TVアニメのTo Heartを見た。
…樋口の志保どうよ?
実物のボク女についての調査の結果をまとめておく。
1.都市部にはボク女は少ない
数少ないボク女は、オタク女であることが多い。
2.都市部では、ごく内輪でのみボク女である場合が多い
その内輪に入らずにいる人は、ボク女と遭遇する機会がない。
3.地方部ではボク女は比較的多く、オタク女であることも少なく、内輪に限られることもない
この都市部と地方部の違いがどこから生じるのか、きわめて興味深い。
ただし、聞き取り調査の対象とした人が、高学歴に偏っていることを付記しておく。
MS Audioとmp3の音質とエンコード・デコードを比較した。ビットレートは双方128kbps、mp3のエンコーダはAudioactiveである。
結論:その筋の耳がないかぎり、意味のある判別をすることはできない。
ここでいう「意味のある判別」とは、比較対象なしに聞かされた音がMS
Audioかmp3かを判別することができない、という意味である。聞き比べていいのなら、少し訓練すれば判別できるようになるだろう。印象を言えば、華やかなMS
Audio、老獪なmp3といったところか。将棋でいえばMS
Audioは羽生、mp3は中原だ。
エンコード速度は比較にならない。デコーダの性能そのものは甲乙つけがたいが、使い勝手や楽しさでは当然、mp3に軍配が上がる。
現段階で家で使うぶんには、playlistが簡単に作れるmp3を選ぶ。ただしMS
Audioのエンコード速度はどうにも魅力的だ。playlistの問題が解決されればMS
Audioでいきたい。
現在書いている超ハ級長篇百合小説に、ようやく三番打者が登場した。
シャープで迷いのないバットスイングを心がけながら書いている。土萌ほたるとカヲル君を足して二で割ったような日和ったヤマの張りかたが、我ながらやや情けない。綾波みたいなとんがったヤマが張りたいよジョニー… いや四番で張っているのだが。
実際問題、四番は「三振かバックスクリーンか」、五番はほとんど出てこないので、三番は当ててゆくバッティングをしないとまずい。どうも一番の打率が予定より悪そうなので、三番の打率にはさらに期待がかかる。ちなみにこの三番は、マルチを超えることを目標にしてデザインした。
こうしてみると、二番打者を犠打に特化したのは失敗だったか。考えてみればTo
Heartは、委員長や琴音といった下位打線がいたために、二番・志保の打撃力のなさが問題にならなかったのた。下位打線の薄いこの話では、二番の打撃力を捨てるのはまずかった。
教訓:二番打者を犠打専門にするには、下位打線の充実が必要。
TVアニメのTo Heart、委員長役は久川綾だという。うーむ。樋口志保の件といい、どうもキャスティングの感覚が私とは違うらしい。
パソコン屋の店頭デモで、Palm-size PCが動画を再生しているのを見た。
すさまじいばかりのサイバー感である。コイツは21世紀からタイムマシンでやってきたオーパーツだから明日あたりタイムパトロールがやってきて持っていっちまうに違いない、今すぐゲットだ兄貴! と思わずスタパ節になってしまうくらいのインパクトがある。
が、考えてみればあと2年で21世紀なのだから、これくらいのものはできていて当たり前だった。
21世紀。それは本当にやってくるのだ。
リーフの新作、「こみっくパーティー!」の評判が芳しくない。多くの環境でトラブルが生じているという。品質管理担当はなにをやっていたのか。それとも、そもそも品質管理担当など置いていないのかもしれない。
本当に、リーフは稼いだ金をどこに使っているのだろう。
MS Audioのエンコードはとてつもなく速いらしい。Celeron
466MHzで、5分のデータが20秒でエンコードできるという。
しかし、mp3より低ビットレート・高速エンコード・低品質を狙うのは、戦略的にいって疑問である。
半導体の価格と速度は指数関数的に改善される。現在すでに、mp3と10GBのHDDの組み合わせは160時間以上の音楽データを収納できるし、KNI対応のエンコーダはmp3のエンコード時間を劇的に縮めるだろう。mp3の品質と性能が市場ニーズにぴったりと当てはまる季節は、むしろこれからやってくるはずだ。
私はMS Audioの将来を危ぶむ。MS Audioは、mp3の季節を叩くべく、mp3と同ビットレート・低速エンコード・高品質を狙うべきだった。
現在のギャル理論の最大の壁が「萌えないギャルの記述不可能性」であることが次第に明らかになってきた。
ギャル作品の全体構造を分析・構成する道具はすでに出揃った感がある。問題は、個々のギャルを分析・構成する方法だ。
ここで堀内氏のシチュエーション主義がクローズアップされてくる。おいしいシチュエーションを網羅するリストを作成し、各シチュエーションをなんらかの方法で重み付けし、ギャルが含みにするシチュエーションの数と重みの総計でギャルのスペックを判断する、という方法をとれば、萌えないギャルの記述不可能性を回避できる。
が、この方法はいかにも面倒くさい。ある数学者は、四色問題の証明(コンピュータを使って場合分けして数え上げた)を、「正しいが、美しくない」と評したという。ギャル理論も美しくあるべきだ。それにはやはり、萌えないギャルの記述不可能性を正面から乗り越えねばならない。
きっと、最適化原理のような突破口が、どこかに必ずある。
私は現在セルビアびいきなので、セルビアを擁護する屁理屈を考えてみる。
まず問題を整理しておくと、コソボ問題は以下のような経緯をたどっている。
1.コソボのアルバニア系住民が、セルビア民族主義のために差別的扱いを受けていた。
2.KLA(コソボ解放戦線)がコソボ独立を目指してゲリラ戦を始めた。
3.KLAを掃討するためにセルビア軍が投入された。その結果、対ゲリラ戦の常として、セルビア軍は住民を虐待した。
