洋服のズボンはサスペンダーで吊るほうが美しく格式も高い。モーニングなどの礼装はサスペンダーと決まっている。スーツ野郎のことを「サスペンダーを使っているような奴」と表現した文章を読んだこともある(その筆者はアメリカ人)。
が、日本では、サスペンダーのイメージがあまりよくない。日本で洋服が普及したときにはもうベルトが一般的になっていて、フォーマルなサスペンダーを見ることが少ないからだろう。実写なら迷わずサスペンダーというところでも、文字ではなかなかそうとは書きづらい。
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その翌日が最後の出勤になった。
朝、私は執務室の掃除にとりかかった。執務室を自分で掃除するのは初めてだった。いつもはメイドがしてくれていた。
スーツのままではいけないので、掃除用のスモックを借りた。これは袖口まで被ってくれる。緋沙子から教わったとおりに、掃除機と雑巾、洗剤と空拭きを組み合わせて、きれいにしてゆく。狭い部屋だと思っていたけれど、掃除する身になってみると広い。
「ひかるちゃん? おはよー」
陛下だった。私は雑巾を置いて一礼した。
「おはようございます。今朝は一段とお美しくなさっておられますが、もしかして今日は妖精の国に御用でしょうか」
「じゃあ、ひかるちゃんは、お掃除の妖精さん?」
「では、こうすると、どんな妖精になるでしょう」
私はスモックを脱いだ。
「うーん…… ひかるちゃんの妖精さん」
向き合ったまま、一瞬、会話が途切れる。こういうときは私のほうから話の接ぎ穂を出すべきなのに、なにも思いつけなかった。なにを言っても辛くなるような気がして。
「今日は帰りが遅いから、もう会えないよ。
またねー、ひかるちゃん」
私は一礼した。陛下は小さく手を振りながら、とんとんと軽やかに後ろに歩いて、きびすを返し、廊下をゆかれた。
私は幸せだった。
だから少しだけ泣いた。
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