例によってネタがないので参考文献を紹介する。まず法学から。
・芦部信喜『憲法』(岩波書店)
・芦部信喜『憲法判例を読む』(岩波書店)
・高橋和之ほか『憲法の争点』(有斐閣)
・タイトルを失念したが、比較法学の教科書
法学は設定厨の天国だ。設定ノートを作ったことのあるかたなら、ぜひ一度は触れてみることをお勧めする。
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私はモスクワに行き、そこで働いた。
護衛官時代、ボディガードとしての私の役目は主に、射線を遮ることだった。この役目を果たすには、図体が大きいほどいい。また、巨漢のほうが見た目にも威圧感があり、依頼人を安心させる。だから、マフィアに狙われているような差し迫った危険のある依頼人は、身長161センチの私を雇わない。
それでも仕事には困らなかった。
今のロシアでは、身代金目的の誘拐事件がよく起こる。外国人ビジネスマンとその関係者は狙われやすい。狙われやすいというだけで具体的な危険はないので、よほどの重要人物でないかぎり警察は警護をつけない。そこで民間のボディガードが雇われる。
この場合、依頼人にとっては、図体の大きさよりも、語学力と信用のほうが大切だ。語学力が足りないと、警護対象や警察との意志疎通が難しくなり、トラブルが増える。たちの悪いボディガードは、誘拐犯と内通して、かえって危険を招き寄せる。
この種のボディガードはステータスシンボルでもある。「この人物にはボディガードを雇うほどの価値がある」ということを、見る人に知らせるからだ。
理由はわからないが、ロシア在住の千葉人ビジネスマンは猛烈に見栄を張る。陸子陛下の元護衛官という私の肩書きは、見栄を張りたがる依頼人の目には、手ごろなステータスシンボルと映ったらしい。
しかも私は女だった。女のボディガードは少ないわりに需要が多い。妻や娘に警護をつけたいが、男のボディガードは身持ちが信用ならない、という依頼人がたくさんいる。それなら同性愛者とみられている私はどうなのかと思うが、緋沙子のことがあったので、その心配は打ち消されたらしい。私が緋沙子と駆け落ちのようにしてモスクワに来たことを、千葉人はみな知っていた。
モスクワに来たばかりのころの私は、こうした事情に疎かった。けれどエスコートサービス会社はわかっていた。会社は、私の指名料を、不条理なくらい高くした。おかげで私は不条理なくらい儲かった。
そのかわり困ることもあった。私が仕事を休むと、そのときのスケジュールに当たっていた依頼人が、顔を潰されたと言って怒るのだ。それに私には不条理な儲けはいらなかった。私はエスコートサービス会社をやめて、ひとりの依頼人と年単位で専属契約を結ぶことにした。
専属契約を結んだ依頼人は、モスクワに家族を連れて来ている千葉人ビジネスマンだった。主な警護対象は妻と娘で、ときどき依頼人本人やその客も警護した。
依頼人と妻はいい人だったが、娘には手を焼かされた。何度もわがままを言われては往生した。本人はそれで陸子陛下になったような気でいたらしい。遠くからだと陛下はわがままなかたに見える。近くで見れば、お側仕えの者を面白半分に困らせるようなかたではないとわかるのだが。
私の後任の護衛官は、橋本美園だった。
国王財団の人間は護衛官にならない、という不文律がある。財団が陛下にひどいことをしないよう見張るのも、護衛官の役目だからだ。陛下はそれを曲げて、美園を護衛官になさった。どういう経緯でそうなったのか、私にはわからなかった。美園自身が強く望んだのか、それとも陛下が美園を口説かれたのか。
ロシアでは千葉国王に絶大な人気がある。日本人がロシアに滞在すると、時の千葉国王の顔を覚えて帰る、と言われるほどだ。TVなどで陛下のお姿を拝見する機会も多く、美園の姿もときどき映っていた。
護衛官の美園をTVで見ると、いつもフェミニンな装いをしていた。衣装代のことを考えると、護衛官の給与では、なかなかできることではない。私の計算では、陛下に並んだときに釣り合うくらいのワードローブを維持すると、それだけで給与の手取りの3分の1が消える。私が男装のようなマニッシュなスーツで通したのも、そのほうがずっと安くあがるから、という理由が大きかった。
美園のフェミニンな装いは、私のせいかもしれない。私がいつもマニッシュなスーツだったので、その印象をひきずりたくなかったのかもしれない。美園の姿をTVで目にするたびに、なんとなく申し訳ない気がした。
私がモスクワに発った年の冬、ロシアが千葉を日本に売った。
過去50年間、千葉はずっと売り物だった。値段の折り合いがつかなかっただけだ。日本の内地から在日米軍を四軍とも撤退させ、千葉のロシア軍は海軍を残す――これが旧ソ連とロシアの出した条件だった。
