映画
ニュージーランド、1954年。
世界は、揺るぎなく平和で、退屈です。田舎者は堂々たる田舎者です。人々はみな、啓蒙思想的な差別と偏見に満ちて、己を疑うことを知りません。
賢く美しく育ちのいいジュリエットが、都会(英本土)から田舎(ニュージーランド)の女子校へと転校してきたとき、物語が始まります。
同級生のポウリーンは、ジュリエットとは正反対に、孤独のほかになにひとつ持っていません。けれど二人は同じ、空想という世界の住人でした。空想の世界でともに遊ぶ二人は、際限なく仲を深めてゆきます。
やがて大人たちは勘繰りはじめます。二人の仲は精神病である。「同性愛」だ。二人は引き離されます。
そのときジュリエットが、家庭の事情で、南アに引っ越すことになります。ポウリーンは家を出てジュリエットとともにゆこうとしますが、ポウリーンの母は出国を認めません。
二人は、悲劇的な結論を出します。
ベネチア国際映画祭銀獅子賞、アカデミー賞脚本部門ノミネート、というあたりから、映画としての出来栄えは見当がつくと思います。
ジュリエット役はケイト・ウィンスレット、『タイタニック』の人です。ジュリエットはともかく、ポウリーン役のメラニー・リンスキーは実に醜く撮れているので、美女・美少女の百合しか見たくない、という向きにはお勧めしません。しかし美醜はともかく萌えは十分なので、心眼で見られるなら大丈夫です。
女性同性愛が扱われる映画には、近年では『月の瞳』(1995、カナダ)、『Show
Me Love』(1999、スウェーデン)などがありますが、面白さと萌えでは、『乙女の祈り』が現在までのベストです。
この作品は悲劇です。
かつては百合というと、悲劇が多かったものです。愛ゆえに孤立する、「世の中が悪いんだ」風の設定です。『大運動会』のようなタイプの百合が現れたのは、セラムン以降のことです。
私は、「愛ゆえに孤立」には未来も面白さも感じないので、「愛ゆえに孤立」が滅びたのは大いに喜ばしいことだと思います。が、そのついでに悲劇がなくなってしまったのは、喜んでばかりもいられません。
「愛ゆえに孤立」イデオロギーから見ると、『乙女の祈り』は意地の悪い作品です。ジュリエットとポウリーンの愛はなんら崇高なものではなく、つまるところ、遊び仲間にすぎません。しかし、「愛」などに寄りかからないその率直さは、百合の悲劇として高いレベルに達しています。
ピーター・ジャクソン監督
米・ニュージーランド合作
1994年 VHS(松竹ホームビデオ)