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「愛する者の愛は受動的である」と、ジョルダーノ・ブルーノはいう。愛されることは能動的な力の作用でありうる、と。
けれど、そんな力を使うのは、悲しいことかもしれない。
子供が愛されるのは、愛されないと生きてゆけないからかもしれない。 |
ブルーノの言葉は、ヨアン・P. クリアーノ『ルネサンスのエロスと魔術 想像界の光芒』(1991)からの孫引きで、もともとは『魔術論
Thesis de Magia』第三書にあったものだという。なお引用に際して、「もの」とあったところを「者」と直した。
ブルーノは、人間の情熱を神聖なものとは見なさず、合理的に操作可能なものと捉えた。情熱の最たるもの、「愛」も例外ではない。
現代作家のほとんどは、ことに愛に関しては、ブルーノ的なモデルを採用している。情熱は、天から授かるのではなく、合理的なものから生じる。たとえば田渕由美子のように、「そんなキミが好きなんだ」と。
これは精神分析の影響だろうか。むしろ、精神分析に力を与えたものと同じものが、ブルーノ的なモデルにも力を与えているように思える。人間の魂から召命と誘惑を排し、合理的な存在になりたい――という神聖な情熱を、彼らは天から授かっているのだ。
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