酒井冬雪の「バカゲット」という本を読んでいる。「結婚するのに都合のいい男をつかまえよう」という話である。
ギャル的に興味深いかもしれないと思って読んでいるが、どうもABCもわからないレベルのための初級本らしい。しかし、若年男性の一般的な好みさえ知らない若年女性が、そうそういるものだろうか。またそういう女性がこんな本を読むものだろうか。もし仮にそんな女性がいて、都合のいい男をつかまえたいと思ったなら、まずはその探求心のなさをなんとかすべきだと思う。
といっても高度な作戦を立案・実行する力は才能によるところが大きいので、あまり高度な話をしても仕方ないとは言える。
「ONE」の繭のエンディングを見た。
下品に泣かせる。私は偽悪とキッチュをこよなく愛するプチブル的人間なので、このはしたなさはどうにも居心地が悪い。理由(口実)は違うが、「あざとさ」による拒否反応と同種のものか。といっても十分に面白かったので、成功しているとは言える。
「ONE」を進めている。
DirectXを使わないエロゲーの最大の欠点、それはキャラと背景のあいだがアンチエイリアシングされていないことだ。DirectXを使うと、簡単に半透明が使えるので、キャラと背景のあいだを半透明でアンチエイリアシングできる。
といっても、DirectXを使わずに半透明アンチエイリアシングを実現するのがそんなに難しいこととは思えないので、単に開発力の大小を反映しているだけかもしれない(あくまで開発力であって、技術力ではない。開発力があっても技術力がない例:「Re-leaf」)。
それにしても… 繭、どうよ?
今更ながら「ONE
~輝く季節へ~」というエロゲーを始めた。
半年ほど前にちょっとやったときには、絵がさっぱりだったので、開始5秒で放り出してしまった。しかしその後、名作との評判を聞き、再び挑戦することにしたのである。
これもまたTo Heartや雫と同じく、「ここまでやるか」を実践しているらしい。「あざとさ」による拒否反応をどう抑えるかが見どころだ。
「アニメディック・パーク」というパンフレットをチェックしていたら、ラジオドラマの「D4プリンセス」に出てくる虹乃そらんというキャラの説明に、「どりす様と少しでもお近づきになるため、猛勉強をして学園に入学した女の子」との記述を発見した。
これはぜひ聞かねば、とは思ったものの、私はラジオの予約録音ができないので億劫だし、今までの分を聞く方法もない。うーむ。
まさかいないとは思うが、読者諸氏のなかにこの番組をmp3やRealAudioで録音保存されているかたはいらっしゃらないだろうか。
考えてみれば、AMラジオの録音くらいMS Audioで64kbpsもあれば十分なのだから、HDDに14GBのスペースを設けておけば約3週間分になる。録音するマシンはネットワーク越しに使えればいいので、家の隅に押し込んでおけばいい。こうすれば、3週間前までのいつの放送でも聞ける。もう予約録音の面倒くささにわずらわされることはない。もし必要なら、3週間を経過したものを自動的に16kbpsに再圧縮して、さらに別の14GBのHDDにバッファリングしてゆけば、3+12=15週間前まで自由に聞ける。
これはまだラジオの話だが、TVもいずれこうなるに違いない。
読者諸氏は日々をいかがお過ごしだろうか。
朝日新聞の夕刊に、幾原監督のインタビューが載っていた。どうやら今の大人というのは、だいたいにおいて、日々を楽しく過ごす方法を知らないものらしい。
さもありなん、と思う。でなければ、世界一の債権国がこの程度の金融破綻でこうまでガタガタする理由がない。
日本人のほぼ全員が、もしかして先進国の人間のほぼ全員が、マルチ商法の一種にひっかかっているのではないか。なにかしら、おぞましいまでに不吉な、嫌なことが進行しつつあるような気がする。
かつてアルバニア人の約半数までが、単なるネズミ講にひっかかった。いま私たちの生きている世界が、巧妙なネズミ講の仕組んだものでないと、誰が断言できるのか。
