2005年02月09日

存在が意識を規定する

 フィガロの設定やキャラは、「嫌がらせ」を念頭に置いて作られている。
 といっても、いたずら電話のような単純な嫌がらせではない。「嫌だ」と自覚することさえ難しいような、人間性の深いところにかかわる嫌がらせを目指している。
 たとえば、「在日米軍マフィア」という設定がそうだ。日本人を不愉快にするうえで、在日米軍はまたとないネタである。なぜなら、在日米軍は、根本的に解決不可能な問題だからだ。
 「根本的に解決不可能」というのは、問題を抱えている当の本人がその問題によって作り出されている、という意味だ。
 世界が平和でないことは大問題だし、人間が人間であるかぎり解決できそうにないが、これは解決困難でこそあれ、「根本的に解決不可能」ではない。もし世界が平和になれば、私は嬉しいが、それだけだ。ほとんどの日本人も同様だろう。
 もし在日米軍が日本から撤退すれば、嬉しいだけではすまない。日本人は、それまでの日本人ではない、別の存在になる。ほとんど一夜にして、それまでとは違う価値観や世界観が発生するだろう。存在が意識を規定する、というわけだ。
 自分の意識を規定しているような存在は、それが有害かどうかを考えることさえ難しい。「うちの子にかぎって」意識、とでも言おうか。
 日本人にとっての在日米軍は、まさに「うちの子にかぎって」意識を刺激するネタである。だから、「在日米軍マフィア」という概念は、日本人をほとんど例外なく不愉快にさせる。これこそ私の狙いだ。
 なぜ嫌がらせをするのか? 後日につづく。

Posted by hajime at 2005年02月09日 03:37
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