電車の吊り広告に、ずいぶん長いこと出ていたのが、印象に残っていた。今日、古本屋で見かけたので、5分ばかり立ち読みした。フランスがドイツに敗れた直後の1940年に書かれた本である。
5分しか読まなかったので、その範囲で書く。もっと重要な問題もあるかもしれないが、私は知らない。
敗戦直後に書かれたせいか、著者はいろいろ誤解している。
現有兵力や国防努力でフランスがドイツに劣っていたという認識は、完全な誤りだ。兵器が旧式だったわけでもない。セダン突破の前日にも、フランス側の戦車は質量ともにドイツに優っていた。国防努力の量が足りなかったわけでもない。高射砲や戦車を作らなかった? それはある意味では事実だ。なにしろフランスは、高射砲や戦車のかわりに、マジノ線を作っていたのだから。
フランスが敗れたのは、フランスの力や意思が足りなかったせいではない。やりかたが悪かったせいだ。つまり、政治家と将軍と、そしてなにより国民の、頭が悪かったのだ。
ひとくちに「頭が悪い」といっても、いろいろな中身がある。
まず、「あの努力は無駄じゃない」という独善的な発想に陥った。マジノ線のことだ。マジノ線を無駄にするのが嫌で、フランスは主導権を取ろうとせず、自らの運命をドイツの行動に委ねた。もしフランスが、マジノ線など存在しないかのように振舞っていれば、もっとましな展開があっただろう。少なくとも、ポーランド侵入をぼんやり眺めたりせず、ラインラントに侵入していただろう。
次に、「世の中はこんなもの」式の発想に陥った。ビジネス用語でいうところの「ベスト・プラクティス」だ。敵も同じように思ってくれたなら(そして実際そういうケースも多いのだが)、これでも負けることはない。しかしこのときは、技術革新という客観的な現実を利用したドイツが、「世の中はこんなもの」という主観的な期待を抱いたフランスを打ち砕いた。
こうした問題は、事実の詳細に立ち入らなければ、見えてこない。著者は、フランス軍がドイツ軍に劣っていたかのように書いている。しかし、同等の力を備えた二国の戦力を比較することが、どれほど難しいか。「フランス陸軍の通信能力はドイツ陸軍より劣っているから係数0.8を掛けて」という具合にはいかない。ましてや一国の国防を「努力」や「意思」などと一般化するのは、愚劣を通り越して、職業軍人への侮辱である。努力や意思が十分なら、マジノ線に縛られる愚を避けられたのか?
本書が書かれたのが敗戦直後と思えば、こうした侮辱も許されるだろう。だが、それ以上のものではまったくない。