中里一日記

[先月の日記] [去年の日記]

2001年8月

8月31日

 DirectShowについて少し調べた。
 こんな化け物が動いているというだけで感動的だ。つまり、よくわからない。ゴースト位置の検出に関する数学的な問題はおくにしても、かなり手強い相手である。

8月30日

 GRT(ゴースト除去チューナー)は私にとって10年来の物欲である。
 1991年にわずか数万円で製品化できた、それもほとんどADCとDACとDSPだけで作れる代物が、なぜ今でも普及していないのか、理解に苦しむ。3次元Y/C分離やADCなどとまとめてワンチップになっていてもいいはずだ。しかし、なっていないものは仕方ない。
 さて今日、ひょんなことから、SmartVisionProのことを思い出した。ADAMS-EPG対応の、Bt878ボードである。
 ADAMSというのは要するに文字放送で、NTSCのVBI(フィールド間の時間的な隙間)に情報を入れている。SmartVisionProに特別なハードウェアが積んであるとは聞かないので、Bt878からVBIの情報を読んでいるのだろう、と見当がついた。Bt878のデータシートを見てみると、文字放送はチップ自体が対応しているうえ、VBIまで含めてキャプチャすることもできる、とある。
 そういえば、GRTの使っているGCR(ゴースト除去基準)信号はどこに埋め込んであるのだろう。あまり深く考えたことはないが、VBIではないか? 調べてみると、当たりだった。
 DirectShowのアーキテクチャを調べてみると、ビデオストリームの処理はフィルタを中心に回っている。フィルタの入出力ポート同士をつないでストリームを流す、という代物らしい。
 さっそくGCRの資料(テレビジョン学会技術報告 Vol. 13, No. 32, 1-36 (1989))を手に入れて、さらに調べを進めた。このあたりの検討はややこしいので、全部すっとばして結論である。
 VBIを含めてキャプチャできるデバイス(Bt878に限らない)と、DirectShowを使えるなら、ハードウェア非依存・コーデック非依存の、ゴースト除去ソフトを書くことができる。

8月29日

 水城せとなの「メゾン・ド・ビューティーズ」の1巻を読んだ。
 ボーイズラブを手がけていた作家には、女性観が鋭かったり屈折していたりする人が多いが、水城せとなも鋭い。
 一箇所、どうしても気になったので一言――日常的にコンビニで買い物をする貧乏人は99.9%、恐ろしく頭が悪い。考えてみれば当たり前の話だが、コンビニは日本一物価が高い。金がなくて暇のある貧乏人は、歩いてゆける範囲にあるディスカウントショップの過去1年間のチラシを暗記し、店の仕入れ経路から店長の思考回路まで把握している。そんな情熱がどこから湧いてくるのかというと、そういう性格だから貧乏かつ暇なのだ。
 なお、賢明なる読者諸氏にあっては、加賀桐恵が女だと思った人はいないものと思う。ついでに自慢話をすると、私は「らんま1/2」連載当時、紅つばさの登場第一回目でただちに男だと見破った。

8月28日

 「サモンナイト2」をやっている。
 攻略本を見たら、経験値は戦闘ごとにではなく、敵ユニット撃破ごとに加算されると書いてあった。道理でやけに難しいと思った。
 不合理なシステムである。たとえば、戦闘目標達成までのターン数に反比例するほうが、はるかにゲーム性がありそうだ。

8月27日

 9作戦のあらすじを書きたくない。
 目的―目標モデルには、あらすじの居場所はない。ストーリーとは、句読点の打ち方や、人間性に関する認識と同様、形式的な制約にすぎない。句読点がでたらめに打たれた文章が読みにくいように、ストーリーのないフィクションは読みにくい、というわけだ。
 だが、書かないわけにはいかない。きゅう。