誤読といえば、ウテナのことを思い出す。
たしか第三部の、とある回を見て私は、「鳳学園=死者の世界説」を唱えたことがある。
その回、12歳くらいの冬芽と西園寺が登場して、「君たちと同じくらいの歳の女の子を見なかったかね?」と大人から訊かれる。この女の子とはウテナである。
が、ウテナと冬芽・西園寺は、歳が2つか3つ違う。12歳と10歳は到底「同じくらいの歳」には見えない。どこかでウテナが2、3年ほど時を止めたか、でなければウテナ世界の時の流れは基本的にデタラメなのだと考えるしかない。私は後者と考えた。
「鳳学園の人間はすべて死人であり、そこでは時が意味をなさない。またそこでは人々は決して成長することがなく、かつての生を悔やむことだけを繰り返す。しかし自分自身の死を知っているのは、生徒会と暁生とアンシーだけであり、『世界を革命する力』とは死者をよみがえらせる力のことである」というのが、私のひねり出した推理だった。
第二部をうまく説明できるということもあって、この推理にはかなり自信があったが、結果的には外れていた。「同じくらいの歳」というセリフは、単なるミスだったらしい。
だが私はいまでも、この推理に魅力を感じている。きっと、過去を悔やむとき、その人はある意味で死者なのだ。
マルチ商法・マルチまがい商法について少し調べようと思い、全文検索した。
やはりと言うべきか、固有名詞を全文検索してひっかかるページのほぼ全部が、マルチまがい商法(らしきもの)の手先だった。が、それでも、どんな会社や呼称がマルチまがい商法(らしきもの)と関係があるのかはわかった。以下にそのリストを掲げておく。
マルチまがい商法(らしきもの)の呼称
・MLM(マルチレベルマーケティング)
・ネットワークビジネス
どうやらこの二つが主流で、後者のほうがよく使われるらしい。
マルチまがい商法(らしきもの)の呼称で呼ばれるビジネスをしている会社
・アムウェイ
・ニュースキン
・レクソール
・ミキプルーン
・ノエビア
・ニューウェイズ
ほかにもまだたくさんある。
マルチまがい商法(らしきもの)を肯定的に扱った本を出している出版社
・日経BP出版センター
・イーハトーヴ出版
・こう書房
・二期出版
・はまの出版
・サクセスマーケティング
・ごま書房
・ぱる出版
・データハウス
・四海書房
・ポイントライン
・サンマーク出版
・大洋図書
・ダイヤモンド社
・ラッセル社
これもほかにもまだたくさんある。
一応私なりの「マルチまがい商法」の定義をしておくと、
・メンバー(販売員)がそれぞれ新しいメンバーの勧誘を行う
・メンバーは、メンバーを増やすよう金銭によって動機づけられている
・製品の流通・販売を、動機づけの手段にしている
となる。
読者諸氏には、マルチまがい商法のことは常に心にとめておくようお勧めする。身を守る知識として、また資本主義のグロテスクな戯画として、きっと読者諸氏を助けてくれる。
努力の甲斐あってか、最近どうやら誤読力がついてきたらしい。某少年誌に連載中の某作品について、かなり愉快な誤読をしていたことが今日判明した。
作者に恨みはないが、その作品の宣伝になるのが嫌なので、その作品にまつわる記述を日記から削除した。あしからず。
ウテナのイラスト集「薔薇の全貌」を読んだ。
フィクションの製作におけるウォークスルーの重要性について考えさせられた。
ウォークスルー(形式ばったものはレビューと呼ばれる)とは、ソフトウェア開発における品質向上のための手法で、要するに、人のコードや文書にあれこれと口を出させることである。ある人にとってはまったくの盲点であることが、別の人にとっては自明である、という原理によってエラーの原因やエラー自体を取り除く。
まんが・アニメ・ゲームは、十分なコストが投じられた作品であれば、製作のあらゆる段階で多くのウォークスルーを経る。その結果として、ほとんどウォークスルーを経ないもの(たとえば小説など)に比べて一般に、より高い顧客満足度とより低いエラー率を持つものができあがる。
