TVアニメの『ギルティクラウン』を毎週楽しく見ている。
このアニメのいいところはなんといっても、「これは本来なら百合であるべきだ」と憤らずに済むところだ。
最近では少なくなったが昔は、「誰がどう考えてもこれは百合展開になるに決まってんだろうが! それがなんでこんな超展開になるんだよこの糞ヘテロセクシスト!」と怒鳴りつけながら監督の首を絞め上げてやりたいような、ひどい作品が多かった(たとえばこれはアニメではなく原作の問題だが、『ラブひな』の瀬田先輩は誰がどう考えても女であるべきだった)。今でもその危険を感じると身構えてしまう。そういう気苦労なしに見られるのは嬉しい。
また百合に限らず、「これは本来なら××であるべきだ」と憤ることがほとんどない。今週のいのりの殺しっぷりや、嘘界の「処世術だ」には痺れた。そう、フィクションはこうでなくては。
「これは本来なら百合であるべきだ」というのは、さきほどの例がそうだったように、「このキャラは女であるべきだ」というパターンが多い。逆に腐女子諸氏にとっては「このキャラは男であるべきだ」なのだろうと思う。この観点から『ギルティクラウン』を見ると、いのりは男であるべきだったようにも見える。
さて本題。
いのりは男であるべきだったようにも見える、と思った瞬間、私は気づいた――いのりの性別はまだ確定していない。女装かもしれない。
普段から女装キャラを警戒するあまりの思い過ごしだろうか。しかし、女装キャラが「男の娘」などともてはやされる昨今なら、1クールやそころ引っ張ってから女装とバラすくらいのことはありそうではないか。
こうして疑い始めてみると、そもそも、キャラの性別はどこまでいけば確定するのか。いったいどんな根拠があれば、女装ではないと考えていいのか。
とりあえず、ギャグやSFでない世界では、
・妊娠出産
SFなら、
・宇宙人
・ロボット
これらは性別があってないようなものだから、女装も意味がないのでやらない、と考えていい。
上の3つほど確度は高くないが、
・真正面からのフルヌード
・セックス
・脇役との連れション的なつきあい
さらに確度の下がるものとして、
・幼少のころのエピソードでもちゃんと女
・ナイーブな「男って」「男だからって」発言
・「男勝り」的な勝気さの発露
くらいが思いつく。
そして私が思いつくかぎり、かなり確度の低いものを含めても、いのりが女装でないとする根拠はまだ出ていない。逆に「お色気」や「芸能」や「友達づきあいがない」や「家族が未登場」などの危険要素はたっぷり持っている。
もしこれが百合なら、ヘルメットとプロテクターを着用して身構えるところだが、幸い百合ではないので楽しく見られる。