悪い質問というものは確かにある。無意味な結果しか出てこない測定があるように、無意味な答しか出てこない問いもある。
子供が悪い質問をしてもどうということもないが、マスコミが悪い質問をすると、無理に意味が与えられてしまう。
・間違った
・やむをえない
・わからない
質問はどうやらこの三択らしい。
「間違った」と「やむをえない」は排他的か。まさか。やむをえないからといって、間違った行為が正しくなることはない。正しくなると思うのは、「戦争は人殺しだ」というのと同じくらい粗雑な思考である。
戦争では人命を目標にすることはほとんどない。例外として、ナチスドイツはユダヤ人の命を重要な戦争目標にしたが、軍隊を使うのは効率が悪いと気づき、強制収容所を建設した。戦争で人命が失われるのはやむをえないことだが、だからといって、殺人が正しい行為になるだろうか。
「間違った」と排他的な項は「正しい」である。「やむをえない」と排他的な項は「避けられる」である。
毎日新聞は、2つの質問をすべきだった。ひとつは、「15年戦争は、正しかった・間違っていた・わからない」。もうひとつは、「15年戦争は、避けられた・やむをえなかった・わからない」。
「正しかった」にマルをつける人は、ごく少数だろう。お題目はどうあれ、出世主義の跳ね上がり者にひきずられていった過程が、「正しかった」とは到底言いがたい。
「やむをえなかった」という主張は、戦争観というより、人間観、組織観の問題に帰せられる。細部は必然で固められているようでも、全体としては回避する能力があった――というのが私の見方だが、違う見方もあるだろう。興味深いアンケート結果が得られそうな質問だ。
さて明日はV-J Dayである。