2006年06月13日

少コミを読む番外編・Cheese!増刊を読む

 『Cheese!』7月号増刊を読んだ。
 ご存知でない諸氏のために説明すると、『Cheese!』は小学館の発行する少女まんが誌である。少コミの姉妹誌といった位置づけで、少コミより上の年齢層(中学生)をターゲットにしている。なお今回読んだのは増刊のほうであって本誌ではない。お間違えなきよう。
 作品ごとのレビューはあまりにも辛いので、気になったテーマでまとめてみる。
 少コミ系の少女まんがを読むかぎり、「モテ」という煽りからは逃れられない。では、「モテ」という煽りにどう向き合うか。
・素直に煽られて焦る・反発する
・煽りとして相対化する
・作家の考えをみる
 などなど、さまざまなスタンスがありうる。
 今回は、「モテる方法」、モテメソッドについての作家の考えをみてみよう。これはメガネ問題への態度から読み取れる。

 
 モテメソッド的には、メガネをやめてコンタクトにするほうがいいのか? それとも、メガネを生かすほうがいいのか? これがメガネ問題だ。
 まずは、腰を落ち着けて、よく考えてみてほしい。
 他の事情を考慮に入れず、無条件にメガネをやめてコンタクトにすればいいというのは、自分の欠点を隠そうとする態度だ。それも、メガネが実際に欠点として働くからではない。
 近世・近代の売春と婚姻について、少々調べたことがある(恋愛には疎いがあしからず)。その経験から言わせてもらえば、時と場合と相手を問わず無条件に欠点として働く欠点はただひとつ、「バカ」だけだ。バカ女がモテるのはエロゲーの中だけだ。しかし少なくともこの号には、バカという欠点を隠そうとする話はない。漢字や熟語が読めなくてしょっちゅう青ざめている主人公(といっても学力が怪しいだけで頭はいい)など面白そうなのだが、そういう話はない。それに対して、メガネ問題にかかわる話は3本もある。
 メガネという欠点は、現実のものではない。お手軽に隠せるからこそ欠点として認識される、いわばスケーブゴートだ。それがわかっているかどうかで、話の説得力がまるで違ってくる。
 嶋木あこ『好きになるまで待って』と、河丸慎『初エッチ×LV.0』では、主人公はメガネをやめてコンタクトにすることでキレイになる。どちらでも、メガネを外すことには重点はない。メガネ=ダサい、という安易なまんが的記号として使われているだけだ。「無条件にメガネをやめてコンタクトに」とまではいえないようにも見える。
 しかし、だ。
 キレイになるという高度に複雑なプロセスが、安易なまんが的記号として表現されること――このやりかたに、作家のモテメソッドへの考え方を読み取らないわけにはいかない。しかも、そのまんが的記号は、「無条件にメガネをやめてコンタクトに」という発想に立脚している。
 考えれば考えるほど、メガネ問題への回答はひとつしかない。「メガネを生かすほうがいい」だ。
 本はるか『欲しいの?』は、この点では、正しい態度を示している。メガネに重点を置き、メガネを外さないままで、主人公をキレイに描く。そして、「別にいんじゃん? メガネのまんまだって」と、乙女ちっくの時代に大流行した有名手筋でまとめている。
 これでいいのか? いや、よくない。
 この有名手筋、「そのままの君が好き」は、「モテ」という煽りと両立しない。そればかりか、「キレイになりたい」という願望とも両立しない。
 あれほど流行した有名手筋が、どうして今は廃れてしまったのか。その理由がここにある。「モテ」という煽りは少コミの特殊事情だとしても、「キレイになりたい」という願望は普遍的なものだ。「そのままの君が好き」は、単なる流行り廃りで廃れたのではない。この世の基本原理に反しているため、長続きしなかったのだ。
 というわけで、この号のなかには、メガネ問題についての納得のいく結論は見つからない。「メガネを外してキレイになる」の安易さと、「そのままの君が好き」の弱点をどちらも避けた、新しい結論が必要だ。
 新しい結論がまだないので、この話もオチがない。あしからず。

Posted by hajime at 2006年06月13日 00:33
Comments