4.NATOが、セルビア軍によるコソボ住民の虐待に注目してセルビア政府に干渉し、最後には人道的空爆を始めた。
そもそも1があるから2が始まったので、結局セルビアが悪い、という意見もあろう。「人道的空爆」というものがありうると考えられるくらいには良識的な意見である。
さて、何気なく「ゲリラ戦」と私は書いた。が、読者諸氏はゲリラ戦なるものをどれくらいご存じだろうか。
私の理解によればゲリラ戦とは、次のようなメカニズムで作動する一個の戦争機械である。
ゲリラが目標とするのは常に、現政府のもっとも弱い部分である。具体的には、地方にいる公務員(警官・役所の職員など)を狙うのが一般的だ。彼らは数が多すぎ、またあちこちに分散しているので、その全員に厳重な護衛をつけることなどできない。したがって小人数のゲリラでも容易に拉致・処刑できる。
政府は当然、ゲリラを掃討するために軍を動かす。このとき、最低でもゲリラの三倍、たいていは十倍、時には百倍以上の兵を投入する。この人数の差こそ、ゲリラ戦という戦争機械を動かす燃料だ。
仮に、ゲリラと政府軍の軍紀が同程度だとしよう。軍紀が同程度なら、兵一人当たりの住民を虐待する頻度は似たようなものであり、となると、政府軍はゲリラにくらべて十倍も住民を虐待することになる。住民が「政府軍=悪者」と思いこむのはたやすい。この結果、住民はゲリラ側につき、ゲリラを養い匿い、兵士を供給してくれるようになる。政府軍を呼び寄せたのはゲリラなのだから悪者はゲリラのほうだ、という考えはどこかに追いやられる。人は、殴らせた者でなく、殴った者を憎むのだ。
政府軍を呼び寄せ、政府軍に住民を虐待させて、住民をゲリラ側につけること。これこそがゲリラの狙いであり、ゲリラ戦という戦争機械の心臓部である。
私がゲリラ戦を「戦争機械」と呼ぶ理由がおわかりいただけるだろうか。ゲリラ戦とはなにも特殊で神聖なものではない。条件さえ揃えば世界中どこでも動く機械にすぎない。
その条件も、なんら民主的なものではない。ゲリラ戦は地理に影響されるし、それ以上に隣接国に大きく影響される。多数決でさえない。アルジェリア独立戦争において、フランスがついに敗れてアルジェリアを去ったときにも、アルジェリア人の半数以上はフランス政府に忠実だった、という意味のことをあるフランス側の人間が言っている。おそらくこの観察は正しい。
過激の穏健に対する優越、「正しい戦争」の「悪い平和」に対する優越、つまり殺すことの話すことに対する優越を、ゲリラは基盤にしている。これが民主的だったり人道的だったりするとは、私にはとても信じられない。少なくとも、秩序と平和を愛する人々ならとても肯定できない方法のはずだ。
しかし今回、NATOはゲリラのKLAに味方している。セルビア軍の行動をやめさせるだけならまだしも、KLAの直接支援まで始めたという。ゲリラの味方をするのは、秩序や平和よりもセルビア打倒を優先させる、という意図としかとれない。人道の最要件が生命の安全でないとしたらなんなのか。人道は死人の役には立たない。
人道ではなく国益のために人殺しをするという点では、セルビアもNATOも同じ穴の狢である。ゲリラに味方する分、NATOのほうがやや悪い狢のように思えるのだが、どうだろうか。
眠い。
小説の資料を求めてPINK HOUSEのサイトに行ったら、Flash使いまくりのハッタリききまくりのよくできていまくりで、かなりビビらされた。
このサイトを眺めて、PINK HOUSEはマイカルグループらしいと初めて知った。ちなみにマイカルグループの企業はほかに、出版社のビブロスがある。うーむ。
PHのなにを調べようとしたのかというと、BABY
PHとノーマルPHの守備範囲である。子供服はBABY PHということだけは知っていたのだが、守備範囲の境目がどのへんなのか知りたかった。が、サイトのどこにもはっきりとは書いていない。全文検索エンジンをちらっと試したかぎりでも、境目の記述は見当たらない。
身長141cmの13歳が着るとなると、どちらなのだろう。しかしもうデザイン的な問題でノーマルPHに決めてしまった。ノーマルPHも小説ならではの無理筋だが、BABY
PHを着たらもう絶対にギャルではない。
「141cmはアウト」とか「PHはやめてWWでゴー!」とかいう情報があれば、メールでお寄せいただけるとありがたい。
しかし、いま書いてみて気がついた。身長141cmの13歳は少々辛い。この歳なら平均身長は150cm以上のはずで、141cmはかなりのちびだ。マルチなどの使う身長差攻撃を取り入れてみたのだが、考えてみれば、主人公の背が低い百合では身長差攻撃は難しい。それに、女子は12歳かそこらで身長の伸びがほとんど止まるというのも痛い。
セルビアへの空爆が始まってから、今日で2ヶ月らしい。
どういうわけか戦争というのはたいてい、始めるときには、とても簡単で自明なことのように思える。きっとKLAもそうだったのだろう。
マルチに転げたことでも知れるように、私は頑張る人が好きなので、KLA・NATO・セルビアのなかではセルビアをひいきしている。もしNATO地上軍がセルビア領内に入るまで頑張ったら、私は生涯セルビア製品を優先的に買うようにするだろう。
今日の教訓:プロセスは忘れた頃によく落ちる
CPUを交換するメリットのひとつは、Windowsではなくハードが原因で落ちる場合が多いとわかることである。読者諸氏もぜひ試されたい。
現在書いている超ハ級長篇百合小説に、声優をキャスティングして遊んでみる。読者諸氏には無用なものなので読み飛ばされたい。
主人公:南央美
役の男女を問わず、受キャラ役といえばこの人に決まり。最近のヒットは「守護月天」のめがねくん。
一番:岩男潤子
アクのない美少女役をやれば日本一。だからCCさくらの知世役はミスキャストのような気が。知世ちゃんアクありすぎ。
二番:三石琴乃
過剰感ただよう演技が役にマッチしていい感じ。狂言回しには過剰感がよく似合う。二番打者といえばTo
Heartの樋口(志保役)どうよ?
