2006年04月27日

中村逸郎『ソ連の政治的多元化の過程』(成蹊堂)

 1988年からソ連崩壊にかけて、モスクワのある地区党組織(オクチャーブリ地区党委員会)の活動をリアルタイムで調査した本である。『東京発モスクワ秘密文書』(新潮社 7andy)と内容はほぼ同じらしい。一般にはこちらのほうが手に入れやすいだろう。
 さて内容だが、素晴らしい。日本語で読めるソ連本のなかでは、五本の指に入る。
 地区党組織の日常業務は、まさに本書の内容なので現物を読んでいただくとして、私の興味について言いたい。
 1991年前半の時点で、エリツィン派(いわゆる地域間グループ)の権力基盤が崩壊しつつあったことが本書から読み取れる。
 そもそも、遠く離れた目で見れば、モスクワ市民はモスクワに住んでいるというだけで既得権益にあずかっている。文化、教育、物資などのあらゆる面で恵まれているのに、市場原理がないので家賃は安い。損得でいえば既存体制を支持すべき人々である。実際、オクチャーブリ地区の人々は、地区ソヴィエトが地域間グループの手に落ちた直後に地上げにあい、アパートを追い出されようとしている。
 モスクワ市民が地域間グループになびいた最大の理由は、彼らが新鮮で、党には飽き飽きしていたからだ。だが新鮮さが失せれば、どちらにつくのが得か、わかってくる。オクチャーブリ地区では1991年前半の時点ですでにそうなっており、地区ソヴィエト議長(イーゴリ・ザスラフスキー)は1991年7月に辞職に追い込まれた。
 客観的には、党は、主要な人々をきっちりと買収していた。選挙ではいざ知らず、クーデターや内戦では、モスクワ、レニングラード、キエフなどの大都市を掌握すればあとは自動的についてくる。1991年の党上層部に、クーデターを待望する空気があったのは、こうした客観的条件のゆえだろう。
 実際のクーデターはあの通りの結果に終わった。失敗の原因はいくつも挙げられる。だが、首謀者たちの意思決定過程は、今日までほとんど明らかにされていない。裁判はうやむやにされてしまい、登場人物は勝手なことを言うばかりで証拠は出てこない。となると、首謀者たちが判断の根拠にした材料を見てゆくべきだろう。本書は、首謀者たちの目に映っていた判断材料のひとつを明らかにしているかもしれない。

 

 話は飛ぶが、本書36ページから。

 私はまず、地区党委員会で働く職員の数から聞き出すことにした。
 「ここには、五十八人の党員がいます」
 「地区内の党員数を教えてください」
 「今日現在、五万二百九十人です」
 「党員の中で、高等教育を受けた人はどのくらいいますか」
 「全体の五十八パーセントです」
 「地区党委員会は、住民から投書を受け取っていると思いますが、その数を教えていただくことはできるのですか」
 「昨年の統計になってしまいますが、千七百八十四通です。その内訳は……」
 驚いたことに、ラヴリョーノフ補佐官はなにも見ずに、こうした数字を次々に答えていくのである。

 お前はアンジェリークか。

Posted by hajime at 2006年04月27日 04:30
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