もともと物語とは、終わりのないウォークスルーを経るものだった。たとえば、物惜しみしないことを誇る生粋のアラブ人の聴衆に向かって「アリとキリギリス」の話をしたら、語り手はどんな目にあうか。よくて敵意のこもった視線を向けられ、悪ければ袋叩きにされる。次に語り手が「アリとキリギリス」の話をするときには、自らが餓えても惜しみなくキリギリスに与えるアリが報われる話になっているだろう。
ギャル作品の最適化には、原理や経験則によるもののほかに、ウォークスルーのような手法も有用なはずだ。この場合には、最適化の評価関数とでもいうべきものが重要になる。ウォークスルーを行うメンバーそれぞれによって評価関数が大きく異なっていたり、市場のそれと乖離したりしていては、適切な最適化は困難になる。この方面からもギャル理論の考察を進めたい。
MFCでモードレスダイアログを作るときの話である。
ボタンが押されるとそのことを親ビューに通知するようにしたい。これには何通りの方法がありうるだろうか。
1. ユーザーメッセージを飛ばす
2. GetParentFrame()とキャストで親ビューのメンバ関数を呼ぶ
とりあえず私が思いついたり見つけたりしたのはこの二つである。さて、どちらがいいのか。ユーザーメッセージはなんとなく嫌なので、たぶん2で行くと思う。
4月20日の日記で、誤読の大切さについて書いた。その後、なかなか悪くない誤読を思いついたので書きとめておく。
リアリティという言葉がある。英語で綴ればrealityとなる。この単語は3つの部分に分解できる。すなわちreとalとityだ。
reは「繰り返し」を意味する。alは名詞を形容詞にする作用がある。ityは形容詞を名詞にする作用がある。そしてreとalのあいだに入るべき名詞はどこにもない。つまり、realityという言葉は、示されていないこと(名詞)が繰り返されることを意味する。
思えばリアリティとは、繰り返されることにその基盤を置いている。一度きりのものがリアリティを得ることはない。だからたとえば、自分自身の死は決してリアリティを持たない。繰り返されることがないからだ。
逆に言えば、繰り返されさえするならば、どんなことでもリアリティを持ちうる。「嘘も百万回繰り返せば本当になる」という言葉は、たぶん信じられないほど正しい。繰り返されること、どこにでもあること、たくさんの人の言うこと、それがリアリティである。
この十年で、ボーイズラブ作品は繰り返され、どこにでもあり、たくさんの人の読むものになった。この変化によって、ボーイズラブ作品がいったいどれだけリアリティを得たのか、私には想像もつかない。
逆の例もある。19世紀のある種の小説は、いったいどれだけリアリティを失ったのか。少なくとも、容易に信じられないほどであることは間違いないだろう。
以上、リアリティとは繰り返されることであることを示した。いずれこの結論をギャル理論に組み込みたい。
Leaf Fightで一度はやりたいコンボ、それは毒電波4発コンボだ。
このコンボを実現するには、月島兄・瑠璃子・応援・臨時収入の4枚がいる。月島兄と瑠璃子が場に待機状態で出ているとき、まず月島兄の毒電波で誰かをブースト(1回目)。次に臨時収入で3コストを出し、そのなかの1コスト瑠璃子で月島兄を起こし、再び毒電波(2回目)。次に応援で月島兄・瑠璃子を起こして同じことを繰り返せば、毒電波が計4発使える。なんと力+8早-8だ。
現実には、応援では瑠璃子を起こさず、かわりにブーストしたキャラを起こして2回アタックするほうがいい場合が多いだろう(1回目のアタックは力+4、2回目のアタックは力+6)。ブーストするキャラが耕一だったりしたらなおさらだ。が、+8というのは理屈抜きで痛快である。場合によっては無傷なリーダーを一撃で倒せる。まさに痛快だ。