三番:桜井智
誰でもできそうな役なので、逆に難しい。とりあえず桜井智。
四番:白鳥由里
この人の確信犯ぶりには常々頭が下がる。天然ボケと確信犯を両方こなすには適任と思うがどうか。
五番:天野由梨
「出世しそうな声」で選んだらこの人になった。ホワーイ? ちなみに高山みなみも出世しそうだが、声質の問題で天野。
「桃色四月少年」のドラマCDを少しだけ聞いた。
諸君、結城比呂の受キャラは嫌だということを確認しよう(学生自治会風)。アンジェリークのマルセルも、声が結城比呂でなければ私のひいきだったろうに。
しかし嫌な受キャラの声といえば私的には、ちはや(OAVのアーシアン):佐々木望にとどめを刺す。女性の声優にすればいいものを、なぜ佐々木望。男がちはやを演るのは紅天女を演るのより難しいよ姐さん…
明日はカードフェスだが、早起きできないうえ金がないので行かない。きゅう。
W・G・アストンの「神道」という本を読んでいる。
神道に関しては、本居宣長はトンデモだということがよくわかった。そういえば、本居のアンチ中国ぶり(口ではさかんにアンチ中国を唱えつつ、日本の歴史を中国思想で書き換えた)については以前どこかで学んだような気がするが、どこだっただろうか。
最近のLeaf Fightはどうやら、バトルレスとロックデッキが強い世界らしい。
考えてみれば、Leaf Fightは志保ちゃん情報がコスト的に重い。これはロック側に圧倒的に優位に働くはずだ。ロック側は相手ターンのエンドフェイズに動くので、相手ターンのメインフェイズ中に使えるコストが多い。イベントカードで突破口を開こうとしたら志保ちゃん情報の餌食、というパターンを作るのは簡単だ。対ロック側はコストがないので、大雨・会場閉鎖を叩くのが難しい。
志保・琴音・あかりを含む5枚をロック側に並べられ、さらに手札には大雨と会場閉鎖、という状態になるとハマリ形なので、その前にリーダーを叩くか、出てくるキャラを各個撃破する、ということになる。となるとコスト的に軽いルミラは、対ロックには耕一よりも有利なはずだ。また大雨・会場封鎖を叩く志保ちゃん情報も使いやすい。が、耕一リーダーなら、ハマリ形に対抗できる柔軟さのあるデッキ設計が可能になる。
というわけでここしばらくは、ロック・バトルレスかルミラか耕一か、というあたりではないかと思う。
眠い。きゅう。
今週の咲香里の「春よ、来い」、…もしかして作者は、大ゴマを一個使うと寿命が三日縮むということを知らないのだろうか(嘘)。なんとも明日を捨てたコマ割りだ。
昔、「カスタムメイト」というエロゲーがあった。
このゲームは、絵も話も冴えないが、人をへこませる打撃力には驚異的なものがあった。なにしろコンセプトからして途方もなく寒い。
オ×ムで座禅ジャンプを修行すると、ジャンプできる高さがどんどん上がってゆき、最後には第一宇宙速度に達して衛星軌道に乗るという。これをオ×ムでは「空中浮揚」と称しているらしい。第一宇宙速度を出している写真はとても撮れないので(なにしろ秒速数kmだ)、かわりに練習中の写真を撮っているのだと聞いたことがある。
「カスタムメイト」のコンセプトを出した人はおそらく、座禅ジャンプを極めて宇宙空間の寒さを体験し、その寒さをそのままコンセプトにしたのだろう。この寒さは地上のものではありえない。あまりにも寒いために、そのコンセプトをここに書くことなど、とてもできない。そんなことをしたら手もWindowsも凍ってしまう。
だが、なぜこれほどに寒いと感じるのだろう。ここには、「萌え」の根源への手がかりがあるような気がする。
そういえば、津原やすみの「ロマンスの花束」に、印象深い一節がある。
『「それに、あたしの好みは難しいの。もし誰かが『きみの好みに合わせるよ』って言っちゃったら、その時点でその人は好みの人じゃないのよ。自分の意思で努力する人が好きなの」
「しかも、毬谷の好みの方向に」
「そう」』
つまり、そういうことなのかもしれない。
まさかと思うが万が一、億万が一にも真に受ける人がいるといけないので断っておくと、オ×ムの座禅ジャンプの話はフィクションなので誤解のなきよう。
実物のボク女に関する調査に新たな展開があった。
第一に、聞き取り調査を総合した結果、「ボク女=オタク女説」がきわめて有力な仮説として浮上した。しかしこの仮説だけでは「万人に一人」という低密度(今月2日の日記参照)を説明することができない。「内輪でのみボク女」との組み合わせが必須である。
第二に、中国地方出身の人に尋ねたところ、複数のボク女が周囲にいたという証言を得た。もしかすると、全国的に見て東京は、ボク女の少ない地域なのかもしれない。
「萌えないギャルの記述不可能性」という概念について考えている。
現在のギャル理論によれば「萌え」というのは、キャラや設定の持つ含みによって生じる現象とされている。が、キャラや設定の持つ含みを知っているからといって、ただちに萌えが生じるとは限らない。
