでしたが、しかし、成し遂げたのです。
私は探偵ファイルを無視します。探偵ファイルはなにも作らず、なにも成し遂げず、ただ脊髄反射しただけでした。
だから私の記事には、探偵ファイルのことは書いてありません。わざと無視したわけではなく、単に不要なのです。
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探偵ファイルを批判すると言いつつ、探偵ファイルの宣伝をするのはご勘弁ください。批判(=宣伝)は、それなりに中身のある相手を選んで行うべきです。