2006年04月06日

エラスムス『痴愚礼讃』(慶応義塾大学出版会)

 読者諸氏は、ルネサンスの人文主義者がラテン語で書いたものを、読んだことがおありだろうか(もちろん邦訳でいい)。「はい」という答はかなり少ないはずだ。ボッカチオ『デカメロン』もマキャベリ『君主論』も俗語で書かれた。一般人が読む可能性が高いものは、トマス・モア『ユートピア』と本書くらいで、それも前者二書の読まれ方には遠く及ばない。
 思想的な距離が遠い、という問題はある。新プラトニズムや占星術について、ルネサンス当時の思想的な見取り図を持っていないと、なにを言っているのかわからないような文献が多い。また、読者の想定範囲が狭い。きわめて均質な教養を備えた人々を読者として想定しているので、その想定範囲を少しでも外れると、ほのめかしや引用が理解できなくなる。
 だが最大の問題は、彼らのラテン語の文体にあると思う。
 見慣れない単語をちりばめた大仰な文章を書くことに、彼らは血道をあげた。文体は内容を規定する。なにかしら本質的でない、自分自身の実感から離れた、空虚なことを書いていることが多い。実感がこもっている場合にも、正面切って問題に向き合っているよりは、行間からにじみ出ていることが多い。
 本書もその例に漏れない。著者自身は面白おかしく書いたつもりなのだろうが、無念や後悔や世を恨む気持ちが、行間からにじみ出ている(こういう感情はどういうものか翻訳でも失われない。元アメリカ大統領リチャード・ニクソンの著書にも、同じような思いがうかがえる)。だから読まれるのだろう。
 行間や文体はともかく、内容は他愛もない。私が愛してやまないような人間の馬鹿馬鹿しさを賞賛している。痴愚は、目的でも手段でもなく、人生そのものなのだ。7andy

Posted by hajime at 2006年04月06日 01:30
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