たとえば、ギャルが主人公のことを「お兄ちゃん」と呼ぶのは、きわめて一般的な萌えの発生源(萌えソース)である。が、私はこれには萌えを感じない。いわゆる「お兄ちゃん回路がない」状態である。これはもしかして、私がお兄ちゃんギャルの含みを十分に知らないためかもしれないが、それだけとも思えない。
ここで問題になるのが、「萌えないギャルの記述不可能性」である。
私は「お兄ちゃん」萌えを欠如した状態にあり、そのため、お兄ちゃん回路を説明することができない。また、たとえお兄ちゃん回路の説明を受けても、自分に回路を組み込むことはできない。このため、もし私がお兄ちゃん回路を説明するなら、それは以前受けた説明の受け売りになる。お兄ちゃん回路の説明は、お兄ちゃん回路を持っている人にしか理解できないのである。
この構造は、未知の萌えソースの発見が難しいことを意味する。たとえば、猫耳という萌えソースが発見されていない世界で、どうやって猫耳を発見すればいいだろうか? おそらくは、試行錯誤の結果として猫耳にたどりつき、そして発見者自身が猫耳に萌えなければならない。その試行錯誤はきっと、「新しい萌えソース一丁頼むわ」「あいよ」というようなものでは到底ありえない。新しい萌えソースの発見に要するコストは膨大なものになるだろう。
もし萌えないギャルの記述不可能性を乗り越えることができれば、未知の萌えソースを系統的な手法で、低コストで発見できる可能性がある。萌え回路の形成過程とあわせて考察を進めたい。
どうも来年4月からの生活が怪しくなりつつあるので、勤め先を募集中。委細メール。って、こんなところに書いても仕方ないので、なんとかせねば。きゅう。
リーフの新作の出荷が延期されたという。エロゲー雑誌でチェックしたところ、20世紀も終わろうというこのご時世に256色である。
いったい、儲けた金はどこへ行っているのだろう。とりあえず、プロジェクト管理の人材を引き抜く・養成するのがなにより先だと思うのだが。
ギャル理論の討論において、「あざとさ」という概念が話題になった。
とりあえず現在、以下の二つの説が出ている。
・口実説
読者がなんらかの理由でラブラブ・うはうはを拒否した場合、その理由として後づけ式に「あざとさ」をもってくる。つまり、「あざとさ」という実体は存在せず、読者が自分の行動を説明するための口実としてのみ存在する。
・リミッター説
ギャル作品のラブラブ・うはうはには常にあざとさが存在するが、それが読者の許容量以下であるあいだは、あざとさとしては感じられない。許容量を超えたとき初めてあざとさが感じられ、ラブラブ・うはうはへの拒否を引き起こす。
二つの説の由来を説明するために、議論の経緯を少々説明する。
事の発端は、To Heartのマルチである。あかほり派の首魁である堀内氏が、マルチを「あざとすぎる」と批判したために、「人間ならとても受け入れられないようなベタベタの媚びを全部『ロボットだから、そういう風に作られているから』という説明で受容させるところがマルチの凄さだ」と主張する私と真っ向から衝突することになった。
なぜ『ロボットだから』という説明で受容できないのかを追及するうちに、堀内氏に妹がいることが注目された。マルチは妹的なキャラである。現実の妹というものを知っている堀内氏はマルチの「妹性」に拒否反応を起こし、その拒否反応の理由を「あざとさ」という口実に求めた、という見方である。
が、さらに議論を進めるうちに、「妹性」という概念が怪しいことがわかってきた。さらに、YT卒派(田中芳樹卒業派)の月無氏が、「マルチが『人間のため』に働いているあいだは受け入れられたが、『主人公のため』になったとき拒否反応が起きた」と証言したために、リミッター説が浮上した。
リミッター説によれば、『みんなのため』という行動原理や『ロボットだから』という説明は、あざとさの許容量を引き上げる効果を持つ。月無氏の場合、マルチが主人公のために行動することで『みんなのため』という行動原理が事実上失われ、許容量の減少が拒否反応の引き金になった。堀内氏の場合、月無氏よりも許容量が小さく、『みんなのため』『ロボットだから』の助けがあっても拒否反応を生じた、となる。
私は口実説を持ちたいが、リミッター説にも無視しがたい説得力を感じる。私自身、『ギャル作品だから』で許容量を引き上げていないかと問われると、否定できない。
ラブラブ・うはうはへの拒否反応の抑制は、ギャル作品にとってきわめて重要な課題である。第二層の自己同一化は第一層にくらべて拒否反応を起こしにくいと思われるので、この方面からも百合の可能性を追求したい。
現在書いている超ハ級長篇百合小説の上位打線を、冷静に思い返してみた。
このリストを見るだけでも、ギャル理論の恐るべき破壊力のいくばくかが伝わるのではないかと思う。
主人公:
親なし金持ち割と美人のめがねっこ(17歳)
一番:
和風でロリな神様(推定13歳)
二番:
峰不二子系の宇宙人(推定20歳)
三番:
電波系(?)(推定15歳)
四番:
