2004年05月12日

Winny

 二十世紀初頭のモスクワでは、反政府活動で逮捕された学生を非難するような人は少なく、同情と共感をもって迎えられたという。戦後の日本で、チャタレイ事件や「悪徳の栄え」事件の被告人がけっして孤独でなかったのと同じく、彼らは孤独ではなかった。
 賢明なる読者諸氏には、司法判断に注目しているような、ずれた人はいないと信じたい(国益のために「電気は物だ」と言い切り、さらにはそれに合わせて法律のほうを変えてしまうお国柄である)。47氏をどう迎えるか――これは、ただそれだけの問題だ。

Posted by hajime at 2004年05月12日 05:24
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