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 4ヶ月で英会話を覚え、依頼人の警護の引き継ぎを済ませて、私はカナダに発った。緋沙子とともに。
 千葉国王が大人気のロシアとは対照的に、旧西側諸国では、千葉国王に関することは報道されない。旧西側諸国は、日本との関係を重視して、千葉国王の存在をできるかぎり黙殺してきた。日本以外の旧西側では誰も私のことを知らない。映画の撮影チームは50人以上の大所帯だから、私ひとりくらいは目立たずにまぎれていられるかもしれない、と願っていた。
 けれど、撮影チームの誰かが、緋沙子と私の過去を知っていた。たちまち緋沙子にはMadam、私にはKnightess(*1)というあだ名がつき、千葉国王や昔のことをあれこれ訊ねられるようになった。
 質問には、馬鹿馬鹿しいものもあれば、辛いものもあった。
 「国王の即位式には宗教儀式はないのかい? 剣を岩から引き抜いたりさ」
 それはアーサー王だし、たぶん宗教でも儀式でもない。
 「国王はショーグンとどういう関係にあるのかな? タイラノ・マサカドとの関係は?」
 ロシア軍の将軍ならときどき引見なさっていた。平将門は千葉の英雄ではあるけれど、現在の千葉国とのつながりはない。
 「刑務所で服役中でも、抽選に当たれば、国王になれるの?」
 理論上はなれる。とはいえ、王位継承者の服役囚はほとんどいない。
 「千葉が日本に統一されて、国王はどうなったの?」
 辛い質問だった。
 「国王の地位がいまでも法的に有効かどうかを争って裁判してる」
 「判決はいつごろ?」
 「あと一年か、一年半」
 「勝てそう?」
 「不可能」
 「敗訴が確定したら戦争?」
 「西千葉はとっくの昔に北アイルランドよ」
 ああ、西千葉、知ってる、と彼女はうなずいた。
 モスクワではこういう話をしたことはなかった。千葉国王のことは、いつもニュースで流れていて、常識だった。慣れない英語で新鮮な会話を交わすと、昔のことがありありと心に甦ってくる。
 そして、なにより辛い質問は、こうだった。
 「あなたの後任はどんな人?」
 橋本美園。
 「女で、私より何歳か上で、私よりちょっと背が高くて――」
 「ずばっと一言でいうと?」
 美園がどんな人か、少しだけなら知っている。知っているから、言えない。慣れない英語では、なおさらだった。
 美園のことを言うかわりに私は、自分の辛い思いを告げた。
 「――去年、テロにあって、右足の甲から先をなくした」
 もし私が辞めなければ、美園はこんな目にあわなかった。
 「女王は?」
 「無事」
 「なら、いいじゃない。Knightess、あなたが同じ立場にいたら、そうでしょう?」
 その言葉で、私の心は、遠い昔にかえった。
 『私よりうまく陛下をお守りできる人は、ほかにいるでしょう。けれど、もし陛下の楯となって命を捧げる日がきたとき、満ち足りて死んでゆけるのは、ほかの誰よりも、この私です』
 その思いが、いまでも色あせていないことに、驚く。

  *1:knightの女性形。



 ここ何年か緋沙子とは、はっきりした身体の関係がなかった。
 モスクワに落ち着いたころから、だんだんそうなっていった。もしかすると友達同士でもするかもしれないくらいに身体を触れあうだけで、深く触れることがなかった。たまに、じゃれあいから深入りすることもあった。そんなときはいつも後味が悪かった。緋沙子を不安にさせているのかもしれないと思い、迷ってしまった。
 けれど、カナダでの撮影が終わり、モスクワの家に帰ってきた夜のことだった。
 シャワーを浴びて出てきた私に、緋沙子は、新品のインナーウェア上下を突きつけた。差し出した、というより、突きつけた、だった。カメラの前以外での緋沙子はいつもぶっきらぼうで、あまり女らしい仕草をしない。
 「これ、ひかるに似合うと思うの」
 青みを感じるほど白いシルクだった。リバーレースと同色刺繍がさりげなく使われている。普段使いのものではない。上品ではあるけれどちょっと少女趣味で、私よりは緋沙子に似合いそうだった。
 「着て待ってて」
 緋沙子はシャワーを浴びにいった。そして、そういうことになった。
 
 カナダで撮影した映画はそこそこ当たり、英語圏での仕事を緋沙子にもたらした。
 もちろん、いきなりスターというわけではなかった。ときどきキャスティング・ディレクターから連絡が入り、二ヶ月に一度くらい欧米に行っていくつかオーディションやカメラテストを受け、たいてい落ちる、という具合だった。欧米では端役ばかりだったけれど、冬には香港映画に大きめの役で出演し、これもそこそこ当たった。
 そのあいだ緋沙子はずっと私を雇いつづけた。
 護衛官時代は、プライベートのときはほとんど陛下にお目にかからなかった。原則として週に5日、日に8時間、それだけだった。けれど今度は、緋沙子と顔を合わせないでいるときがない。私は精神的にきつくなり、緋沙子とケンカすることが増えた。
 私が心の余裕をなくすのに比例するかのように、緋沙子はますます私を求めた。それも、かなり極端なやりかたで。
 