Sの世界を夢見るボク女(17歳)
五番:
企業グループの会長代行(28歳)
まさに超ハ級である。
私は本当にこんな話を書いている。嘘ではない。本当のことだ。
自分を褒めてあげたい。
M IIでWinampを使うと、やたらに不安定である。いかにも機械を使っているという気がして悪くない…と言いたいところだが、Windowsごと落ちずにプロセスだけ落ちるので、今一つ物足りない。
Windowsを落とすソフトはどこかにないものだろうか。WindowsやCPUのロジックのバグをつつくような、ソフト的なものではいけない。ダイ上の部分的な過熱や、瞬間的に消費電流を増大させて電圧低下を招くといった、まさに「ハードウェア」な手でCPUリセットを狙う、そういうソフトが欲しい。
超ハ級長篇百合小説は現在110枚、三番を除く全上位打線の展開を終えた。これから下位打線の顔出しと三番打者の登場、二番・三番中心の捌きがあって第一話の終了である。
やはり五番が弱い。四番・五番は含みに使うだけで捌かないので(含み戦略)、この弱さはいただけない。かといって下位打線にするにはポジションが重要すぎる。うーむ。
私が今、この世で三十番目くらいに知りたいもの、それはgooの検索キーワードのベスト100である。
週刊アスキーかなにかに、ジャンル別の週間ベスト10が載っているが、あれではない。生の、加工前のベスト100が見たい。それはたぶん、人間というものをもっともよく教えてくれる100語のはずだ。
アキバの某店で、謎のSocket 7/370用ヒートシンクが売られている。
フィンが薄い板状で、枚数が少なく(10枚もなかった)、間隙が大きい。いったい何を目的にして作られたヒートシンクなのだろう。あのサイズだと、自然対流では10Wも支えられない。自然対流で20Wを支えるには包絡体積500cm3が必要なのだ。
実物のボク女についての調査が進んでいる。
某有名女子進学校の卒業生によれば、知る限りではボク女は一人もいなかったという。これで「高学歴=高ボク女率」は一応否定された。現在、「女子校=低ボク女率」を疑っているが、共学校でのデータが不足しているのでなんともいえない。
ギャル理論は現在、「うはうは」の分析が進んでいる。
ギャルによって引き起こされる嬉しい状態には「うはうは」と「ラブラブ」の二種類がある。「うはうは」は主人公が受け身であることを特徴とし、「ラブラブ」はギャルと主人公の共犯性(変な言い方だが)を特徴とする。
うはうはは、「見ちゃった系」、「愛され系」などに分類できる。「愛され系」は説明を要しないだろう。「見ちゃった系」とは、「うっかり襖をあけたら着替え中のギャルがいて、ギャルは恥ずかしがりながら目覚し時計をぶん投げる」というシーンに代表される種類のうはうはである。
見ちゃった系は、「恥ずかしがりながら」というところが重要である。ギャルが恥ずかしがらなければ、うはうはでもなんでもない。このため、見られて恥ずかしいという感性がない男性キャラがギャルであるボーイズラブには、見ちゃった系はない。逆に言えば、ギャルが恥ずかしがりさえするなら、脱いでいるのは眼鏡でもいいのだ。
そして、見ちゃった系は、現在の百合にはあまり見られない。百合では着替えのシーンは見ちゃった系になりにくいが(なぜ恥ずかしいのかを説明するのが難しいため)、ギャルが女性キャラなので、見られて恥ずかしいという感性自体はある。これがあれば、先に眼鏡の例で示したように、見ちゃった系は百合でも成立する。百合で使えるような見ちゃった系のシーンを数多く作って世に広めれば、百合はまた一歩前進するだろう。
モバイルギアIIモノクロ版の新機種、MC-R320が出た。液晶の視認性が改善されているというが、どんなものだろうか。
私的には、MC-R300の液晶とROMだけ新機種のものと交換してもらうのが一番いい。聞くところでは最近のモバイルギアIIは、コネクタの蓋が安っぽいゴムになっているという。シリアルポートの蓋の高級感が気に入っている私としては、これは困る。あと、メモリが16MBというのもよくない。8MBのときと比較して、サスペンド時のバッテリの持ちが半分になってしまう。うっかりしばらく放っておいたら中身が消えていた、では困る。
完全無音マシンのための覚え書を少々。
ヒートシンクのメーカは皆チキンと見えて、自然対流用のCPUヒートシンクの製品はない。もっとも、市販のケースをそのまま使うと自然対流では絶対に冷やせないので、当然といえば当然である。ケース・電源・CPUヒートシンク・マザーボード・拡張カードの五つがすべて噛み合って、はじめて完全無音は達成できる。
ヒートシンクのファンでは、自然対流の5倍程度までしか熱抵抗を減らせない。逆に言えば、ファン付きの状態での熱抵抗に5を掛ければ、ファンなしの状態での熱抵抗が計算できる。
Socket 370を使うとすると、縦置きと横置きのどちらが有利か難しい。縦置きではヒートシンクの垂直方向の断面積が少なくなり、横置きではマザーボードの発熱が強く効いてくる。Slot