8月26日

 告知するのをすっかり忘れていたが、現在私のメールアドレスは無効になっている。ドメイン取得に向けて動こうと思いつつ、面倒なのでそのままになっていた。

8月25日

 「サモンナイト2」をやっている。
 攻略情報がないとクリアできないような気が。ちょっとでも厳しいゲームは、チャンピオンシップ・ロードランナーしかクリアしたことのない私には辛い。
 厳しいゲームといえば、ウィザードリィでレベルドレインを食った瞬間にゲームを放棄したのは私だけではないはずだ。あれだけはいまだに納得がいかない。

8月24日

 そうだ9作戦を小説道場に送っておこう、と思い出したら、24日の金曜日だった。小説道場は27日あたりに締切があり、これを越えると発表がひと月遅れる。とはいえ、ほかに送るあてもないので、ひと月やそこら遅れてもたいした問題ではない。
 今回は、投機的要素がどう転ぶか読めない。正直、クンフーの足りない私にとっては、かなり分の悪い賭けになっている。冷静に足元を見られたらC+も怪しいが、当たりどころがよければA-がつくかもしれない。
 いつもながらにクンフーの足りない身は辛い。クンフーは短距離走と同じくらい天性のものなので、所与の条件として受け入れるしかない。私がクンフーを鍛えても時間の無駄だ。
 だが小説はクンフーがすべてではない。もしクンフーがすべてなら、いまごろ森奈津子はベストセラー作家のはずだ。

 次なる作戦の構想を練っている。
 ドナルドダック作戦を通じて、Xイデオロギーがおぼろげながらに見えてきたような気がする。この作戦であたりをつけてみたい。

8月23日

 L作戦。
 makehgt+AAHDDのコマンドライン版ができた。GUIがついたらリリースである。Disk Manipulatorのドライバを挿入するときに失敗することがあるらしいが(状況を再現できない)、今度はドライバを使わないので大丈夫だ。
 そろそろまた1から設計しなおしたいが、どうせこれが最後なのでもう触らない。無限に続くかに思えたこの作戦にも、終わりが見えてきた。

 意味のある働きをする機械には、かならず奇跡の力が入っている。
 機械にはいわゆる動作原理というものがある。これこれこういう理由でこの機械はこのような働きをします、というあれだ。あれは、機械が「まともに」働くことの説明にはならない。なぜ機械はまともに動くのか? まともに動かない理由がないからだ。
 なにかが「ある」ことを証明することはできるが、なにかが「ない」ことは証明できない。UFOや幽霊が「ない」と考えるべき理由はいくらでもあるが、証明することはできない。同様に、ある機械の中に、まともに動かない理由が「ない」とは、絶対に証明できない。
 どれほど単純に見える機械でも、まともに動かない理由が忍び込むスペースは、それこそ無限にある。奴らはどこにでも入り込む。時間とともに、移動とともに、なにげない腕の一振りとともに、予知できない方法で予見できない場所に、奴らは入り込む。
 だから、奴らの入り込んでいない機械は、奇跡の力で守られているのだ。偶然と言ってもいいが、やはり奇跡の力と言いたい。機械を作る人間は、まさに奇跡を起こすために働くのである。
 といっても、現実に機械を作ったことがなければ、奴らの存在と脅威はけっして実感できないだろう。ただ、これだけは知ってほしい――あなたの身の回りにある機械はみな奇跡の塊だ、と。

