かつてロリコンブームというものがあった。1980年代半ばのことだ。
ロリコンブームを吾妻ひでおやかがみあきらに結びつけるのは、記憶の美化もはなはだしい。ロリコンブームに乗って出てきたまんが家のほとんどは、ゴミのような絵を描いた。もちろん、そうしたゴミ描きのほとんどは、今日では忘れられている。だが私は確信を持って言える。彼らゴミ描きこそが、ロリコンブームだった。
(もちろん、素晴らしい絵を描く作家もいた。松原香織はロリコンブームの最良の部分だった)
蛭児神建は、個人的には、雑誌『プチ・パンドラ』の編集長として記憶している。ロリコンブームの爆心地近くで活動していた人物だった。
さて本書である。一言でまとめれば、気違いの泣き言だ。実在の人物のことが書いてあると思わなければ、それなりに面白い。7andy
褒めたので、例によってイチャモンをつける。気違いの泣き言にイチャモンをつけるのも馬鹿げているが、どうしても一つだけ言わなければならない。
95ページで、著者は自分をゴルバチョフにたとえている。どちらも、自分で始めた事業が暴走して自分の手に負えなくなった、と。
イチャモンをつける前に、物事を整理するため、気違いの言うことに反論する愚をあえて犯そう。
著者のこの言明は、ほとんど意味をなさない。ゴルバチョフが始めたのは、偉大な事業である。偉大な事業は、理念によって動く。その事業に携わる人々が、ひとつの理念を共有している。この理念は、ひとりの人間がスイッチを入れたり切ったりできるようなものではない。
ロリコンブームの渦中にいた人々が、なにかを共有していたことは確かだ。しかしそれは理念と呼べるものだったか。
もうひとつ。著者は、ゴルバチョフのように操縦席にいたわけではない。スイッチを切れると思うのは、まさに気違いの誇大妄想だ。
反論はここまでで、ここからがイチャモンだ。
著者がゴルバチョフを引き合いに出すのは、不適切なだけでなく、不愉快でもある。
ゴルバチョフは、今でも信じている。「社会主義は正しい」、と。だからペレストロイカを始めた。社会主義を立て直すために。しかし著者はどうか。「ロリコンは正しい」と信じているか。いや。それどころか、「ロリコンは間違っている」「ロリコンは病気だ」と信じている。
私は、社会主義が正しいとは信じられない。ロリコンが正しいとも信じられない。見解の相違でいえば、私とゴルバチョフの相違のほうが、私と著者の相違よりも大きい。
だが私は知っている。著者とゴルバチョフの、どちらが尊敬すべき人物であり、どちらが避けて通るべき人物であるかを知っている。一方は、正しいと信じたことを行い、世界をよりよい場所にしようとして、ある程度まで成功した。一方は、自分を変質者とみなし、同病相哀れむ仲間と篭るシェルターを求めた。
ただのイチャモンで終わるのも芸がないので、もう少しだけ続く。
本当に重要なことは、なかなか文字にできない。あまりにも当たり前すぎて、書くべきこととして認識するのが難しい。本書を読んで私はそのチャンスを得た。百合について、まだ書いていない、書くべきことがある。
百合は正しい。百合は、人類の明るい未来、21世紀のグローバルスタンダードだ。私はそう信じている。この「信じている」というのは謙遜した言い方で、本当は、信じているのではなく、知っている。あまりにも自明のことなので、書こうとは思わなかったくらい、知っている。
百合の現状は、けっして満足すべきものではない。だが、「百合は正しい」という感覚が広くみられることは、きわめて喜ばしい。百合が求めるのは、シェルターではなく、革命だ。