1を使えばよさそうだが、今度はヒートシンクのマザーボード側から空気が入らないという弱点がある。
これはおそらく、縦置きケースの上下を開放にして、対流で生じた気流を煙突式に生かす、というのが正解ではないかと思う。CPUはSocket
370、ヒートシンクはできるだけ背の高いものを選ぶ。
K6系のCPUは、Celeronに比べて耐熱温度が低いので(Celeronが85℃、K6-2のAFQが60℃)、完全無音マシンには向かない。
NTT DoCoMoの「ドッチーモ」というのは、どうやらPDCとPHSの両方の基本料金を払わなければならないらしい。
結論:ドッチーモはcdmaOneの敵ではない。
日販の文庫週間ベストセラーランキングの集計期間をそろそろ過ぎたころだと思うので、今野緒雪の「マリア様がみてる いばらの森」(コバルト文庫)について触れておきたい。
「奇襲要素と圧倒的火力がないと弱い」というのが正直なところである。
最初の無印は、火力はそこそこながら戦略的奇襲だった。「黄薔薇革命」の例のシーンは、その圧倒的火力によって、あれ一発で勝負を決めてしまった。
今回は、奇襲要素も圧倒的火力もなかった。となると、細かい動きでいかにポイントを稼ぐかになる。が、作者はそういう細かい動きがあまり得意ではないらしい。ワンパターンでも奇襲と火力のほうがよかっただろう。
そういえば、津原やすみは細かい動きが抜群にうまかった。津原やすみファンだった私は、それと比べてしまうという事情もあるかもしれない。
野球理論において、打順とキャラの年齢のあいだに相関があるのではないかという意見が出された。
クリーンナップは、三番・四番・五番の順に歳が上がってゆく場合が多い。To
Heart(マルチ・あかり・来栖川)はこのとおりになっている。エヴァ(アスカ・レイ・ミサト)はアスカとレイの歳は同じだが、順番は崩れていない。
うまくあてはまらない作品もある。天地無用(砂沙美・魎呼・阿重霞)では、四番より五番のほうが年下と見える。
考えてみれば、ヒロインの上下を年上・年下で挟むという発想はごく当たり前のものである。最適化の一例ではあるが、とりたてて言うほどのことでもない。
同じ討論で、ギャルの年齢の下限と最適値も議題にあがった。
下限のほうでは、一桁を認めるかどうかで意見が分かれた。ちなみに私は認めない。ただの人間なら14歳、超自然やSFなスペックのあるキャラで12歳が下限である。
最適値は、討論では14歳がかなり有力だった。私の下限がすなわち最適というのだから認めがたい意見だが、打順・年齢の相関と組み合わせれば、三番打者最強説の根拠になりうる。クリーンナップのなかでは三番打者がもっとも年下で、下限近くが最適だから、三番は四番よりも強い、というわけだ。ちなみに私は15歳が最適と考える。
上の議論の続きとして、四番打者にスペックを集めすぎるべきではない、という結論が出せるのではないかと考えている。
四番を15歳に設定すると、三番が割をくって、13歳や12歳という無理めな年齢になってしまう。年齢の最適値付近を三番に譲り、四番を17・18歳にしたほうが全体として最適化される、という論である。
もしこれが年齢だけにでなく、スペック一般にあてはまるなら、最適化原理から導き出されるもっとも重要な結論になるだろう。
ギャル理論のパンフレットを書いて閲覧に回したところ、自己同一化の第一層・第二層について、かなり広い範囲で理解が得られた。いずれ読者諸氏にもお目にかけたい。
討論において、「『お兄ちゃん』と呼ばれることはなぜ魅力的なのか?」というテーマが提出された。現在、以下のような意見が出ている。
・それが魅力的に感じるのは、妹のいない人だけである。妹がいる人は、妹というものに幻想を抱けないので、そんなことは思わない。
・現実の妹に幻滅している人こそ、「理想の妹」にあこがれる。妹がいない人は、「お兄ちゃん」と呼ばれることがないので、「お兄ちゃん回路」が形成されない。
ちなみに私は前者を持つ。
「お兄ちゃん」問題は直接には百合と無関係だが、回路形成過程を探るという意味で興味深いテーマである。
それにしても、今では森奈津子と松原香織くらいしか使うもののなくなった「お姉様回路」とは、どのようにして形成されるものなのだろうか。私には「お姉様回路」がないので、いったい、「お姉様」と呼ぶ・呼ばれることがなぜ魅力的なのかわからない。…これも「萌えないギャルの記述不可能性」の一種か?
鹿住槇の「絶対の領分」を読んでいる。
こっ、このアレさ加減は一体… これで、これでいいのかいジョニー? なにか間違っていやしないかい?
ジョニー、君は今月のリーフ出版の新刊のあとがきを読んだかい? くれ×やしミ×キという人の? これが、ノベルスで週間ベストセラー5位(トーハン調べ)だってことは知ってるかい?
ジョニー、いったいなにが間違ってるんだい? 世の中かい? 僕かい? 教えてくれないかジョニー?