8月22日

 「サモンナイト2」は凄い、との情報が続々寄せられている。「プラネット・ライカ」もクリアしたことなので、可及的速やかに取りかかりたい。

 WinTV PVR for PCIの較正をよくよく見てみたら、Saturationの関係で勘違いをしていたので、19日の日記のデータを訂正しておいた。

8月21日

 このところ涼しくなったせいか、DVD+RW(HPがドライブを発表)だの、MICROMV(ソニーがハンディカムを発表)だの、HiFD並みに最初から見込みのない規格の製品を出す輩が多くて困る。
 DVD+RW… いまさらたった3GBのメディアをどうしろと? この製品にゴーサインを出した人間は、3GBを30GBと見間違えているのかもしれない。
 MICROMV… いまさらテープをどうしろと? この種の規格は10年は使えなければ成功とは言えないが、2011年になってもまだテープを巻き戻し・早送りしろと? DCCを知らない子供たちが作ったのだろうか。
 (DCC:1970年代末、当時まばゆいばかりの未来技術であったレーザーディスクの開発に成功し、RCAやジャパン・オールスター(パイオニアを除く)を完膚なきまでに打ち破った栄冠に輝くフィリップスが、10年ほど前に出した規格。384kbpsのMP2を、カセットテープに記録した。従来のカセットテープやDATやMDにぼろ負けし、VHDよりも普及せずに消滅)
 思えば最近のソニーはおかしい。メモリースティックのどこに勝算があるのか、私にはまったく理解できない。CFの天下を覆すような、テープとディスクの差に匹敵するような素晴らしいメリットが、いったいメモリースティックのどこにあるのか。
 (CFで思い出したが、SDカードなどという絶望的な規格にリソースを割くのは、ただちにやめてほしい。人類の可能性の浪費だ)

8月20日

 較正済みのWinTV PVR for PCIは使える。
 内部表現までにしても、ほぼ完璧な絵が出るというのは、実に精神衛生にいい。絵を見ながら勘で合わせて、「本当にこんな絵なんだろうか」と悩まなくてすむ。持っているのが5000円の安物Bt878カードでも、1万円出してカラーパターンジェネレータキットを作る価値は十分にある。
 ただし、ハンダ付けが苦手だと、完成させるのは不可能に近い。光の速さでハンダ付けできる人でも、ハンダ付けだけで1時間はかかるはずだ。あと、金属製ケースに入れろと書いてあるので、ドリルとリーマも要る。

8月19日

 「チャンス トライアングルセッション」なるTVアニメを見た。噂では、なにか凄いもの(変な意味で)だと聞いていたが、単なる間抜けなアニメに見えた。
 とりあえず、あの三姉妹で百合ればいいらしい。芸能界で百合… ようこそようこ?

 WinTV PVR for PCIを較正した。条件と結果を以下に示す。
 基準信号源は、秋月のカラーパターンジェネレータキットである。1%程度の誤差で吐けると説明書には書いてあるが、私のハンダ付けやキット設計者が信用できるという保証はない。あしからず。
 0IREの内部表現を16、100IREを235とした。MPEG2デコーダはWinTV PVR for PCI付属のもの(IntervideoのOEM)とPowerDVD 2000を試し、前者を採用した。
 Bt878(CLRボタンで出てくる調整ダイアログ)は、
輝度: 142
コントラスト: 83
色の濃さ: 101
色合い: 129
 である。
 MPEG2エンコーダ(CTRL+右ボタンの長時間押し→「診断中...」で出てくる調整ダイアログ)は、
Brightness: 233
Contrast: 228
Saturation: 255
Hue: 255
 である。
 これはコンポジット入力の較正であり、チューナー入力についてはこれで正しいとは限らない。ゴーストがほとんどない地域でSMPTEカラーバーの放映を受信する以外に、きちんと較正する方法はないだろう。

 このジェネレータはカウンタ出力ができるので、Bt878とMPEG2エンコーダのフィールドオーダーを調べてみた。
 Bt878とMPEG2エンコーダのフィールドオーダーは同じである。どちらもジェネレータとは逆になっている。が、おそらくジェネレータがTV放送と逆なので、これで正しい。

 ついでにビデオデッキの出力も較正したので、その結果も示しておく。デッキはシャープVC-FX51、バブル文明の生み出したオーバーテクノロジーの結晶…と言いたいところだが、ただの普及品である。7万円のS-VHSデッキは当時(10年ほど前)最安値に近かった。
 デッキスルー時の較正後のベクトルスコープと波形モニター(Ulead MediaStudio Pro 6.0)は次のとおり。このデッキも普及品の常のとおり、輝度を意図的に引き上げてあるので、それをキャプチャ側で差し引いた。