 私の身体のなかに、物理的に入り込むこと。それが緋沙子の望みだった。
 入るだけの指をできるだけ深く入れて、準備体操のストレッチのように引き伸ばす。ただそれだけのことが、ひたすら続く。慣れると、痛みや辛さはあまり感じなくなった。それでも、交わったあとにはいつも、処女を失ったあとのようなひりひりとした感覚が残った。
 私も緋沙子も、ほとんどしゃべらない。たまに緋沙子がなにか言うと、私は自分でもおかしいくらい動揺した。
 あるとき、沈黙のなかで緋沙子がぽつりと言った。
 「前より濡れやすくなってるね」
 それだけで私は混乱して、
 「だからってこんなことしていいと思ってるの?」
 自分で言っていて、わけがわからなかった。私は緋沙子の行為を受け入れている。苦痛や不安を覚えたことはあっても、拒んだことはない。
 私の動揺は緋沙子にも感染した。一瞬、緋沙子は怯えたように身体を硬くしてから、おずおずと、
 「ひかるの身体が欲しがってるんじゃない」
 まるで棒読みだった。
 動揺したままの私の頭は、ふらふらとよろめきながらも働いて、どうにか緋沙子の気持ちを読み取った。緋沙子は、そう簡単に退くわけにはいかないと思って、虚勢を張ったのだ。
 その虚勢を解きたいと思って私は、共犯の含みをこめて言った。
 「欲しがってるのは私だけ?」
 緋沙子の緊張がほどけたのを感じた。私のなかに入り込んだ指に、力がこもって、引き伸ばす。
 けれど、共犯の含みは通じていなかった。
 「……ひかるも、してみる?」
 やれやれだった。



 そのときはやれやれと思ったけれど、結局、私はそうするようになった。
 緋沙子を傷つけたい、という思いが芽生えて育つのを、自分ではどうしようもなかった。原因はわかっていた。毎日24時間、ほとんどかたときも緋沙子のそばを離れないからだ。しょっちゅう緋沙子とケンカするようになっただけでなく、よく泣くようになり、動揺から立ち直るのも遅くなった。
 こんな暮らしはよくない、緋沙子から離れたところで自分の生活を持つべきだと、頭ではわかっていた。けれど、緋沙子を傷つけるのが恐かった。それに、緋沙子との関係が壊れてしまうことが恐かった。
 『私の帰るところなんて、ひかるだけ』
 緋沙子はそう言った。あのとき私は卑怯にも黙っていたけれど、私だって緋沙子とそれほど違わない。私には家族も友達もいるけれど、緋沙子を置いてゆくことはできない。
 そうして私はますます余裕をなくし、なかば緋沙子を憎むようになった。
 と同時に、いままでよりもずっと、緋沙子を愛しむようになった。
 発作的に緋沙子を強く抱きしめて、そのまま何分もそうしている、というようなことが何度もあった。そんなときには、頭の中の蛇口が壊れたかと思うような、異常な多幸感に溺れていた。そんな多幸感のしばらくあとには、まるで反動のように、私は緋沙子を憎み、傷つけたいと願った。緋沙子を殺すことさえ空想した。自分の葬式を空想するような、倒錯した喜びがあった。
 そうして私も、緋沙子が私にするのと同じように、緋沙子にするようになった。
 最初は自分から誘ったのに、いつも緋沙子はひどく怯えて苦しそうにしながら、私を受け入れた。そんなにいつまでも苦しいものではないはずだと、だからこれはきっと演技か、それとも思い込みでそう感じているだけではないかと、私は疑っていた。そのことが私をのめりこませた。緋沙子を傷つけたことが、現実的なかたちで――怪我や痣として表れてしまったら、きっと私はそこで夢から覚めたように立ち止まっただろう。緋沙子の苦しみの現実性を疑い、なかば夢うつつのままでいた私は、その行為にのめりこんでいった。
 