ギャル理論のパンフレットを書いている。
自己同一化の第一層・第二層の解説がメインで、不透明な部分に触れないように書くのが難しい。
最近、ボク女が世の中的にもブームのような気がする。今日も「ここにもボク女か…」というのをどこかで見かけた(どこかは忘れた)。…次は「わたくし女」か?
Ken TompsonがLinuxをこきおろしたという。みんな言いたくて仕方ないけれどあえて言わないでいることを全部言った、というような内容らしい。
これくらいカーストの高い人でないと「王様は裸だ」とは言えないのだから、なんとも厳しい世界だ。
現在唯一の百合連載まんが、咲香里の「春よ、来い」(ヤンマガUppers)は、予想どおり展開が鈍重になっている。
序盤から中盤への入り方というのは、いつでも難しい。咲香里は、中盤に入ってしまえばそれなりに力の出る人だと思うのだが。
私の家は朝日新聞を取っているので、このところ毎朝、丸山忠久八段の将棋を見ている。
プロの将棋はプロレスと同じくショーなのだから、セメントはどうかと思う。大山クラスの強さがある人を相手にする将棋なら、セメントも許されると思うのだが。
To Heart、レミィと志保と琴音のエンドを見た。
志保の二番打者ぶりがやはり素晴らしい。志保をここまで完全に二番打者の役割に徹させた決断力は尊敬に値する。
聞くところでは、TVアニメのTo Heartは志保役がどうもイメージにあわないという。歌がうまいという条件が効いているのかもしれないが、かなめの志保が悪いと作品全体が冴えなくなってしまうのではないか。なにしろ主人公にからむ回数が一番多いキャラのはずだ。
レミィは、一番打者だから仕方ないとはいえ、ミートはよくても長打力に欠ける。琴音はミートもよくないし長打力もそこそこだが、下位打線なのでこれでいい。
To Heartは全体として、かなり理想に近い最適化がなされたギャル作品といえる。これでゲームとして面白ければなにも言うことはないのだが。
ウテナのDVDを発見した。
LDをそのうち揃えようと思いつつ、まだ揃えていない。しかしこれからはDVDだというわけで、DVDで揃えることにした。次のシステム全面更新の際には、「DVD再生可能」を要求仕様に入れねば。
アキバでは再びLeaf Fightが売り切れている。
ちなみに私の現有勢力はスターター×4とブースター×2だが、野球拳を引いている。資金調達のために野球拳をカード屋で売り払おうとしたら、売値の2割をふっかけられたのでやめた。千円や二千円で売るカードならともかく、一万円で売るカードを2割で買い取ろうとは大した商売だ。
私自身の後日の参考のため、現在のデッキ構成を書いておく。
速攻といいつつ持久戦を強く意識しているのは資金が少ないからで、レアカードを売るほど持っていれば、もっと速攻に重点を置いた構成にする。
リーダー:
ルミラ:速攻
キャラカード:
エビル×4:ルミラの皇軍兵士
たま×3:猫型多目的速攻キャラ
マルチ×3:人型根性攻撃キャラ
保科智子×3:持久戦時の紛れ作り
エリア×3:同上
新城沙織×3:持久戦時の壁越え攻撃
雛山理緒×2:壁&心理戦
長瀬祐介:持久戦時の紛れ作り
月島拓也:同上
バトルカード:
卓球×4:速攻
対戦ゲーム×4:同上
パズル×4:持久戦時の紛れ作り&バトルカードの水増し
肝だめし×2:同上
熱湯風呂×2:同上
クイズ:同上
野球拳:自慢
イベントカード:
付け焼き刃×4:速攻
スランプ×4:速攻
封印:対耕一
妨害工作:速攻
降霊術:同上
破壊電波:同上
アイテムカード:
眼鏡×2:持久戦時の紛れ作り
ことわざ辞典:同上
カンニングペーパー:同上
やる気ナシ:対耕一
イケナイ恋:同上
以下延々と議論が続くので、たいていの読者は読み飛ばすことをお勧めする。この議論の結論は、いずれギャル理論研究のサイトができたときに、整理してお目にかける予定である。
先月25日・26日の日記で、自己同一化の第一層・第二層をめぐるギャル理論に関して「交換可能性」という概念を提出したが、取り下げることを考えている。
「交換可能性の読者による否定」という概念は、「読者による主人公の行動(=動機)の否定」と置き換えたほうがすっきりするうえ、エロゲーの感情移入システムを説明するときに都合がいい。「否定可能な交換可能性」とは「主人公の行動を肯定することを読者に迫る」ことであり、「否定不可能な交換可能性」とは「主人公の行動を肯定することを読者に迫らず、不判断(=無責任)の状態に置く」こととなる。
新しい概念を用いると、エロゲーと美少女系エロまんがの一貫性を説明できる。すなわち、エロゲーと美少女系エロまんがの感情移入システムはどちらも、「主人公の行動を肯定することを読者(プレイヤー)に迫らない」という点で共通している。
美少女系エロまんがにおいては、初期には「男性消去」のような技術によってこれを実現していた。現在では、「主人公の行動を肯定しなくていい」という認識を世界観に組み込むに至っている。
エロゲーにおいては、プレイヤーが行動を選択することで、プレイヤー自身に選択の動機が発生し、感情移入のために主人公の行動(=動機)を肯定する必要がなくなる。