 なお、波形モニターの縦軸の100と0は、内部表現の256と0に対応している。
 自己録再時は次のとおり。

 デッキの値段を考えれば、悪くない結果である。色相は回っていないし、輝度もたいしてずれていない。現代の2万円のデッキではこうはいかないだろう。修理してまで使ってきた甲斐があった。

 秋月のカラーパターンジェネレータについて。
 SEMPT(SMPTEの間違い???)準拠のカラーバーを吐くと謳っているが、SMPTE風どころかエセSMPTEがいいところだ。肝心の-4・0・+4IREの棒3本(赤の下にあるはずのあれ)が、どう見ても出ていない。キャプチャカードの較正をするぶんにはあまり問題ないものの、モニタの較正をする人は困るはずだ。

 自己録再のテストをするために、そのへんにあった昔のランニングテープの中身を見てみたら、「セラフィムコール」の村雨姉妹の回が録画されていた。さすがは私。

8月18日

 ポール・M・スウィージーの「革命後の社会」を読んだ。1980年発行の評論集である。
 ジョーン・ロビンソンという経済学者がいる。イギリスのニュー・ケインジアンで、左派の経済学者としてかなりの権威があった。この人の、経済学入門のようなエッセイ(といっても一冊の本になっているが)を読んだことがある。たしか1975年頃の著作だったと思う。
 驚いたことに、ロビンソンは、中国の大躍進政策と文化大革命を懸命に擁護していた。名声ある経済学者が、人類史上最悪の飢餓などなかったかのような顔をし、文革の破滅的混乱を「たいしたことではなかった」と屁理屈をこねるのだ。我が子が人質に取られているのか、と疑うほどのありさまだった。
 「革命後の社会」を読んで、やっとロビンソンの気持ちが少しわかってきた。
 ソ連が「プラハの春」で実質的に死んだあと、中国と毛沢東は、ある種の人々にとって最後の希望だったらしい。またしても裏切られるだけなのに、と思うのは、「ある種の人々」でない人だ。ソ連の外にも、またマルクス主義の外にも、進歩を信仰する人々はいたのだ。
 なぜ人は進歩を信仰したのか。今世紀に解き明かすべき謎のひとつである。

8月17日

 ソ連科学アカデミー編の「世界技術史」を読んでいたら、とんでもない記述に出くわした。391ページから引用する。
 「自然の不合理な収奪と農業に従事する労働者の零落と貧困を正当化するために、ブルジョア学者は、いわゆる収穫逓減の法則を提唱した。そしてこの法則をもとにして、農耕において資本主義がもたらすあらゆる矛盾を説明しようとした。マルクス、ついでレーニンは、資本主義のもとでの農耕の実態をあきらかにし、土地の私有にもとづく土地の貪欲な利用と、農民に対する残酷な搾取の原因を解明した。マルクス・レーニン主義の理論は、この「法則」が科学的な根拠をまったくもっていないことを示し、その階級的・ブルジョア的本質をあばきだした。」
 ブルジョア経済学(近代経済学)を攻撃するのに、よりによって収穫逓減の法則を持ち出すとは――狂気の沙汰だ。いったいどんな糞馬鹿が、これほど最悪なことを思いつくのか。しかもそれが、1979年になってもマルクス・レーニン主義の公式理論から取り除かれずにいるとは。度し難いとはこのことだ。
 収穫逓減の法則は、理性のある人間なら誰でも正しいと認める法則である。それはこんな話だ。
 ここに農場があるとしよう。働き手は5人。この農場が、働き手の数を倍に増やしたとする。農場の収穫は、2倍かそれ以上になるだろうか? もしなるのなら、また倍にする。またなるのなら、また倍に。この倍々ゲームは、無限に続けられるだろうか? もちろん否だ。「働き手」のかわりに「肥料」でも「耕地面積」でも、同じことがいえる。倍々ゲームの限界は有限であるという、ただそれだけのことを収穫逓減の法則は述べている。
 たとえ一見、収穫逓減の法則を攻撃しているように見えても、実は流動性選好やリスクの非対称性を攻撃しているにすぎない。どこかの糞馬鹿がそれを混同したのだ。
 ところで上記の文章は、よく見ると、かなり微妙な書き方をしてある。
 「ブルジョア学者は~説明しようとした」、「マルクス、ついでレーニンは~原因を解明した」、「マルクス・レーニン主義の理論は~あばきだした」。最後だけ、主語が人物ではなく理論になっている。そのうえ、「マルクス、ついでレーニンは」「(収穫逓減の法則の)階級的・ブルジョア的本質をあばきだし」てはいない。それを「あばきだし」たと称した糞馬鹿は、「マルクス・レーニン主義の理論」という名のもとに隠された誰かだ。
 マルクス・レーニン主義とは、スターリン時代にできあがったものだ。遺伝学や言語学のみならず、マルクス主義経済学にもルイセンコがいたらしい。しかもこのルイセンコは、1979年に至っても、手をつけられないほどの権威を誇っていたらしい。
 フルシチョフの、「1980年にはソ連はアメリカを追い越す」という大言壮語がかわいらしく思えるほどの、これは壮絶なでたらめである。このようなでたらめのまかり通る国が滅びるのは必然だったと、納得せざるを得ない。