「現実的なCプログラミング」という本によれば、プログラマはコードを最適化してはいけないという。
この言葉は正しい。きっと私の想像を絶するほど正しい。
ごく簡単な例を挙げよう。
1: for(i = 1; i <= MAX_I; i ++) { 2: for(j = 1; j <= MAX_J; j ++){ 3: k = SOME_VALUE; 4: some_array[i] = some_func(j, &k); 5: } 6: }
ちなみに、これはサンプルなのでニセK&R風にしてあるが、普段の私はこんな書き方はしない。
このコードを見た瞬間、本能的に、まさに本能的に、3行目をカットして1行目の前にもってくる人が多いと思う。かくいう私もそうだ。
だがそんなことをしても、実行コードはまったく最適化されない。10年前のパソコン用コンパイラならいざ知らず、現代のまともなコンパイラが、この程度のことを見逃すはずがない。結果はまったく一緒か、ことによれば悪くなるだろう。さらに言えば、kの内容とsome_func()が離れるために、コードの読みやすさが失われる。
これくらいならまだわかりやすい。だが、次のような話ではどうか。
あるクラスの設計についての話である。仮に、3×3の行列のクラスとしよう。そのプログラムでは頻繁に逆行列を計算するので、行列のクラス自体に逆行列を返すメンバ関数をつけたい。
そこである人は、行列のメンバ変数をprotectedにし、set(int
line, int column, double value)というメンバ関数を用いて行列に値を書き込むように設計した。こうすると、行列に値を設定したときに逆行列を計算して格納するようにできるので、逆行列を使うたびにいちいち計算する必要がなくなる、というのである。
理屈は正しい。だが、最適化としてはこれは正しくない。正解は、逆行列を返すメンバ関数をconstに宣言することだ。
きわめて賢明な読者はこれ以上の説明を要しないだろう。が、それほどまでに賢明な読者は多くないと思うので、一応説明しておく。
constに宣言されたメンバ関数はインスタンスを変化させないので、連続して同じ引数で呼んだときには、戻り値はすべて同じになる。コンパイラはクラス宣言を最適化に使えるので、メンバ関数を呼ぶコードをコンパイルするとき、そのメンバ関数がconstであることはわかっている。
逆行列を返すメンバ関数が連続して呼ばれているコードがあるとしよう。このコードをコンパイルするとき、まともなコンパイラなら、メンバ関数が呼ばれるたびに逆行列を計算するようなことはしない。最初の一回だけメンバ関数の実装を呼び、あとはその値のコピーを使う。
かくして、set()というメンバ関数はきわめて不合理なものになる。まず逆行列を無駄に計算するコストがかかり、次に関数呼び出しによるコストがかかり、なによりコードが読みにくく不自然になる。
おわかりだろうか。プログラマはコードを最適化してはいけない。それはコンパイラの仕事だ。
ここのコミュニケーション・ノートは、どういうわけか、広告を書きこまれたことが一度もない。ああいうものはたぶん、リンク先を無限再帰でたぐって自動で投稿しているのだろうから、無差別にやられるはずなのだが。
もしかして、私の知らないところで、親切な小人さんがせっせと消したりフィルタリングしたりしてくれているのだろうか。うーむ。
咲香里の「春よ、来い」がものの見事にコケている。将棋でいえば中盤、銀損して得た歩で端を受けるような手だ。筋悪も甚だしい。このプロットを通した編集者はどんな阿呆だろう。
Leaf Fight、デッキをシャッフルして7枚引くという行動のシミュレータが欲しい。クリックするだけで次から次へと7枚を表示してくれる、というソフトである。LFW32でこれをやると、キー操作がとにかく多くていけないし、カードの図柄がないのでわかりにくい。
TVアニメのTo Heartを見た。
