指定職4号俸について。
国会議員などの例外を除いて、公務員の給与はポストごとに「××職×号俸」という具合に定められている。たとえば事務次官(官僚のトップ)は指定職11号俸だ。「××職×号俸」の具体的な金額は毎年の人事院勧告によって変わるが、ポストと「××職×号俸」の対応は変わらない。
指定職4号俸があてられているポストは、本省の局次長、審議官、外局の次長といったところだ。大企業でいえば役員クラスの最下層にあたる。
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日曜日には、国王の仕事は休みになる。
土曜日も原則として休みだが、丸一日なにもない日のほうが少ない。昨日も陛下は老人ホームをご訪問なさった。ただし護衛官は土曜日には滅多に警護しない。国王には12人のメイドと3人のコックがついているので、休日が少なくてもなんとかなるが、護衛官には一人もいないのだ。
日曜日は、国政選挙の公示期間中でもないかぎり、丸一日休みになる。もちろん護衛官もお休みだ。
私は早起きして、部屋をざっと片付けた。掃除機をかけたりするのは、メイドの仕事にとっておく。今日は公邸からメイドがきて、屋内を掃除してくれる。護衛官の官舎は一人暮らしするようにできていないので、家事を手伝うために、財団がときどきメイドをよこしてくれる。
片道30分のスーパーに行って、食材を買い込む。
昼食前、一週間ぶりに料理というものをする。料理といっても、もりそば。いつもは財団の職員寮の食堂で食べている。『護衛官専用』と銘打って、職員とは違う献立を作ってくれている。聞いたところでは、陛下のお食事と同じものだという。予備の食材のおさがりなのだろう。さすがにおいしい。ただし食器は食堂のものだ。
料理しながら、食べながら、たまっていたTVアニメの録画を流す。陛下はTVアニメがお好きなので、話題にできるように見ている。内容自体はつまらなくても、陛下のご感想を想像しながら見ると面白い。
食べ終わった皿や、そばを茹でた鍋などを、洗わずにキッチンのシンクに置いておき、これまたメイドの仕事にする。30秒もあれば片付いてしまうが、こういう細々した仕事がないと、メイドは不安そうな顔をする。
録画を見ながらメイドを待っていると、チャイムの音がした。玄関に迎えにゆく。
背の高い姿。
「あら、今日は平石さんなの。陛下のお言いつけ?」
「はい」
つまらなそうな顔をしている。無理もない。陛下のお側にいられるはずが、私の世話をさせられるのだから。
平石緋沙子に掃除をまかせて、私は録画の続きを見る。彼女はキッチンから取りかかった。
メイドたちはみな惚れ惚れするほど掃除が素早い。巨大なカゴに掃除道具をひとまとめに入れていて、作業にふさわしい道具が一瞬で出てくる。雑巾だけでも3種類くらいを使い分けているらしい。
平石緋沙子には、あんな名人芸ができるのだろうか。気になってちらちら見ていると、少しもひけを取らない。
私は、仕事中のメイドに用もなく話しかけることは、めったにしない。けれど今日は、どうしても口をきいてみたくなった。私はビデオを止めて、キッチンに入った。
「掃除のしかたって、イギリスでも同じなの?」
「基本は同じです。相手と道具を知ったうえで、段取りを組み立てるんです」
「それって、どんな仕事もそうなんだけど」
「公邸は日本建築ですから、勝手が違います。でも道具は同じようなものです」
そうして、しばらく無駄話をした。
バッキンガム宮殿のスタッフはみなひどい薄給らしい。洗剤は日進月歩のハイテク産業だという。ブラシは、先が少しでも丸くなったら、すぐに取り替えなければならない。
キッチンとダイニングの掃除はすぐにすんで、平石緋沙子は別の部屋に移った。私はダイニングで録画の続きを見て、それがすむと、ファッション誌をめくる。
陛下のお姿はさまざまなメディアに出ているが、一番よく撮れているのは、ファッション誌だ。モデルにくらべると背が低いのが目立ってしまうものの、ポーズや仕草の美しい瞬間をよく選んでいる。陛下のこういうお美しさは、写真ではなかなか伝わらない。陛下ご自身も、写真よりもTVを好まれる。
(もっとも、一番ご贔屓のメディアは、ラジオなのだが。陛下は小学生のとき、声優を目指しておられた)