8月16日

 DScalerは設定にコツがあることがわかってきた。
 まずPixel Widthは640を選ぶ(Bt8x8の場合)。Deinterlace ModeはVideo (Greedy, Low Motion)を選択、Automatic Pulldown DetectとFall Back to...を切る。Video FormatをNTSC Japanにするのも忘れずに。
 この設定で、どんなソースでもガタつかず、コーミングもなく見られる。ただし解像度が最高かどうかはわからない。

8月15日

 21世紀最初のV-J Dayということで、今世紀における戦争についていくつか予言してみよう。
1. 先進国あるいは大国間に、かなりの規模(兵力50万人以上)の衝突が起こる
 中国とロシアがあんなに長大な国境を接しているという一事だけでも、あと100年ものあいだ武力衝突を先延ばしできるとは信じられない。
2. 核兵器が使用される
 破壊力の小さい核兵器の開発を禁止しようという真剣な動きを、いままでに見た覚えがない。つまり、核保有国はみな、使えるものなら使う気満々でいるわけだ。
3. たとえ全面核戦争が起こっても、人類は滅亡どころか、文明レベルを後退させることもない
 「核で世界滅亡」というヨタ話は、ICBM / SLBMの命中精度が足りなかった時代のことだ。マイクロエレクトロニクス技術の恩恵は、最先進国でない国々にも降り注いでいる。
 要するに、20世紀もたいして明るくない100年だったが、21世紀も同じようなものだろう、ということだ。

 映画のナデシコを、レンタルビデオ+DScaler v2.3.0で見た。
 DScalerはアニメの2:3プルダウンが苦手らしい。また、見ている途中でスキップフレーム設定を手動で変えなければならない。ソフトウェアDVDプレイヤーのノウハウは、このあたりに集中しているのだろう。
 内容のほうは、どうも私には合わない。TV版は実にすっきりと終わったのに(細かい謎を気にしても始まらない。どうせ人生も痴話喧嘩で終わるのだ)、映画のほうは終わり方がよろしくない。うーむ。

8月14日

 L作戦を再開した。
 AAHDDによる広告作戦は所期の成果を挙げている。すでにパソコン雑誌2誌から紹介記事を載せたいとのメールを得た。
 あとはmakehgtとAAHDDを統合し、HalfDiskのインストーラ周りをまともにし、ヘルプを整備すれば一丁あがりである。…長い。

8月13日

 西在家香織派は夏コミでまたもや勝利を得た。関係者諸氏に厚く御礼申し上げる。

 へっぽこくんの新刊、「ムクナテンシタチ」を読んだ。まったくもって素晴らしい。
 近年、姉妹物が増えているのを感じる。このペースで伸びつづければ、来年には母娘物との比率が逆転するだろう。