 夢うつつを夢に引き寄せておくために、私は言葉を使うことを覚えた。
 「痛くないよ――痛いよ」
 私が『痛いよ』と言った瞬間、緋沙子は唇をきゅっと引き結んだ。特に力をこめたわけでもないのに、反応した。たとえ多少の力をこめたとしても、身体の中は鈍感で、あまり細かいことを感じ取れない。だから緋沙子は、私の言葉に反応して、苦しげな顔をした。
 やはり緋沙子は苦しいふりをしているだけ、だから徹底的に苦しがらせていい――私は力をこめて引き伸ばした。
 「ぎゅうううう」
 顔をしかめて泣きそうになりながら、緋沙子は苦しみに耐えた。それとも、耐えるふりをした。けれどまだ先は長い。事の終わりにはいつも緋沙子は涙を流している。
 「今日はぜったい、第一関節まで入れるよ」
 緋沙子は、半開きの口から息を漏らしながら、こくこくとうなずいた。
 「本当に入るの?」
 「はい」
 その声の哀れさが私をかきたてる。緋沙子もそれがわかっていて、わざとそうしているにちがいない。
 「このあいだもそんなこといって入らなかったじゃない?」
 「入れてください。お願いします」
 緋沙子が敬語を使うたびに、私は必ずやめさせてきた。けれどこのときだけは言わせておく。いまは現実よりも夢に近い。緋沙子の夢にまで口出ししたくない。
 
 事のあとには、ひどい自己嫌悪が待っている。
 夢のなかでしか許されないような独善で緋沙子に接したこと。なによりも、それがわかっていて、やめられないでいること。陛下の警告が身にしみる。『自分でもわけがわかんないけど、やめられないの、悪いこと』。緋沙子がもう子供ではないということだけが救いだった。
 落ち込む私をよそに、緋沙子はさっぱりした顔で、ガス入りのミネラルウォーターを飲みながら、日記をつけていた。
 緋沙子の日記は、筆記用具が変わっている。筆だ。そんなものを使うだけあって、緋沙子は字がうまい。字を書く姿もさまになっている。まんが家でも、絵のうまい人がペンを走らせるときのリズムには音楽的なものがある。
 私は自分のベッドに入ったまま、机に向かう緋沙子の、横顔を眺めている。
 そうしていたら、なぜか突然、訊ねてみる気になった。
 「……ひさちゃんは、いつもすごく痛がってるけど、まだそんなに痛い?」
 「え?」
 「これ」
 私は右手を上げて示した。
 緋沙子は怒ったように目尻をつりあげ、
 「演技」
と、語気も荒く言い捨てて、日記に戻った。
 なぜ緋沙子が怒ったのか、わからなかった。だから疑いはとけなかった。緋沙子は自分の弱さや苦しみを隠したがる。それでも私は少しだけ自己嫌悪から逃れられた。緋沙子はもう子供ではないのだ。
 ふと、陛下のことを思う。陛下のなにを思うのでもなく、ただ、陛下のことを。
 その瞬間、緋沙子が手をとめて、こちらに目をやった。まるで私の心を読んだかのように。心臓が止まるかと思った。
 けれど緋沙子は超能力者ではない。
 「……歯医者で、歯を削るときの音。あの音って、痛くなくても恐い。そういうのと同じ」
と緋沙子は、さっきの返事を取り消した。そして日記に戻った。
 ふたたび緋沙子の横顔に癒されながら、思う。
 私はきっと陛下のお側に帰る。



 オデュッセウスなら、どうやって千葉を元通りにするだろう。いくら不意打ちとはいえ、わずかな手勢と弓だけで、またたくまに108人を殺してしまう凄腕のテロリスト、オデュッセウスなら。
 けれどそんなことは考えるまでもなく不可能だった。きっと三千年前のイタカでも、本当は不可能だった。映画のスーパーマンは、地球を逆回転させることで時間を巻き戻し、死んだヒロインを甦らせた。オデュッセウスの皆殺しも、これと同じだ。不可能なことを成し遂げるための妄想的な手段だ。
 オデュッセウスなら、どうやって国王公邸に入り込むだろう。嘘を武器にする詐術の達人、オデュッセウスなら。
 考えていくうちに、オデュッセウスの力はみな私にはないものだと気づく。
 オデュッセウスはその怪力で、常人にはひけない大弓をひいた。私には普通の女の力しかない。
 オデュッセウスは天性の詐欺師で、なんの仕込みもなしに巧みな嘘をついた。私には巧みな嘘など思い浮かばないので、基本的には正直でいることしかできない。
 なんといっても、オデュッセウスはイタカの王だった。私は王ではなく、陸子陛下にお仕えするものだ。
 オデュッセウスの力のない私は、自分の力でお側に帰り、自分の力でお仕えしなければならない。
 大弓をひく怪力がなくても、人を欺く狡猾さがなくても、千葉を元通りにする神々の力がなくても、きっと私にはできることがある。
 
