2017年06月13日

Blanchard's transsexualism typology, BAT

 「好奇心は猫をも殺す」という諺が好きだ。科学者はなによりもまず好奇心に駆られて動く。だから科学者は――科学で生計を立てているかどうかはともかく、科学する人は――「マッド」と頭についていなくても、危険な人々である。
 CRISPRのようなヤバいシロモノを発明してしまうから、ではない。好奇心とはほぼ無関係に、国家や民族や階級の勝利のために、今も昔も危険なものが作られている。科学する人が危険なのは、好奇心に駆られて、「誰得」なことを発見したり主張したりする場合があるからだ。
 「誰得であっても真理だから」と考えて行動するのは、ブレヒトの描くガリレオの話であって、現実の科学する人の話ではない。真理は、科学というゲームのルールであって、動機にはなりえない。動機はどこまでも好奇心であり、だから科学する人はけっして、崇高な目的のために十字架にかけられることはない。ダーウィン賞受賞者のように、純度100%の間抜けさで自爆するだけだ。
 最近、高純度の間抜けさを感じる案件に出くわしたので、ここに書きとめておく。

 
 apotemnophiliaという奇病がある。「自分自身の手足を所定のところで切り落としたい」という欲望を強く持続的に抱く、という病気で、実行してしまった患者も多数報告されている。もちろん医者にやってもらえるわけもないので、事故を装って切断して救急搬送されて、警察などの調べで判明するらしい。
 ある日私は、ふとこの奇病について検索していて、この論文を見つけた。
Clinical and Theoretical Parallels Between Desire for Limb Amputation and Gender Identity Disorder
 タイトルでお判りのとおり、「GIDとApotemnophiliaには共通点がある」と主張する論文である。一読に値するが、英語が苦手な読者のために、概要の日本語訳もご紹介する。
四肢切断への欲求と性同一性障害の臨床的理論的相似
 この論文は、MtF GIDについての、以下のような知見と理論的枠組み(Blanchard's transsexualism typology, BAT)を前提としている。
 
・MtFの内訳を見ると、単一のクラスタと見なすのは無理がある。homosexualとnon-homosexualの2つのクラスタがある。「男性にのみ性的魅力を感じるのがhomosexual MtF」と定義する。
・homosexual MtFは、幼少期からずっと、どんな場合でも、どんな視点から見ても、徹底的に「女性らしい」振る舞いをする。また、自分の身体が男性であることを徹底的に抹消しようとする。non-homosexual MtFにはそうした一貫性、徹底性がない。
・homosexual MtFは、社会的に弱い立場の出身(移民、貧困、低IQ、低い教育水準など)であることが多い。non-homosexual MtFはその逆。
・non-homosexual MtFは、「自分が女性の身体を得る」という考えに性的魅力を感じる(anatomic autogynephilia)。ほぼ全員が、cross-dressingで性的興奮を得たことがある。
・non-homosexual MtFは、12%が自分以外の誰にも性的魅力を感じない。57%が女性にのみ性的魅力を感じる(Lawrence (2005))。
・non-homosexual MtFは、autogynephilia以外の性的倒錯を併発していることが多い。
 
 non-homosexual MtFは、「女性の脳に男性の肉体」という神話や、identity diseaseという言葉から一般的に想像されるようなものとは異なり、性的倒錯である。彼らが性転換手術(BATの文脈では「性別適合手術」とは言い難い)を希望するのは、性欲を満たすためである――これがBATの主張するところであり、これだけでもすでに十分に「誰得」だ。こんなことを主張しても、ただ敵を作るだけで、味方はいない。
 (ちなみに上記論文によれば、non-homosexual MtFの性転換手術後の予後は良好だという。「性欲を満たす」ことはアイデンティティと深く関わっている、と著者はいう)
 
 賢明なる読者諸氏のご推察のとおり、上記論文は、apotemnophiliaとnon-homosexual MtFの共通性を指摘している。
 apotemnophiliaには、homosexual MtFのような一貫性、徹底性がない。「所定のところで手足を切り落とされた自分」という考えに性的魅力を感じる。自分自身以外の、手足を切断された人に対して、性的魅力を感じる(acrotomophilia)。apotemnophilia以外の性的倒錯を併発していることが多い。
 この共通性は、BATの強力な傍証である。適用できる範囲が狭い仮説は、アドホックなものである疑いが強い。GIDとは無関係な領域でもBATの枠組みが有効なのは、BATが有力な仮説だと考えるべき根拠になる。
 BATの枠組みをまとめると、
 
・女性に性的魅力を感じる(gynephilia)→倒錯→「女性である自分」という考えに性的魅力を感じる(autogynephilia)
・手足を切断された人に対して性的魅力を感じる(acrotomophilia)→倒錯→「所定のところで手足を切り落とされた自分」という考えに性的魅力を感じる(apotemnophilia)
 
 上の図式の「倒錯」には、erotic target identity inversionという名前がついている。ボディビルディングに励むゲイも人によってはこれに当てはまるのではないか、と著者は示唆している。
 
 上の図式を見れば、「女性に性的魅力を感じる(gynephilia)」の「女性」が、生まれたときから数十年間まるっと女性として生きてきた、家族や近所や職場にいる全人格的な女性のことではない、と想像がつく。自分の手足を切り落とせば即座に寸分の狂いもなく「手足を切断された人」になることができるが、性転換手術を受けてもそれまでの人生は変わらない。homosexual MtFの一貫性、徹底性は、「女性」の全人格性への認識と執着を感じさせるが、autogynephiliaの「女性」は、いったい何なのか。
 それは性産業やポルノ産業が作り出す、記号化・断片化された「女性」、場合によっては女性とはほとんど無関係な何か、ではないのか。
Pornography And Autogynephilia In The Narratives Of Adult Transgender Males
 この記事には、ポルノとnon-homosexual MtFやautogynephiliaの、けっして単純ではない関わりが描かれている。それは(多くの場合homosexual MtFであろう)‘trans kids’の言うこととは、ほとんど重ならない。“We need also to question the motivations, indeed be suspicious, of male transsexuals who are advocating for and supporting the transition of young children”. trans kidsの性別適合手術を唱導し支援するMtFの動機を、懐疑的に問わなければならない――anatomic autogynephiliaが性的魅力を感じるのは、全人格的な女性(homosexual MtFがなりたいと望むもの)ではなく、手術を受けたMtFではないのか、という疑いをもって。
 この疑いを抱くと、「homosexual MtFは、社会的に弱い立場の出身(移民、貧困、低IQ、低い教育水準など)であることが多い」という現象の背後にも、性的な虐待と搾取があるのではないか、という疑いが生じる。
 
 以上の話を主張しても、ただ敵を作るだけで、味方はいない。だがそれゆえに私は読者諸氏に知らせたい。これが科学だ。

Posted by hajime at 2017年06月13日 22:52