脚本がすべてだ。
上の2冊の本を要約すると、そういうことになる。「ハリウッド・ディレクティング・バイブル」は380ページの本だが、前半の130ページを、脚本を読み解く方法に費やしている。「ムービー・マーケティング」は最終章の最後にこう述べる、「極論をいえば映画の成功はストーリーにかかっていて、そのストーリーは脚本家にかかっている」。
残念ながらこれは、現実をあまり反映してない。私はいままで「ジュラシック・パーク」の脚本への賛辞を見たことがないが、2004年8月現在、全米興行収入の歴代ランキングで「ジュラシック・パーク」は9位に入っている。
著者たちもこうした現実を知らないはずがない。知っていて無視しているはずだ。「ムービー・マーケティング」ではB級映画の例として「恐竜カルノザウルス」という作品をあげ、「ジュラシック・パーク」の便乗作品として成功したさまを描いているが、これは「ジュラシック・パーク」にあてつけたのかもしれない。
なぜ無視するのか。それは著者たちが、映画を愛しているからだ。
「ムービー・マーケティング」は再三、「『ランボー』を見る客は批評など読まない。批評だけでなく、何一つ読まない」と述べている。そうした客を満足させることに専念すべきだろうか。それとも、新聞の批評欄を見て面白そうな映画を探し、また友人たちとしばしば映画について語り合うような人々を念頭に置くべきだろうか。ビジネスの観点からはさまざまに評価できるが、映画を愛するという観点からは、答えは明らかだ。
ところで、この2冊を読んで、私が日本映画を嫌いな理由がよくわかった。予算、スタッフ、スケジュール、いずれをとってもインディペンデント映画かB級映画なのに、当人たちにはその自覚がなく、まるで大手映画を作っているかのように、鈍臭い人々に配慮しているからだ。鈍臭い人々に配慮するのは、どんな大掛かりなセットよりも贅沢なことだと知るべきである。