『月は東に日は西に』の謎を解くべく、オーガストの前作である『Princess Holiday』(DC版)をやってみた。この『Princess Holiday』の人気を受けて『月は東に日は西に』は期待作になったのだ。現在、レティシアのノーマルハッピーEDを見たところだ。
結論:
『Princess Holiday』は適切な長さで面白く、『月は東に日は西に』は無駄に長くてつまらない。
私は気が短いので、退屈だと思ったら容赦なくメッセージスキップを食らわせるが、『Princess Holiday』では一度もメッセージスキップを使わなかった。シナリオの力が目に見えて違う。
「シナリオの力」という表現に注意していただきたい。話が面白いのではなく(ストーリーはどちらも申し訳程度のものだ)、シナリオに力がある。
演出家は、ろくでもない脚本を演出したときにこそ力量が測られるという。この伝でいくと脚本家は、ろくでもない話を書いたときにこそ力量が測られる。話のどうでもよさが問題にならないような技術と情熱が、『Princess Holiday』のシナリオにはある。
シナリオというと話のよしあしばかりが注目されるが、これは単に、話のよしあしが論じやすいからにすぎない。読者をつかむうえでは、技術と情熱のほうがはるかに重要だ。少々面白い話でも、技術と情熱に欠けると、読者は途中で読まなくなる。
シナリオ以前の要素で、『月は東に日は西に』が不利なのは確かだ。学園という舞台は、ファンタジー世界の飲み屋よりもはるかに類例が多いので、展開に意外性が乏しく緊張感が出しにくい。共通ルートの比率がはるかに高い(エピソードの焦点が絞れないので共通ルートは難しい)。そしてもちろん、量が多い。
が、これらのハンデを勘案しても、シナリオの力で『月は東に日は西に』は劣っているように思える。
『月は東に日は西に』は、『D.C.』とは正反対に、アニメが大失敗しつつある。オーガストは、もし次回作で成功しなければ、急速に崩壊してゆくだろう。