 緋沙子が日記を閉じた。
 明かりを消し、私とおやすみのキスをしあって、ベッドに入る。
 寝室の暗さのなかで一心に、帰ることを考える。
 美園はどう思うだろう。たとえ私が帰るのには賛成してくれても、護衛官の座を譲ってくれるとは思えない。ならメイドとしてお仕えしようか。でもそれでは私の力を役立てることはできない。ではやはり――
 陛下の威厳を世に示し、ふたたび千葉の人心の要となるには、どうすればいいだろう。千葉が独立を失ったいまでもなお、陸子陛下が千葉国王として輝くには。マスコミは移り気で、行政的手段の裏づけがなければ捕まえておけない――
 あらゆることが阻まれているように思える。けれど、私は不思議と確信に満ちて、そのことを考えつづけた。



 護衛官訴訟の高裁判決が出た。
 憲法判断の部分は地裁判決と似たようなもので、そのため一般には地裁判決ほどは注目されなかった。けれど専門家の見方は違った。この高裁判決をそのまま確定させれば差障りがあり、しかも一部破棄差戻しではどうにもならず、全部を破棄して差戻すしかない、という意見が専門家の大勢を占めた。
 となると、もう一回は高裁と最高裁を通ることになり、かなり時間が稼げる。判決の確定はロシア大統領選挙の直前にずれこむだろう。なにかが起こるかもしれない。
 
 それを切り出したのは緋沙子だった。
 「護衛官訴訟の高裁判決、知ってる?」
 私も緋沙子も、護衛官訴訟のことをめったに話題にしなかった。緋沙子も、関心がないはずはないのに。
 オーストラリアからインドへ向かう飛行機の中だった。まわりは旧西側の白人ばかりで、日本語はわかりそうもない。
 「長引くみたいだってね」
 「早く終わってくれればいいのに」
 長いこと一緒にいるうちに、私は緋沙子のつく嘘がわかるようになった。さっきのはウソ泣きだった、と言い張ったときのような嘘。100パーセントの嘘ではないけれど、あえて口に出すことで、自分を支えようとする嘘。
 早く終わってほしいという気持ちもあるだろう。けれど、避けられない終末が先延ばしになったことを喜ぶ気持ちのほうが、ずっと強いだろう。
 千葉を去ってから初めて、私は訊ねた。
 「いまでも好き?」
 緋沙子は私の目を見た。あまり熱心ではなく、眠そうだった。なにをわかりきったことを、と言いたそうだった。
 「うん」
 『私も』――さりげなく言おうとして、言えなかった。
 けれど緋沙子は感じ取ったかもしれない。
 なにか言いたそうに目を細め、そのまま目をつぶった。それと同時に、毛布の下で手を伸ばし、私の腕をさぐった。私はその手を握って指をからめ、一緒に目をつぶった。



 オーストラリアで撮影した映画が、興行的にはともかく、評論家に受けた。緋沙子も賞をもらい、名前を売った。お世辞とはいえ、『次の仕事はハリウッドの大作になるだろう』と何度も言われていた。緋沙子は代理人を雇って交渉と契約を任せた。
 そんななか、イギリスの映画人の働きかけで、緋沙子のイギリスへの入国禁止が解けた。
 
 ロンドンには朝に着いた。
 「ロンドンは物価が高いから気をつけて。特に公共料金。資本主義国だから」
 地下鉄の料金は腰を抜かすほど高かった。資本主義国だからと緋沙子はいうけれど、ニューヨークの地下鉄はまともな値段だ。説明になっていない。
 緋沙子は名門デパートを足早にめぐった。ほとんど買い物はしない。不思議だった。緋沙子はあまりウィンドウショッピングはしない。
 けれどアーサー・グラハムにはわかっていたらしい。
 「店員がお前の顔を知ってるのが、そんなに嬉しいか」
 図星を突かれたときの顔をして、このときだけはクィーンズ・イングリッシュで緋沙子は、
 「もし私が何者かを説明しなければならないとしたら、それは私が何者でもないということだわ」
 「お前はアヤカだよ。いつまでたっても寸足らずな奴だ」
 私には意味のわからないやりとりだった。昔のことに関係しているのかもしれない。
 アーサー・グラハムは緋沙子の元養父だ。70歳ほどの老人で、緋沙子のことをアヤカと呼ぶ。緋沙子はイギリス時代には他人の名前を借りて暮らしていた。その名前が、アヤカだった。
 二人の会話を聞き取るのは難しかった。私は英語に不慣れなうえ、アーサーも緋沙子もコックニー訛りでしゃべる。聞き取ってから何秒もかけて、「アガイン」をagainに、「アー」をheartに変換して、やっと意味がわかった。
 それでも、二人の仲のよさは、見ていてわかった。二人のいうことの、半分は皮肉で、残りの半分は悪態だった。お互いへの皮肉と悪態を、いつまでも飽きることなく、嬉々として交わしていた。親子というよりは、歳の離れた兄と妹のようだった。50歳差はいくらなんでも離れすぎだけれど、それでも兄妹に見えた。
 なぜだろうと思って観察していて、気づいた。二人はよく似ている。
 棒を飲んだようにまっすぐな姿勢、人の顔を見るときの探るようなまなざし、超然としているのに神経質そうな物腰。こうしたものを、緋沙子はこの老人から受け継いだのかもしれない。
 似ているのに、親子のようではない。緋沙子もアーサーも、お互いに容赦がない。子や孫を、これほど遠慮なく、しかも対等に扱うような父や祖父はいない。緋沙子にも同じことがいえる。
 観察しているうちに、思い出した。養父というのは世をあざむくための仮の姿で、もともと二人は共犯者だったのだ。
 