マルチにショタ声をあてた意図を問いたい。
午後四時、火曜日に週刊少年マガジンを売るところに行ったら、すでに売り切れていた。どうやら私が甘かったらしい。
コミケ落選。きゅう。
Leaf Fight、おさげのあかりの「お出迎え」は特殊能力なのだから相手ターンでも使えるのだと、今日やっと気がついた。
ということは、おさげのあかりリーダーだと後手がやや得だ。通常は無駄になってしまう1ターン目のコストでキャラを、しかも2コストのキャラを出せる。
しかし結局のところ気力が小さいので、大会で優勝を狙うのは苦しい。優勢は作れても粘りがきかない。逆転勝ちできなければ逆転負けを食らうだけ不利である。
そこで、ファンデッキとしてコンセプトを考えたところ、「あかり逆ハーレムデッキ」を思いついた。読んで字のごとく、男キャラ(と日吉)だけを使うのだ。男キャラは2コストキャラが多いので合理的でもある。
具体的には、浩之・雅史・耕一・月島兄・日吉・あかり(イメチェン用)をそれぞれ3枚ずつの力デッキである。鬼の血が4枚、腕相撲・格闘技・ボウリング・デコピンが各4枚、臨時収入・降霊術・応急手当が各4枚、持ち物検査・ガセネタ・応援が各3枚、といったところか。
ジャンケンで勝って後手を選び、相手ターンの終了フェイズに浩之を出す。自ターン(1回目)に耕一と雅史を出す。次の自ターン(2回目)に浩之からコストを出したうえ臨時収入を使い、耕一に鬼の血をつけて殴って1ダウン。お出迎えで月島兄を出してターン終了。次の自ターン(3回目)には、毒電波でブーストした耕一で殴って1ダウン。応援で月島兄と耕一を起こし、ふたたび耕一を毒電波ブーストして、力13で殴ってさらに1ダウン。以上が理想形である。相手がルミラや耕一だと、かなりの確率で2ターン目から力または早7で殴ってこられるのでリーダーの気力が持たないが、これはあきらめるしかない。
これはファンデッキとはいえ、うまく回ればかなり強いうえ、比較的正しいLeaf
Fightの遊び方だと思うので、比較的間違ったあかりファンはぜひ挑戦されたい。
さて、このデッキに必要なカードをすべて揃えるには、いくらかかるだろうか。
非常にうまくトレードができたと仮定し、レアを1枚300円、バトルカード以外のアンコモンを100円と計算すると、これだけで7700円。さらにアンコモンバトルカードという難物が4枚ある。理想的な場合でも1万円はくだらない。現実には3万円くらいか。
Leaf Fightの余りカードを使って、おさげのあかりデッキを組んでみたところ、なかなかいける。
通常のデッキでは手札で腐らせがちな2コストキャラが、面白いように出せる。ルミラ・エプロン・料理がそれぞれ3枚ずつあれば、かなり強いはずだ。
ギャル理論研究者集団「新月ギャルの会」総帥・魔氏が、桜野みねねの「まもって守護月天」の構造について、以下のような説を提唱した。
シャオは太助を「寂しさから守るため」に一緒にいるのだといい、シャオが一方的に太助に与える関係のように見えるが、本当はシャオ自身が寂しさから守られたいのであって、これは共依存関係である。さらに、守護月天の世界はよく見れば、シャオ中心に回っている。「シャオは太助のためにいる」という体裁と、「太助その他はシャオのためにいる」という実態が守護月天の世界である。
魔氏はこれを、守護月天がギャル的に冴えない理由として挙げたのだが、私の見解は異なる。
きわめて賢明な読者は、四番打者が世界の中心、という構造に心当たりがあるだろう。「うる星やつら」だ。「ビューティフル・ドリーマー」で押井が看破したとおり、うる星の世界はラム中心に回っている。これほど強力な反例があっては、四番打者が世界の中心であることをもってギャル作品がギャル的に冴えない理由とすることは難しい。
むしろ私は、四番打者=地軸構造は有力な構造であると主張する。四番打者が世界の中心であることにより、「あざとさ」による拒否反応が抑制される。主人公が世界の中心でない以上、主人公がどれだけ「おいしいシチュエーション」に置かれても、それは「あざとさ」という概念の適用対象外になる。
