2005年08月09日

対テロ翼賛体制

 解散総選挙である。
 いい決断だったと思うが、犠牲は大きい。政治家が右往左往するのは、それが仕事なのでどうでもいいが、問題はイラクだ。
 スペインで成功したことが日本では成功しないと、信じてくれるとは思えない。テロリストがぼんやりしているか、警察がファインプレーを演じるかしないかぎり、死人は避けられないだろう。
 だが人命は最大の犠牲ではない。
 もし、テロに先回りして、「選挙結果にかかわらずイラク即時撤退はない」という翼賛的な声明を出すような事態が訪れたとしたら――これが最大の犠牲だ。
 現在の対テロ戦は、軍隊以外のすべてを動員した総力戦である。警察的なプロフェッショナルの能力だけでは十分ではない。テロの損害から速やかに回復する能力や、テロを無視する能力も重要である。
 日本は幸い、回復する能力には優れている。だからここでは、無視する能力の重要さを強調したい。
 無視する能力とは、あるがままの事実を認めない、ということではない。カラスが白いと思い込むことではない。物事の表面的な因果関係を無視し、「カラスは黒い? は? それがなにか?」と認識することだ。
 かつて湾岸戦争時には、クウェートが無謀な挑発外交を重ねてきた事実は無視された。これが無視できるのなら、オサマ・ビン・ラディンがアラブ人であることや、そのテロ組織がムスリムで構成されていることも、無視できないはずがない(実際、クウェートの場合よりも、因果関係のつながりは薄いと思える。アフガニスタン紛争への英米の介入(これがオサマを怪物に育てた)に比べれば、ごくささいなことだ)。
 また、テロリストの主張する「われわれの目的」なるものは、彼らのテロ行為とはあまり関係がない――と考えることも、それほど難しくない。今日のテロ行為の多くは、日本のカミカゼが生んだおかしなミームがグローバリゼーション世界で繁殖した結果であり、テロリストは、日本のマスコミの常套句でいえば「わけのわからないことを口走っている」にすぎない――というモデルはそう理不尽でもないはずだ。非人道的なモデルではあるが、テロ行為ほどではない。
 対テロ戦から尻尾を巻いて逃げる覚悟がないのなら、こういった覚悟を固める必要がある。こんな対テロ戦国家になるよりは、逃げたほうがいいと思うが。

Posted by hajime at 2005年08月09日 00:37
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