 夜には、緋沙子の昔の仲間が、パブでささやかな歓迎会を開いてくれた。みな年上で、アーサーくらいの歳の人が目立った。途中で出たり入ったりして、延べでは8人くらいだった。
 私はまわりの会話をほとんど聞き取れないまま、緋沙子を眺めていた。
 久しぶりの再会なのに、いつもと違う様子は見えない。大きな笑い声をあげることもなく、人の肩や背中を叩くこともない。昔の仲間たちは全員がそうしているのに。向こうも、そんな緋沙子を当たり前のように受け入れている。
 そうしているうちに、私は痛感した。
 同じ訛りでしゃべっても、昔の仲間がいても、兄のような人物がいてさえも、ここは緋沙子の故郷ではない。緋沙子にも、向こうにも、それがわかっている。
 『私の帰るところなんて、ひかるだけ』と緋沙子は言った。けれど私だって、彼らとそれほど違わない。学校時代やアシスタント時代の仲間たちと分けあったものを、緋沙子は持っていない。
 私は考えはじめた。孤独について。緋沙子の、それに陛下の。



 「俺の葬式には来るんじゃねえぞ。お前は泣き虫だからいけねえ。めそめそした葬式なんざ、ガキの葬式だ」
 それがアーサー・グラハムの別れの言葉だった。
 私は何秒もかかって、コックニー訛りを英語に、英語を日本語に翻訳した。理解したときにはもう、アーサーの姿は、空港の雑踏にまぎれて見えなくなっていた。
 緋沙子を見ると、何事もなかったかのように空港の地図を調べていた。
 「……グラハムさん、どこかお体が悪いの?」
 「知らない。そういうことは言わないし、訊いても答えない」
 私はもう一度、雑踏のなかに、アーサーの姿を探した。見つからない。どうしようもなかった。
 けれど、もし見つけても、どうしようもなかった。私にも緋沙子にも、病気を治すような奇跡の力はない。緋沙子が付き添うこともできない。なら、緋沙子の言ったとおり、アーサーは訊いても答えないだろう。ごく短い付き合いではあるけれど、アーサーがそういう人だということは、もう私にもわかっていた。
 そして緋沙子も、アーサーと同じ、そういう人だ。
 私は緋沙子のそばにいる。だから緋沙子は私にならきっと告げてくれる。
 私は緋沙子のそばにいる。それは素晴らしいことだ。
 ため息をひとつついてから私は、人目をはばからず、緋沙子を抱きしめた。
 私の腕のなかで、緋沙子は言った。
 「ひかるは、陸子さまのところに帰るんでしょう」



 私は知っている――私はきっと陛下のお側に帰る。望んでいるのでもなく、信じているのでもなく、知っている。
 自分の背中から電線がのびていて、陛下につながっているような気がする。
 だから私はなにも言えず、まるで石になったように、ただそのままでいた。
 緋沙子は私の腕のなかから抜け出して、自分のスーツケースをつかみ、
 「チェックインカウンターはあっちだって」
と、すたすたと歩きだした。それでやっと私は石になるのをやめて、そのあとについてゆく。
 「緋沙子――」
 呼びかけると、緋沙子は足をとめて振り返り、感情のない声で、
 「続きは家についてから。……ちょっと荷物みてて」
 言い置いて、早足で売店にゆき、新聞を買ってきた。
 「けさの新聞、読まなかった?」
 英語の苦手な私が、新聞まで読むわけがない。
 緋沙子は新聞をめくり、その記事を探し当てて、私に見せた。旧西側の新聞には珍しく、陛下と美園の写真が載っていた。
 緋沙子が言った。
 「護衛官訴訟の判決期日が決定。同時に、日本最高裁長官が異例の予告。訴訟の長期化を避けるため差戻しは行わないとのこと」