四番打者=地軸構造の優位は、「あざとさ」による拒否反応の抑制という消極的な要素だけでなく、より積極的な要素を含んでいると私は直感しているが、現在のところそれが何かは見えていない。とりあえず、キーワードは「疎外」である、とだけ予言しておく。
調理や運転と同様、プログラミングを免許制にすべきだと思っているのは私だけではないはずだ。
この世には三つの悪がある。素人の書いたプログラム、ドキュメントのないプログラム、設計のでたらめなプログラムだ。この三悪はしばしば一つのプログラム中に具現され、タイムボカン級の混乱を引き起こす。
これほどまでにパソコンが普及した現在、三悪がもたらしている損害は莫大な額に達しているはずだ。そろそろ被害の拡大を食い止めるべき時期である。
と書いたのはもちろん、人のプログラムに手を入れているからである。
まずはでたらめなインデントを直すためにC++のbeautifierを探した。が、まともなものが見当たらない。GNU
Indent 1.9.0はC++に対応しておらず、ほかのbeautifierはどれもお話にならない。数時間にわたってインターネットを掘り歩き、最後にGNU
Indentの2.0.0(ベータ版)を見つけてやっと収まった。
beautifierひとつでこんなに苦労させられるとは思わなかった。メンバ関数の呼び出しやクラスの継承関係をまとめてくれるソフトが欲しいのだが、この分では見つけられそうにないのであきらめた。先は長い。
現在のi810チップセットではKNIが使えないという。修正版は7月中旬に出るらしい。
私の見るところ、KNIはこれから重要になる拡張なので、これが使えないということはアップグレードができないということに等しい。よって、i810は見送るべしと私は判断した。
盗聴法が最近話題になっている。
盗聴を気にしていたらTCP/IPは使えないので、私はあまり気にしていない。違法な活動をしたければPGPがある。これなら、手元のマシンをいじられさえしなければ、たとえNSAでも解読できない。ICQで待ち合わせてPGP電話で話せば、盗聴など問題にならない(部屋を盗聴されていれば別だが)。
割に合う犯罪、すなわちプロの犯罪にとっては、こんな法律は屁でもない。警察も、割に合う犯罪をやっつけていたのではそれこそ割に合わないので、素人を監視して安易に点を稼ぎたいのだろう。
この歳になって、若いというのはつくづく卑怯なことだと思えるようになってきた。
若い連中は、自分より少し年上の連中を、実に簡単にけなすことができる。自分はまだなにも成し遂げていないから。
だが、どれほど卑怯なことであっても、これだけは言いたい。
アニメを作る人々にはもう、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の焼き直しだけはやめてほしい。ただひたすら二番煎じで、チャチで、くだらないだけだ。
祝・「神聖モテモテ王国」第三部スタート。
超ハ級長篇百合小説は現在185枚。日記を確かめてみると、現在までに二ヶ月強かかっている。これからまだ100枚ほどもある。
小説でマルチギャル構造を採用すると、展開のわりに枚数を食う。マルチギャル構造の問題点として留意しておきたい。こうしてみると、小説における最適なマルチギャル構造のありかたは、マリナシリーズなのかもしれない。
超ハ級長篇百合小説の三番打者がようやく動きはじめた。
私はもともと大振りするタイプなので、鋭いスイングを心がけている。もちろんあとで大振りするのだが。目標はマルチ。
…それにしてもタイトルをまだ検討中。ううう。
藤本ひとみのマリナシリーズを読み返してみたら、マルチギャル構造だった。
