三度のメシより、とはいわないまでも、少なくとも吉野家の牛丼よりは「転向」問題が好きな私としては、清水幾太郎という名前はずっと気になっていた。
ふと今日ぐぐってみると、こんなページが見つかった。清水のことが相当詳しく書いてある。
で、感想――おんたこがここにも一匹。特に清水の戦略的概念としての「庶民」は、吉本の「大衆」と同じ原型からできている。
しかしこれを見て安心した。清水→吉本→大塚と、「わしの一族を見ろ、みんな小さくバカになりつつある」(『もののけ姫』)状態だ。だから現在、「このままでは、わしらはただの肉として、人間(笙野頼子)に狩られるようになるだろう」ということになっているわけだ。
清水は『日本史広辞典』(山川出版社)に名を残していないという。吉本も同様の運命をたどるだろう。なのに、三人のなかで一番小さな大塚が、笙野頼子のおかげで長く名をとどめるのだから、つくづく大塚は女運がいい。