 家のドアが閉まるのを待たずに、緋沙子にくちづけた。そのまま夜明けまで離さなかった。どれだけ愛しているか伝えたかった。陛下のお側に帰る前に。
 こんなときも緋沙子は自分のリズムを崩さなかった。ベッドでうとうとする私を横目に、机に向かい、ガス入りのミネラルウォーターを飲みながら、筆で日記をつけている。
 緋沙子が机から離れたのを、気配で感じて、目を覚ます。けれど今日は、私とおやすみのキスをしにくるかわりに、本棚に向かった。
 本棚から日記帳を取り出して開き、机のランプの下でめくって、
 「6月14日。今日もひかるはおかしかった」
 ゆっくりと緋沙子は読み上げた。
 「ストッキングが伝線したことを何度もぐちった。私の絵を、後ろ向きの姿ばかり、5枚も描いた」
 私はよく緋沙子の絵を――といっても紙に鉛筆で――描いた。私はなにも見ずに人体を正確に描ける。
 ストッキングの伝線をぐちったことは覚えていないけれど、後ろ向きの姿ばかり描いたことは覚えている。あのころ私は、ほとんど片時も緋沙子から心を離すことができず、おかしくなっていた。
 描いた絵といっしょに、そのときの気持ちまでが心に甦ってきて、めまいがする。
 「中略。もっとおかしくなってほしい」
 言い終えると、緋沙子は日記帳を閉じた。
 「どうして中略?」
 「自分のセックスを人に採点してほしい?」
 たぶんそうだろうと思ってはいたけれど、やはりあの日記には、そういうことも書いてあるらしい。
 ひとりごとのように緋沙子は、
 「ああいうの、嬉しかった。ずっとあのままじゃいけないって、わかってたけど」
 「……また明日、考えよう」
 なにも考えることなどないのに、ごまかした。眠たかった。
 緋沙子とおやすみのキスを交わす。あと何回こうするだろう、と思いながら。



 諸々の手続きに2週間かかった。家や車はみな私の名義になっていた。名義変更の手続きにはやたらに時間がかかる。ここはロシアだ。
 そのあいだに私は、暇さえあれば、陛下のお姿を描いた。緋沙子が欲しがったからだ。ひさしぶりにペン入れもしてみた。けれどすぐに投げ出した。昔からペン入れは苦手だった。
 ヌードもたくさん描いた。恐れ多いことでもあったし、外に漏れたらスキャンダルにもなる。けれど緋沙子の願いは断れなかった。
 一枚描きあがるたびに、緋沙子はその絵をパネルに入れて、壁に飾っていった。ヌードは寝室に飾った。葉書サイズの絵も描いて、これは写真立てに入った。
 家のすべての壁と棚に陛下のお姿が掲げられ、そして、私がそこを去る日がきた。
 
 朝、緋沙子が宣言した。
 「今日は、なんにもしない日」
 『なんにもしない日』は安息日だ。外出はできるだけ避ける。本を読むのも、TVを見るのも、音楽を聞くのもいけない。ぼけっとするか、お茶を飲むか、おしゃべりするか、居眠りするか。とにかく、暇にしていなければならない。
 このモスクワの家には、畳がある。リビングの隅に、畳を三畳敷いて、ちょっとした和風空間を作ってある。客がきたときには、ここで茶道ごっこをやってみせる。『なんにもしない日』には、ここで座布団を枕にして寝転がる。
 朝食後、私はすぐに、畳に寝転がった。緋沙子も隣で横になる。
 指を重ねあわせる。握らない。
 そのままずっと、日差しが変わるのを眺めていた。モスクワは千葉に比べて、夏でもあまり日が高くならない。部屋の奥まで日が差し、じりじりと動いてゆく。
 私も緋沙子も、なにも言わない。
 ときどき寝返りをうつ。指が離れないようにしながら。
 
 お昼の時間になり、私はうどんを作った。通販のおかげで、生鮮食料品以外は、モスクワでも千葉と同じものが食べられる。和食にかぎらず、この家の食材は、半分以上が通販だった。
 「護衛官やってたときも、通販ばっかりしてたな」
 「昔のドラえもんは机の引き出しから出てきたけど、今なら通販で届くかもね」
 「それ、『ローゼンメイデン』」
 食事中はおしゃべりがはずんだ。
 食後も、他愛ないおしゃべりが続いた。いつもどおりなのに、いつになく楽しかった。呼吸がぴたりぴたりと合った。まるで時間が止まっているようだった。
 そんなおしゃべりのさなかに、
 「これは言わないでおこうって思ってたんだけど、言っちゃうよ――やっぱりやめとこうかな?」
と私が気を持たせると、
 「葬式には来ないでほしい?」
 「どこの偏屈じいさんよ。
 あのね、ひさちゃんに約束する。
 陛下のところに帰れるようにしてあげる」
 緋沙子は黙って苦笑いした。
 それから、窓の外を見た。
 そして、時計を見た。
 私がここを発つ時間になっていた。