これに対して日本側は、いずれ千葉の政治体制が崩壊すると期待して、交渉しようともしなかった。急ぐ買い物ではなかった。千葉経済は総じて好調で、国境には税関も検問もなかった。問題は在千ロシア軍だったが、千葉の政治体制が崩壊すれば在千ロシア軍は無条件で撤退する、というのが日本側の思惑だった。
その思惑は外れた。千葉の政治体制が崩壊する理由はなかった。千葉には本物の選挙があり、独立維持の意思も本物だった。そこで日本側の見方も変わってきた。千葉にロシア軍があるかぎり、千葉は独立を維持するだろう、と。
また、ソ連崩壊とその後のロシア経済の混乱で、日本海自とロシア海軍の戦力バランスが変わった。日本海自は米海軍抜きでロシア海軍を抑えることができる、と考えられるようになった。
さらに、原油価格が長期的に上昇傾向にあるとの予想が信憑性を持つようになった。原油価格の上昇は、シベリアの石油・天然ガス開発に有利に働き、千葉の経済的地位を高める。
しかし、ただ単に千葉を買うのでは、大義名分が立たない。差し迫った理由はないのだから、大義がなければ政局は動かない。
そのため日本の連立与党は、千葉問題を、改憲問題の一部に組み込んだ。改憲問題という枠のなかに、千葉問題と日米安保問題を置き、まとめて解決しよう――これが連立与党の描いた構想だった。これは「新日本構想」と名づけられた。
新日本構想が正式に発表されると、ロシア政府は、構想への好意を表明した。千葉が売られた瞬間だった。
国王財団と一部の政治家は抵抗したが、大半の国民はあきらめていた。私もあきらめていた。心理的にも軍事的にも、国防軍は日本自衛隊とは戦えない。多くの政治家と国民は、併合に抵抗するかわりに、併合後の立場を有利にするために努力した。
そして浦安条約が結ばれた。これにより併合が決まった。
新日本構想に従い、多くのことが、『次の日本国憲法改正後に行う』という条件つきで定められていた。国防軍の日本自衛隊への編入、内務省と裁判所の改組、大蔵省の解体、国王の法的地位の見直し、などなど。
その日本国憲法の改正案が、国民投票で過半数を得られず、否決された。
連立与党は四分五裂して政局は大混乱に陥った。新しい改憲案の国会可決に必要な票を取りまとめるどころか、改憲案を各党内で一本化することもできない状態になった。
さらに、かつての独立維持派が体勢を立て直し、千葉の再分離を主張する再分離運動として現れた。これは千葉内だけでなく、日本全国に一定の支持を得た。国王財団もこの運動の一翼を担っていた。
再分離運動の一部は、旧割譲派のテロ組織と結び、西千葉で盛んにテロを行った。テロの目標になったのは、かつて旧割譲派を支援した人々だった。この支援者たちは、浦安条約をみて、旧割譲派を用済みとばかりに切り捨てたのだった。しかし彼らが思ったよりも旧割譲派はしぶとく、再分離運動の一部と結んで報復に転じた。また、改憲失敗のため、日本警察が西千葉にやってくることもなかった。かつての敵同士の争いに、内務省はなかば見て見ぬふりをした。
こうして、西千葉のテロ活動はかつてなく激しいものになった。さらに悪いことに、国王財団の一部がこのテロ活動に関与しているとの情報があった。
政局が混乱するさなかに、ある行政訴訟が始まった。これは「護衛官訴訟」と呼ばれた。
「護衛官法は違憲無効である」と原告は主張した。護衛官法が日本の法律となったのは浦安条約によるものだが、条約によって違憲の法律を制定することはできない、というのが根本的な主張だった。
浦安条約のいう『国王の法的地位』の中身については、さまざまな説があった。
成文法としては、千葉の全法令のうち国王に言及したものはただひとつ、護衛官法だけだ。この護衛官法も、主役は護衛官で、国王とはなにかを述べた部分はない。もっとも狭い解釈では、『国王の法的地位』は護衛官法とイコールになる。広く解釈すると、国王は国家元首に準ずる地位にある、とされる。
再分離運動の過激派を叩くと同時に再分離運動の勢いを削ぐため、日本の警察は、国王財団幹部多数の一斉逮捕をたくらんだ。これには陸子陛下も含まれた。もともと違法捜査の疑いが強いものだったが、検察は責任を法務省刑事局に回した。
「千葉国王は皇室典範21条が類推適用されて在任中は訴追されない」と法務省刑事局は回答した。国王の身柄を押さえずに財団幹部多数を逮捕すると、宙に浮いた国王がどんな勢力に担ぎ出されるかわからず危険との判断から、一斉逮捕は見送られた。
しかし裁判所の確定判決は、法務省刑事局回答に優越する。もし護衛官訴訟の判決により護衛官法の違憲無効が確認されれば、国王の法的地位全体が違憲無効とみなせる。
陛下が東京地方裁判所本庁に証人として出廷なさった際、建物内に仕掛けられていた爆弾が爆発した。
陛下のお身体には奇跡的に傷ひとつなかった。けれど護衛官の美園は、陛下よりも運がなかった。美園は右足の甲とつま先を失った。
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