2005年11月11日

ホワイトバンドを擁護する

 あなたは乞食に施しを与えたことがあるだろうか。
 そもそも、本物の乞食を見たことがあるだろうか。いっさいの大義名分のない、ただ乞食自身の哀れみだけを掲げる、本物の乞食を。「盲人支援のための募金を」と呼びかける盲人の運動家ではなく、「私は目が見えません」という札を掲げた盲人の乞食を。
 日本に来てからというもの私は、本物の乞食を見たことがない。これが資本主義なのだと悟るまでに、10年かかった。
 資本主義のもとでは、労働者は市場の向こうにおり、消費者の目に見えない。それと同様に、乞食は募金箱と投票箱の向こうにおり、慈善家の目に見えない。
 あなたは商品を買うとき、労働者が流した汗に対して支払うのだろうか。まさか。あなたがiPodを買うときにAppleに流れ込む金は、東南アジアの組立工が流した汗とは無関係だ。
 あなたは募金するとき、乞食の哀れさに対して施すのだろうか。
 東南アジアの組立工が作ったiPodでAppleが儲けることは正しいのに、アフリカの子供たちの哀れさでサニーサイドアップが儲けることが間違っているのは、なぜなのか。
 もちろん、この理屈はおかしい。断固として。
 第一に、アフリカの貧しい子供たちの多くは、乞食ではない。
 組立工は労働力を売って賃金をもらう。しかしアフリカの貧しい子供たちは、哀れみを売って施しを受けようとはしていない。アフリカで施しを求めているのは、貧しい子供たちではなく、裕福な支配層だ。
 第二に、哀れみはiPodではない。
 誰かが作り、誰かが売らなければ、iPodは存在しない。だからiPodが存在するためには、誰かが儲ける必要がある。
 誰も作らなくても、人間があるかぎり、哀れみは存在する。だから哀れみのために、誰かを儲けさせる必要はない。乞食は神の宝石なのだ。
 サニーサイドアップを儲けさせる必要はない。
 だがサニーサイドアップは儲けた――ということは、この世のなにかが、間違っている。
 2番目の命題に戻ろう。『乞食は募金箱と投票箱の向こうにおり、慈善家の目に見えない』。これがその間違いだ。目に見える隣人ではなく、箱の向こうの人々を哀れむ、そのイデオロギーが間違いだ。神の宝石の輝きを、箱につめて売り買いできると思う、その傲慢さが間違いだ。
 「募金になると思ってホワイトバンドを買った」という言い訳を、私は認めない。
 そしてサニーサイドアップを擁護すべき理由も、ここにある。彼らは、この間違いを間違いとして、白日のもとに晒した。それも、口先の理屈(この日記のことだ)でなく、市場の現実によって。
 現実の矛盾を覆い隠す虚偽意識(=イデオロギー)を維持するよりは、矛盾をますます昂進させて暴露するほうが、よい。この資本主義世界にあっては、それは無邪気な資本主義者によって行われるだろう。サニーサイドアップはまさにそのような役目を果たした。彼らは世界を前に進ませたのだ。

Posted by hajime at 2005年11月11日 05:36
Comments