 統計の数字だけで言えば、西千葉の一部地域は、世界でもっともテロ事件の多い地域になっていた。
 世界の他のテロ多発地域に比べて統計の網羅性が非常に高いので、単純な比較はできない。それでも過去との比較はできる。現在の統計値は、それまでの最悪の時期に比べて、2倍以上も悪い値を示していた。
 その一方、日本の政界では、改憲失敗の余波も収まり、新たな改憲案の取りまとめへと動きはじめていた。
 日本の警察は相変わらず、再分離運動と国王財団を潰すことに熱心だった。財団理事のひとりが千葉外に出たとき、冤罪で逮捕され、そのまま3ヶ月以上も勾留されるという事件も起こった。護衛官訴訟の判決が出れば、ただちに千葉国王と財団幹部は逮捕されるだろう、という憶測がほとんど常識として語られた。
 
 日本の情報工作もあり、千葉国王にとってよい話はほとんど出てこなかった。なかには、『護衛官も千葉国王に見切りをつけた』という報道もあった。ただし、この話にはほとんど誰も取り合わなかった。右足の甲から先を失ってもなお陛下にお仕えする美園の姿にくらべれば、まったく信憑性のない噂だった。
 けれど私はこの噂に注目した。
 その噂は、かつて緋沙子のことを最初にゴシップとして報じた週刊誌から出てきていた。調べてみると、記者の署名も同じだった。



 由美が空港まで迎えにきてくれた。
 「あんたのおかげで原稿が一日早く上がっちまったよ」
 「伸ばさないんだ。さすが」
 「締切前に運転なんかできないね」
 「そりゃそうだ。ありがと」
 「あー。立ち話もなんだわ。とっとといくべ」
 由美は頭をかきながら歩きはじめた。
 モスクワで暮らしていたあいだも、何度か千葉に里帰りした。そのたびに由美に空港まで迎えにきてもらっていた。由美は、まんが家という仕事柄、海外の話を聞きたがった。まんが家くずれの私の話は、それなりに役に立ったのではないかと思う。
 窓の外を見る。もう日は沈んでいるようだけれど、まだ明るい。時計を見て、ちょっと驚き、ここは千葉なのだと実感する。まだ7時半だ。夏のモスクワは夜の9時でもこれより明るい。
 いまごろ美園はどうしているだろう。公邸に戻る途中か、官舎でくつろいでいるか、それとも警護の真っ最中か。
 そのとき携帯電話ショップが目に入った。
 「ちょっと待って。携帯買ってくる」
 「あんたこっちの携帯も持ってなかった?」
 「SIMだけね」
 これまで里帰りしたときには、古い端末を人から借りて済ませていた。
 携帯を買ってから、空港の駐車場にゆき、由美の車に乗る。買ったばかりの携帯で、電話をかける。
 昔、名刺に書き加えて渡された番号。美園はまだこの番号を使っているだろうか。



 電話がつながるなり、
 「あのねえ、私はそんな重たい女じゃないの。昔の男の携帯番号なんてすぐ消すよ? 昔どころか今の男でもうざいんだから――なーんてね。今の男なんていないよ。この仕事ヤバいわ。仕事っていうか陛下がヤバいんだけどさ。……って、愚痴は後回しだ。
 昔の携帯番号なんてすぐ消すっていうのは本当。消さないのは、なんてのか、自分的に記念な奴。昔の男なんてぜんぜん記念にならないけど、昔の女は、けっこうグレード高い。それに、初めてだったしね。
 こっちはこんな感じかな。
 ――ひかるさまはいかがお過ごしになられましたか?」
 その声に、口調に、昔のさまざまな思い出が呼び覚まされる。
 「いまちょっと泣けました」
 「こーんないい女をほっといたんだから、そりゃあ泣けるでしょう。
 いろいろ思い出した? 私の匂いが恋しい?」
 「いま友達の車の中ですので」
 「なにそれ。もっと節操のあるところでかけようよ。テンションあげてないと、こっちも泣けてきちゃうじゃないのよ。
 あーやだやだ泣けてきた。あさっての朝10時に、うちに車で迎えにきてよ。うちはいま官舎。ディズニーランドいこう。じゃね」
 電話が切れた。
 由美が言った、
 「車、貸そうか?」
 「聞こえなかったふりしてよ」
 「黙って役得って嫌いなんだわ」
 「……車は貸して」
 私はハンカチで涙をぬぐった。