 WindowsCEの開発環境をいじっている。夏コミのスペースで香織派の新兵器をご覧になったかたもいらっしゃるだろう。コミティアではさらなる新兵器も登場する予定である。乞うご期待。
 強制UNICODE化政策はやはり無理だったのか、最近はfopenやatoiも使えるようになっている。が、isdigitが使えない。isdigitが使えないのにatoiが使えても、どうしようもないではないか。うーむ。

8月11日

 児童ポルノ禁止法の強化に向けて、またぞろ国賊どもが蠢いているらしい。
 レーニンが「プロレタリアのために」と信じて行ったことの結果なにが起こったのか、彼らはまるで理解していないらしい。ソ連が、ロシア人の人間性を改良するためにどれだけ辛抱づよく長いあいだ努力したか、まるで知らないらしい。
 でなければ、「子供のために」という大義名分や、「行政的手段によって人間性は改良できる、すべきである」という信念を、どうやって持てるのだろう。
 もっとも、人間はけっして歴史から学ばない動物である。私がこうして嘆くことも、私が歴史から学んでいないことの例証なのだ。

8月10日

 最近流行っているようなので、私もやってみた。

 諸君私は百合が好きだ。諸君私は、百合が好きだ。諸君、私は百合が大好きだ。
 学園物が好きだ。女囚物が好きだ。幻想物が好きだ。歴史物が好きだ。
 推理物が好きだ。病院物が好きだ。SF物が好きだ。大奥物が好きだ。格闘物が好きだ。
 宿敵と、級友と、
 母親と、従僕と、
 教師と、同僚と、
 奴隷と、姉妹と、
 隣人と、先輩と。
 この地上で作られた、ありとあらゆる百合物件が大好きだ。
 長い長い逡巡の果てに頬を染めた下級生が満開の桜の下で上級生に想いのたけを打ち明けるのが好きだ。
 びっくり仰天しながらも上級生が情熱にほだされてうなずいた時など心がおどる。
 性悪女の操る手練手管の嘘泣きがお嬢様を誘惑するのが好きだ。
 羞恥に目覚めて服を脱ぐ手が止まり逃げ出しかけた相手をキスで引き止めた時など胸がすくような気持ちだった。
 初体験をひかえた処女の受が必死に虚勢を張るのが好きだ。
 混乱状態の小娘が、既に整えたベッドを何度も何度も点検している様など感動すら覚える。
 跳ねっ返りの男装少女が衣服を脱ぎ捨ててゆく様などはもうたまらない。
 泣き叫ぶ振られ女が相手の投げた一瞥とともに、猫撫で声を出して昔の思い出をとつとつと語りはじめるのも最高だ。
 哀れな奴隷少女が、浅墓な考え違いで対等に振る舞おうとしたのを、女主人の鋭い平手打ちがプライドごと木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える。
 女装やふたなりに滅茶苦茶にされるのが好きだ。
 萌えに萌えていたキャラが実は女装で、夢が失せ希望が潰えていく様はとてもとても悲しいものだ。
 良識の重圧に押し潰されて日和るのが好きだ。
 途中登場の男にかき回され、児童書の様に友情を謳い上げるのは屈辱の極みだ。
 諸君、私は百合を、天国の様な百合を望んでいる。
 諸君、私を観察する読者諸君、君達は一体、何を望んでいる?
 更なる百合を望むか? 甘くせつない夢の様な百合を望むか?
 恋情敬慕の限りを尽くし、三千世界の娘に萌える、嵐のような百合を望むか?
 「「「百合!! 百合!! 百合!!」」」
 よろしい。
 ならば百合だ。

 「百合すと2」、完成。
 8月12日、東地区パ36bにて待つ。

8月9日

 ドナルドダック作戦。
 参指物件のレビューを終了した。イントロダクションの「現代百合の基礎知識」を光の速さで書き上げ、ページを割って目次を作り、明日の午前11時にはプリンタから版が吐き出されているに違いない。

