悲観的な気分に陥ったときには、悲観的な話を読むといい。
システムソフトウェア研究は見当違いのほうを向いている
「ハードウェアは劇的に変わってきた」というのは納得できない。CPUは相変わらずノイマン型が一個だし、メモリのアドレッシングや転送の仕組みは変化していない。UIにしても、マウス・モニター・キーボードのままだ。1990年と今を比べて、本質的に新しいのは、GPUだけだ。
とはいえ、全体として、この文章には説得力がある。
だが私はどういうわけか、この文章を読むたびに、未来を信じることができる。
いつの日か、おそらくIPv6が普及した頃には、Windowsドメインはドメインコントローラなしに構成できるようになるだろう。ドメイン上のすべてのマシンがファイルサーバになり、ドメイン全体で冗長性を保持するようになるだろう。RAIDのような間抜けな仕組み(HDDより先にRAIDコントローラが壊れたという話はよく聞く)は時代遅れになるだろう。
言語は、マルチコアに対応して、実行順序の入れ替えや並列化をいっそう強力にサポートするようになるだろう。ブレークポイントのあるデバッガが普及したように、逆ステップ実行が普及するだろう。まったく新しい発想の言語(かつてHTMLがそうであったように)が登場するだろう。
ただ、それには少し時間がかかるのだ。