ミラン・クンデラ『不滅』(集英社)280~281ページより。
それはチェコのある地方都市の思い出で、あるひとりの女性がパリにしばらく滞在したのち、その町に一九六九年に帰ってきて腰を落着けることになった。一九六七年にフランスへ勉強しにいったのだが、それから二年経って、彼女はロシア軍に占領されている祖国を眼のあたりにした。ひとびとはなにごとによらず恐れていて、彼らのたったひとつの望みは他のどこかへ、自由であり、ヨーロッパであるどこかへ行くことだった。パリでの二年間、この若いチェコの女性は、その当時、知的生活の中心に入りこむつもりであったら、ぜひとも勤勉に通わなければならなかったゼミナールに、勤勉に通っていた。彼女はそこで、ひとはごく幼いころ、エディプス的段階より前に、著名な精神分析学者が鏡像段階と呼んだものを通過するということを学んだが、その考えとはつまり、母親および父親の身体と向かいあう前に、ひとはまず自分自身の身体を発見するということである。国に帰ってきて、若いチェコの女性は、数多くの同国人たちが、それぞれの個人的な発達においてまさにその段階を跳びこえてしまっているので、大いに損害を蒙っていると考えた。パリの威信、およびかの高名なるゼミナールの威信の後光に包まれて、彼女は若い女性たちのサークルを組織した。誰もなにも理解できぬまま、理論的な講義をしたり、実習の手ほどきをしたりしたが、実習のほうは理論が複雑だったのと同じほどに単純なものだった。若い女性たちは皆が裸になり、まずそれぞれ大きな鏡の目で自分の姿を検分し、それから皆で一緒に極度の注意をこらしておたがいに鏡で調べあい、最後にそれぞれ他の女性にたいして、相手が自分ではまだ見たことのないものを見られるように手鏡を向けあいながら、それぞれに自己観察するのだった。そのあいだ、指導の女性は、一瞬たりとも理論的なお話を中断することだなかったが、その魅惑的な分かりにくさによって、若い女性たちはロシア軍の占領から遠いところへ、彼女らの住むその地方から遠いところへ運ばれてゆき、その上さらに、神秘的で名づけようもないある興奮をあたえてもらうのだったが、その興奮については用心ぶかく話そうとしなかった。おそらく指導の女性は偉大なるラカンの弟子であっただけでなく、同性愛者でもあったろう。けれども、そのサークルに、確信的な同性愛者がたくさんいたとは私は思わない。そしてこれらの女性たちすべてのなかで、私ははっきり認めてよいが、わが夢想をもっとも強くとらえるのはあるまったく無邪気な若い娘であって、彼女にとっては、集会の間、下手くそにチェコ語に訳されたラカンの晦渋なる言説(ディスクール)以外、この世にはなにも存在しなかったのである。ああ、この裸の女性たちの学術的な集まり、このチェコの小さな町のアパルトマンでの集会、外ではロシア軍のパトロールが巡察をしているというときに、ああ、それはどんなにか興奮を誘うものだったことか、誰もがそれぞれ強要された行為をしようと努力し、すべてが取り決められていて、たったひとつの意味、嘆かわしくも単一の意味しかない大狂乱よりも、どんなにか興奮を誘うものだったことか!
この「実習」なるものが恐ろしく百合的でないことの意味について再考しているが、答えはまだない。
Posted by hajime at 2011年03月16日 12:03