こんな重要な作品を思い出せずにいたとは、うかつだった。さっそく野球理論に沿って分析してみると…と言いたいところだが、どうも野球理論にはうまくあてはまらない。無理やりあてはめるなら、二番・和矢、三番・薫、四番・シャルルくらいだが、しっくりとこない。
これは逆に言えば、マリナシリーズのシステムが通常のマルチギャル構造よりも優秀なためかもしれない。慎重な検討に値する作品である。
超ハ級の小説を書くには、特別な才能が要ると思う。
めずらしく、いま自分の書いている小説を読み返して(私はめったなことでは読み返さない)、つくづくそう思った。マジで凄いよ俺様…
プラネックスのUSBモデムがまだアキバに出回らない。6月上旬に発売だと思ったので、そろそろ出荷していておかしくないのだが。
モデムは意外にUSBが生きる周辺機器だと思う。USBモデムなら、PCIスロットもコンセントも食わない。どちらも、調子に乗って使うと、欲しいときに足りなくなるものだ。
「雫」を一通りクリアした。
エロゲーとしては非常によくできている。ここまでやるか、というところまでやるのが、このシナリオライターの偉いところだろう。
長篇小説を書くときには、短篇にくらべて全体の見通しが悪いので、書いていて「これはどういう話なのだろう」と時々不安になる。短篇なら、「これはこういう話です」と迷いなく言えるのだが、長篇ではそれが難しい。
ことにギャル作品では、この難しさは格別のような気がする。そもそもマルチギャル構造の目指すところが、作品の一貫性と相反するものだ。うーむ。
どうやらミロシェビッチ・マヌーバーは大成功に終わりそうな気配である。このままゆけばミロシェビッチの一人勝ちだ。
ミロシェビッチの独裁者としてのセンスには、ひたすら感嘆せざるをえない。ついこのあいだまでは足元が怪しかったというのに、権力基盤を揺るぎなく固めるチャンスをものにしてしまった。あとは臆病風に吹かれた連中を粛清・弾圧するだけでいい。
(「だけ」といっても一揉めも二揉めもあるだろうが。NATOのコソボ介入の目的はミロシェビッチ降ろしだ。そう簡単にミロシェビッチに勝ち逃げさせるとは思えない)
というわけで地上戦にならない場合、私はセルビアびいきをやめる。私は頑張るセルビア人をひいきしているのであって、ミロシェビッチは嫌いである。
「Room with Lina」というソフトが出るらしい。このソフトの情報はここからたぐれる。
ソフトとしてのコンセプトはともかく、ギャルのコンセプトが少々疑問だ。現在のギャル理論研究では、ギャル作品における恋愛のキーワードとして「共依存」という概念に焦点が当てられている。が、このギャル設計は、共依存の観点からするとあまり良さそうには見えない。大コケしなければいいが。
当たり前のようでいて誰も実行できていないことを一つ忠告しておく。
iモードのような無線パケット通信で、パケットに課金するのはよくない戦略だ。特に、ダウンストリームのパケットに課金することは絶対に間違いである。
もしポケベルの、一回の呼び出しごとの料金を、かけた側でなく受けた側が払うのだとしたら、個人でポケベルを持つ人は今よりずっと少ないだろう。経済的な問題よりも感情的な問題として、たとえ不必要な情報(それが不必要かどうかは受けてみるまでわからない)であっても受けた側が対価を支払う、という仕組みに納得がいかないはずだ。
ダウンストリームの速度を保証する必要はない。混んでいるエリアでは遅く、すいているエリアでは速い、これで十分なはずだ。混んでいるエリアでも速度が必要なら、コネクション型の通信がある。
ラジオを受信するようにパケットを受信できるようになって初めて、無線パケット通信はものになるだろう。
私は記憶力が悪いので6だか7だか覚えていないが、とにかくそろそろ例の月らしい。
もし読者が私と同世代なら、あの予言がどれほど猖獗をきわめていたかご存じだろう。そしてまた、あのレーガンの時代、ICBMという言葉がどれほど真剣に受け止められていたかも。
あのころから振り返ると、世界は驚くほど――
驚くほど、なんなのだろうか。