ファッション誌にはたまに、私の服装が取り上げられていることもあるが、なるべく見ないようにしている。モデルはみな背が高いのに、私のようにあまり背の高くない女がマニッシュなパンツスーツを着ているのは、どうしても格好のいいものではない。
のんびりしているうちに、FAXが届く。明日の月曜演説の警備についての連絡だった。
国王は毎週月曜日の昼に、国内各地を訪れて、演説をする。内容はつまるところ世間話だ。演説の開催地への共感を表し、前の週にあった大きな出来事をとりあげて感想を述べ、国王自身の個人的な出来事を話し、千葉の独立を称える。無難な話題が欲しいときは、月曜演説の話をすればいい、というくらいのものだ(相手が割譲派や併合派でないかぎり)。
聴衆を集める都合上、月曜演説の開催予定は前々から発表されている。会場には小中学校の体育館や公民館が多い。こういう会場では、聴衆の最前列から演壇の上の陛下のところまで、3秒で到達できる。会場の警備には地元警察があたるので、警護とのすりあわせに苦労することが多い。護衛官としては神経を使うイベントだ。
FAXの内容は、私の要望に対する回答だった。小銃や望遠カメラで控室を狙える地点が多すぎるので、控室の場所を変えるよう、地元警察に要望していた。回答は、場所は変えない、そのかわり衝立を増やす、だった。
私はFAXをファイルに放り込んだ。なめられているのは明白だが、いまからではなにもできない。
ファッション誌を見ながら、インターネットを調べて回る。着る機会がめったにないような服にかぎって気になる。少々買っても痛むような懐ではないけれど(護衛官は指定職4号俸だ)、あとで処分したときに悲しい気持ちになる。
と、
「設楽さま、屋内の清掃が終わりました。ご用をなんなりとお申しつけください」
私は時計を見た。午後4時。早く陛下のもとへ戻りたいことだろう。お側仕えのメイドたちはみな職業的な笑顔が上手なのに、平石緋沙子は仏頂面をしている。
少し、意地悪をしてみたくなった。
「お茶を入れて。二人分」
メイドにお茶を注文するときは、ちゃんと『二人分』と言わないと、私の分しか持ってこない。
早く戻りたい一心で、大急ぎでおざなりに入れてくるかと思いきや、たっぷりと時間をかけた。
2客の茶碗をダイニングテーブルに置くと、平石緋沙子はテーブルにつかず、後ろに下がって立った。
「座って、飲んで」
「恐縮です」
入れてもらったお茶を飲みながら、自分の15歳を振り返った。
おいしいお茶の入れ方など、知っていただろうか。思い出せない。きっと知らなかった。たとえ知っていても、こんなときに、時間をかけてお茶を入れることができただろうか。とてもそんな気がしない。
私は改めて、平石緋沙子を尊敬する気持ちになっていた。
「ひさちゃんは、日曜日にお仕事なんだ。お休みは何曜日?」
思わず、『平石さん』ではなく『ひさちゃん』と言ってしまった。陛下の呼び方がうつったらしい。
「月曜と火曜です」
「今日が終わったら、水曜まで陛下と会えないんだね。早く帰りたいでしょう」
私は意地悪を言ったつもりだった。
「……いいえ」
重い言葉だった。
思えば、彼女がここに来たのは、陛下のお言いつけだという。愛しい中学生メイドとゆっくり過ごせる、せっかくの機会なのに、なぜ私の家の掃除をさせるのか。おかしいと気づくべきだった。
どう応じたものか、私はしばらく悩んでから、
「――陛下と喧嘩でもしたの?」
「いえ」
あまり深くたずねないほうがいい、そんな気がした。その一方で、陛下のことを知りたがっている私がいる。
「陛下のこと、嫌いになった?」
「お慕い申し上げています」
どうも、事情はひとつしかなさそうだった。
「陛下に、なにか――セクハラされた?」
「……国王の名誉を守り、威厳を高揚することも、護衛官の使命のうち。そうですね?」
ただごとではなさそうな雲行きだった。ふざけて胸を触られた、くらいではすみそうもない。
「ええ」
「ですから、設楽さまに相談すれば、陸子さまのためになるようにしていただけると思います。
――陸子さまは、私が設楽さまのことをお慕いしているのだと、思い込んでおられます」
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