 朝、美園のところに行く前に、木更津の街をひとめぐりした。
 駅の近くのアニメショップは、どうやらまだ営業しているようだった。陛下のご贔屓をあてこんでできた店で、その狙いどおり、陛下はよくここに立ち寄られていた。いつ行っても閑散としていて、そのうち潰れるのではと心配していたけれど、杞憂だったらしい。
 港の出口にかかる高さ27メートルの歩道橋、中の島大橋に登り、街を眺める。緋沙子の住んでいたマンションが見える。公邸は、木立に囲まれているので、ここからは見えない。離れの端っこが見えるだけだ。けれど、その端っこにさえ、胸がしめつけられる。
 海のほうも眺める。この橋は海の上にあるので、足の下から水平線まで、ずっと海が続いている。欄干が低くて、ちょっと恐いかわりに、眺望を遮るものもない。もやのない晴れた日には、地球の丸さを目で見ることができる。あいにく今はまだ朝もやが残っていて、それほどではない。
 初めてここに登ったのは、いつだったか。護衛官に任じられて、研修を終えて官舎に入って――たしか日曜日だった。
 あのとき私はまだ通販を使っていなくて、休日のたびになにかを買いに、千葉市や品川まで行った。ものすごいお金持ちになったような気がして、いろんなものが欲しかった。まんが家のアシスタントをしていた21歳の女にとっては、指定職4号俸は使い出があった。欲しかった靴を全部買った。その嬉しさも、買い物をする時間がもったいないと、気づくまでのことだったけれど。
 橋を渡り、中の島に降りる。島の西側は潮干狩り用の砂浜で、フェンスに囲まれていて入れない。私は東側にある公園を歩く。この公園にあるのは芝生と木立だけで、遊具やベンチはない。野球ができるくらいの面積をひとり占めして、あてもなく歩く。中の島には人家がないので、朝からここに散歩にくるような人はいない。
 一度、ここで警護をしたことがある。なにかのイベントだった。どんなことがあっただろう――そうだ、陛下はおっしゃった。『海っていいよねー。どきどきする。ひかるちゃんは?』。なんとお答えしたかは、覚えていない。
 
 公邸周囲の検問線を、ひさしぶりに通る。
 身体検査・荷物検査・車両検査は昔と同じだったけれど、ビデオ撮影が追加されていた。顔や身振りの特徴を指紋のように数値化する技術を使ったもので、街頭の監視カメラなどのデータと照合・分析することで、その人物に怪しい行動歴がないかを調べる。
 内側の検問線にいた警官のひとりが、昔の顔見知りだった。笑いながら敬礼してくれたので、こちらも笑いながら答礼した。
 美園は門の前で待っていた。助手席に乗り込みながら美園は、
 「おはよー。
 儒教の二十四孝って知ってる?」
 なんの前置きもなしに話が始まる。美園だ、と実感する。
 「いいえ」
 「昔の中国の親孝行物語のベスト24決定版、って感じの奴なんだけどさ。このなかに、70歳のジジイが幼児プレイする話があるんだわ。ジジイが赤ちゃん役で、相手はジジイの親、95歳!
 なんで幼児プレイするかっていうとね、子の自分が老けこんでると、親は己の歳を感じて辛いから、親孝行のために、自分は赤ちゃんのふりをする――っていうんだわ。頭おかしいね。
 でも、さっきお化粧してたら、幼児プレイジジイの気持ち、ちょっとわかった。
 自分が老けてるのは嫌じゃないけどさ、私が老けたのをひかるに見せるのは、辛いなーって」
 私は車を止めた。
 「運転中に泣かせないでください」
 「それじゃ今のうちに徹底的に泣かせるぜ。
 私が離婚したの知ってる? 知らなかったでしょ。そのへんの情報はきっちり押さえてるからね。子供はあっちに取られた。離婚原因が私だし、男の子だから家の後継ぎって奴だったから。もっと産んどけばよかったなあ。ああそうそう、離婚原因は私の浮気ね。男。子供の養育費も払ってる。泣けるでしょう。
 離婚もヤバかったけど、陛下は現在進行形でヤバい。もういっぺん浮気したら刑務所に行ってやる、って言われたよ。私を殺して刑務所に行くんだって。自分も死んでやる、じゃないってのが、いいよね。おっと、自慢話になっちゃった。
 仕事のときの服にはけっこう張り込んでるんだけど、見てくれてた? あれと養育費で、給料全部ふっとんでるんだわ。おかげで貯金はぜんぜんなし。泣けるでしょう。
 そして真打はこいつ」
 美園は右足をダッシュボードの上に置いた。靴はサンダルで、爪にはペディキュアがしてある。一瞬、生身の足に見えた。
 「よくできてるでしょ。左足の型を取って、コンピュータで左右反転させて作ってあるの。高いんだよ。
 これはね、今は別にいいんだわ。普通に歩けるし。歳をとってからが問題でね。長生きしたら、関節を痛めて車椅子になるだろうって。泣けるでしょう。そうなったら、ひかるが車椅子を押してよ――冗談だって。男くらい見つけるよ。
 泣ける話は、これで全部かな。
 人生なんて四苦八苦よ。仏教の四苦八苦、知ってる? 生・老・病・死、怨憎会苦、愛別離苦、……あと二つ、なんだったっけ。まあいいや。
 でもね、楽しかった。
 さーて、ディズニーランドにレッツゴー」
 美園は威勢よく号令をかけると、おとなしく黙って、私が泣きやむのを待ってくれた。