 昨日の問題の解答は、池田理代子原作「おにいさまへ…」である。

8月8日

 ドナルドダック作戦。
 あらすじ当てクイズ再び。

 『おにいさまへ…』ごっこを大真面目でやる話です。

8月7日

 京大に行ってきた。
 柘植一也が住んでいるのはこういうところなのかと思うと感慨深い。なんとなくダダ&一也シリーズへの理解が深まったような気がする。文学部宗教学科のあたりにも行ってみたかったが、あいにく時間がなかった。

8月6日

 ドナルドダック作戦。
 …………………………ぜったい大丈夫だよ!

8月5日

 ドナルドダック作戦。
 学指物件のレビューは終わった。あとは百合論の仕上げと、感情移入システム論をコピペして手直しするのと、参指物件のレビューを書けばいい。
 ……ヤバい?

 昨日の問題の解答は、榛野なな恵の「ピエタ」である。

8月4日

 今月の電撃大王、新連載の「ブリリアントマシーン」が気になる。

 ドナルドダック作戦。

 「それは昔むかしのお話です。
 あるところに、お母様をなくし、悪い継母にいじめられて途方に暮れていた幼い女の子がいました。女の子の前に、通りすがりのお姫様が現れます。たったひとりで深い苦しみに耐える小さな君、この世はろくでもないところだけれど、少なくとも私はここにいます。
 私たち、また会えるわよね? と訊ねるのを忘れたので、女の子はお姫様を見失ってしまいました。お姫様との出会いのあとも、相変わらず悪い継母のいじめは続き、女の子は苦しみに耐えつづけました。お姫様との出会いは、結局はただ女の子の苦しみを長引かせただけだったのでしょうか?
 それはいいとして、女の子はお姫様に恋焦がれるあまり、女たらしになってしまったのです。
 でも、いいの? 本当にこんなあらすじで?」

 これはなんのあらすじか、おわかりだろうか。答は明日の日記で。

8月3日

 ドナルドダック作戦。
 『あやかし忍伝くの一番』のどのシーンをキャプチャして使うかが悩ましい。セーブデータもないし、あまりプレイする時間もない。うーむ。
 時間がないので、パルフェについては攻略本(?)からスキャンして使うことにした。やはり持つべきものは資料だ。

8月2日

 9作戦を完了した。
 軌道修正をかけたら、駄作は脱した。しかし、面白すぎる、というには不完全燃焼だ。うーむ。
 なお、タイトルは「のばら級」と決定した。

 ドナルドダック作戦がまださっぱり終わらない。たかが2ページのレビュー×9がなぜこんなに大仕事なのか、我ながら理解できない。

 最近、GRTつきD-VHSが、6万円で売られていると知った。
 私は去年、チューナーつきキャプチャカード(WinTV PVR for PCI)を3万円で買った。しかし、なにもかも(特に色再現性)が怪しいカードで、いまだにろくに使えていない。
 私は敗北を知った。きゅう…

 今週の「NOIR」も萌えた。予告を見ると、来週はさらに萌えそうだ。

8月1日

 ドナルドダック作戦。
 まともな特性のVHSデッキとキャプチャカードが欲しい。つまり、業務用VHS編集機と、Power Capture Proと、最小限の調整機器一式が。あわせて50万円くらいだろうか。
 もちろん、そんな金は逆さに振っても出てこない。デッキをあけて半固定抵抗をいじるのが精一杯だ。しかしその前にまずカラーバージェネレータを… たかが8000円(秋月のキット)、されど8000円。きゅう。

 

今月の標語:

過去一世紀の歴史をこのように読みとることは、圧倒的な反対の証拠があるにもかかわらず、なお信じたいと思うことを信じうる人間の精神力への賛辞とさえなるものと私には思われる。

『革命後の社会』(1980年)
ポール・M・スウィージー(マルクス主義理論家)

 

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