新概念の問題は、この概念自身のなかに、第一層と第二層を隔てる壁が存在しないということだ。いったいどのような壁が、どんな仕組みで、「主人公の行動を肯定することを読者に迫らず、不判断(=無責任)の状態に置く」ことを許すのか? 壁の位置と仕組みを同時に説明できる概念を見つける必要がある。このための概念として「主人公と読者の交換可能性」を再定義することも考えているが、どうすべきか。
Leaf Fight、ルミラを入手したのでルミラリーダーの線を追っている。仮想敵はもちろん耕一デッキだ。
が、気力が5というのがどうにも弱い。気力7と6の差さえ分厚い壁に感じるというのに、7と5ではまさに天地の差だ。ルミラの超速攻にしても、耕一側は序盤を守るのが簡単なので(2キャラ展開してあれば、自ターンで1コストをキャラ展開に、相手ターンで1コストを鬼化に回せばいい)よほど引きがよくなければ勝ち目がない。
ルミラの耕一に対するアドバンテージは、賢さ4という裏芸にある。耕一は裏芸を持たないので、強化アイテムは力・速さに限られる。そこで、序盤で仕掛けそこなった場合、賢さをアイテム強化して賢さで攻撃するという手が考えられる。しかしこちらがアイテム強化するあいだに耕一も強化されているはずなので、7と5の差がもろに出る可能性が高い。うーむ。
結論:耕一強すぎ。鬼化コスト2は絶対に反則。
が、WWWをたぐってゆくと、どうやら世の中では耕一よりもルミラのほうが強いことになっているらしい。なるほど考えてみると、大資金の世界ではそうかもしれない。封印・応援・破壊電波がそれぞれ4枚あれば、おそらく30%程度の確率で4ターンキルが可能になる。
さらに、Ver. 1.01からは吸血の能力が変わる(+2・+2の最大2回)らしいので、これならルミラで耕一に対抗できる可能性が高い。
8時間ほどかけて、部屋を30%ほど片付けた。
某CMのように、「散らかった部屋? 本当に散らかった部屋も知らないくせに」などとつぶやいてみるが、おそらく読者諸氏のなかには、「8時間で30%? ふっ、笑止」という豪の者もおられるのだろう。こういうものには上には上がいると相場が決まっている。
「みころく」をプレイしている。
これ、ちょっとばっかりへこむよ兄さん… エロゲーというのは元来へこみ系のものなので、内容がへこみ系だと、へこみとへこみの相乗作用で果てしなくへこむ。
「みころく」の正しい楽しみ方がだんだんわかってきた。
「エロゲーどころかポルノ一般のことを全然わかってない人々が一生懸命考えて、『これならユーザが喜んでくれそうだ』というアイディアを出してみた」という制作過程をイメージしつつ、スタッフの発想のかわいさを楽しむのである。
ボク女(自分のことを「ボク」と呼ぶギャル(女、14~17歳))に関する調査が進んでいる。
某女子校に勤めること三十数年の教師によれば、実物のボク女はたった一人しか見たことがないという。これはまさに「万人に一人」ということだ。また女子高・女子大経験のある某女性によれば、実物のボク女は一人も知らないという。
ここから私は「ボク女・猫耳仮説」を立てた。すなわち、ボク女はまず第一に、現実にはいないからこそファンタジックな軽さと魅力を備えている、というものである。
が、そのほかの私の周囲の人々に尋ねたところ、実物のボク女を複数知っているという人が複数現れた。「万人に一人」とはとても言えない数だ。
ここで「ボク女・猫耳仮説」はとりあえず保留され、かわりに二つの仮説が考えられた。一つが、「高学歴=高ボク女率」、もう一つが、「内輪でのみボク女」である。おそらく両方とも正しいのではないかと思う。
ここから、実物のボク女の極端な偏在が推測される。偏在の程度と様子をこれから調査してゆきたい。
現在、ギャル理論研究者のあいだでは「巫女さん」がホットなテーマであり、研究の一環として「願い」というエロゲーを入手した。巫女さんが六人出てくるという作品である。なお、この作品のことを以後「みころく」と表記する。
これには巫女さんだけではなく、ボク女も出てくる。現在私は、エロゲーにおけるフルボイスとボク女には相関があるのではないかと疑っているが、確かめるすべがない。
あまりに当然すぎて、改めて考えてみるのが難しい物事がある。今日、私はこうした物事の一つを発見した。
自分のことを「ボク」と呼ぶギャル(女、14~17歳)は、なぜ魅力的なのか?
これは、ごく自明のことのようでいて、なかなか説明できない。中性的な魅力、などという説明は、ギャル理論的には説明になっていない。中性的だとなぜ魅力的なのか? 中性的なもののなかでも、魅力的なものとそうでないものをわける基準はなにか? これらを説明できることが求められる。
ギャル理論研究者のあいだでは、これと同様のテーマとして「袴」「巫女さん」がかなり論じられており、シスターとの比較優位の発見(美少女系エロまんがではシスターが、少年まんが・少女まんがでは巫女さんがそれぞれ優位にある)や「はいからさんが通る」の再発見(「執事といえばセバスチャン」式の、袴に対するイメージ付与)などの成果をあげている。「ボク」も同様の成果をあげうるテーマではないかと私は期待しているが、どうなることか。
(「執事といえばセバスチャン」式:「アルプスの少女ハイジ」を見たことのない人でも、執事といえばセバスチャン、セバスチャンといえば執事だと知っている。転じて、元ネタがわからなくなるほど一般化している結びつきのこと)