2005年11月08日

聖人強度

 ヘレン・ケラー×サリヴァン先生に萌えたことはおありだろうか。まさか読者諸氏の知識は「WATER」(それも『ガラスの仮面』の)で止まってはいないだろうか。
 アン・サリヴァンは、20歳でヘレンに出会ってから死ぬまでの50年間、ずっとヘレンのそばにいた。ヘレンの目や耳となり、「WATER」のときにそうしたように、毎日その手に文字を書き続けた。
 萌える、というには少々強すぎるだろうか。だがここで怯んではいけない。というわけで、ヘレン・ケラー『わたしの生涯』を読んだ。
 認めよう――私の負けだ。
 アン・サリヴァンは、私の知るかぎり、もっとも神に近い人間である。『奇跡の人』というだけのことはある。聖人強度でいえば1億パワーくらいか。
 あまりのことに、適当な萌えエピソードなど見当たらないが、ひとつだけ紹介できる。
 アンは、ヘレンが大学を卒業したあとに結婚したが、数年で別居するに至った。もちろん、結婚前から別居後までずっと、ヘレンはアンのそばにいた。
 ヘレンの半生(すなわちアンの半生でもあるのだが)も興味深い。
 できるだけ施しを受けず、財政的に苦しみながら、公演、執筆、ボードヴィルをして稼いでいる。その内容がいい。ヘレンの三重苦を哀れみたがる世間への、いい加減な迎合ではない。参戦反対運動(第1次世界大戦への)に社会主義運動だ。
 そのためだろう、ウッドロー・ウィルソン大統領への評言(260~264ページ)は鋭い。「それと同じように後世の者も、ウィルソン大統領の偉大であったのは言葉にあったので、その人間性にあったのではないということを悟るでありましょう」。ヘレンがこのくだりを書いた当時(1929年)には、彼の言葉が20世紀の世界史をデザインするとは予見できなかったはずだが、なにか感じるところがあったのだろうか。

Posted by hajime at 2005年11月08日 04:21
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