長らくご愛読いただきましたこの『1492』の連載は、今回で終わりです。
連載は終わりですが、作品自体はもう少し先まであります。この先は、同人誌またはダウンロード販売のPDFでお楽しみください。
いわゆるひとつの「あのね商法」です。悪しからずご了承ください。
以下の3つのオプションを11月12日から順次ご提供します。
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判決期日は2週間後に迫っている。敗訴すれば、陛下は財団幹部ともども、対テロ関連法で逮捕・起訴されるだろう。
その前に、陛下だけでも逮捕・起訴をまぬがれる道を手引きしよう、という連中がいる。それも複数いる。ただしこの連中はみな、判決の前に決心することを求めている。判決後では時間的な余裕がないというが、実のところは連中はみな日本政府の回し者で、千葉国王の権威を失墜させようと企んでいる。もし陛下が、財団幹部や支持者を放り出して自分の身の安全を図れば、千葉国王というものは存在しなくなり、再分離運動も瓦解するだろう。
「今度の水曜日に、公邸にその連中を集めて、オークションみたいなことをやるんだわ。誰が一番いい条件をつけるか。そもそも、陛下がうなずくような条件を出せるかどうか。
財団だってこんなこと、やりたくてやるわけじゃないよ。あんなチンピラどもは相手にしたくない。陛下だって連中なんかに頼るわけがない。そんなことくらいはみんな知ってるけど、ま、ケジメって奴よ。なんていっても、ほかに陛下をお助けする手立てがないんだから。
ひかるをそのオークションに加えてあげる。ただし、ひかるの出す条件は、敵前逃亡じゃなくて、徹底抗戦だけどね」
そのとき私は珍しく冴えていて、勘繰ってみた。
「美園さんはそのオークションの前に辞職を発表なさるんですね。その連中からいくら貰えるんです?」
すると美園はこともなげに認めた。
「お金が欲しい? あげるよ、全部。
そのかわり――陛下を助けてあげて。
牢屋に入れられたり、外国に逃げたりしないですむようにしてあげて。この国で、自由に生きていけるようにしてあげて。
私はそんなスーパーマンじゃないから、お金をもらってトンズラこくわけよ」
その条件に、うなずくこともできず、断ることもできずに、私は外の景色に目をやった。
帰りの車中だった。運転は美園だ。ひさしぶりに研修以外で運転する、と言っていた。護衛官は私用では車の運転をしない。あと2日で辞めると決まったから、美園は運転席に座った。
車は高速道路を南に走っている。窓の外は山と田んぼばかり、もう木更津が近い。
私はふと思いついて、試しに言ってみた。
「そのお金は、美園さん自身のために使ってください」
「どうかな。悪銭身につかず、って言うじゃないの」
なぜ美園に貯金がないのか。本人の言うとおり、子供の養育費と仕事用の衣装代もかなりの負担だろう。けれど、それでも赤字にはならない。官舎の家賃はタダ同然だし、独身では車も乗れないので必要ない。
きっと美園は、工作費の一部を、自分の懐から出した。保安局には言えない支出があったのかもしれないし、そもそも工作費がもらえなかったのかもしれない。
「美園さんのことが心配になってきました」
すると美園は急にぶっきらぼうに、
「考え事したいから、ちょっと黙ってて」
と咎めるように言った。
官舎の前で車を停める。
「さっきはごめん。寄ってくでしょ?」
「メイド服に着替えないと約束していただければ」
冗談のつもりだった。けれど美園は目を丸くして、
「なに、『まんじゅうこわい』? ひかるってゲテモノ好きだったんだ。びっくりだ。ひさちゃんとか陛下とか、あんなに趣味いいのに。人間ってわかんないもんね」
どうやら美園はからかっているつもりらしかったが、意味がわからなかった。
「なにが悪趣味なのかわかりません」
「こんなババアにあんなの着せるのが悪趣味」
「いまでもよくお似合いになると思います」
当たり前のことだと思って答えたのに、
「これだよ、女ったらしがきたよ。ひかるが変なこと言うから震えちゃってるよ私」
本当に美園の手は震えていた。私は黙ってお茶が出てくるのを待つことにした。
官舎は昔となにも変わらない。間取りはもちろん、床がきしむ場所も、ドアの取っ手の形も、身体が覚えているままだ。家具は入れ替わっている。けれど、私の身体の感覚では、なにひとつ変わっていない。
「あのねえ、私にあんまり変なこと言わないでよ」
美園がアイスティーを運んできた。
「変なことを言っているつもりはないのですが」
「ここんとこ何年も陛下しか食べてなくてさ、男が足りなくて情緒不安定なんだわ。陛下の前だと収まるんだけど。一体どんなフェロモン出してるんだあの女。
ひかるみたいな女食動物にはわかんないでしょう。女を食うで女食(にょしょく)ね。いや、わかるか。陛下の匂いにがっついてたし」
「あのとき私は情緒不安定でしたか?」
「あんたは基本的に自覚ゼロなんだよ。
まあね、あんまり自覚するのに忙しいと、いろいろ重たくなってきて、自分もまわりも、たまらんわね。自覚するより大切なことなんてたくさんあるし。私にできてなくて、ひかるにできてること、たくさんある。
でも一つだけ言っとく。
陛下と親しそうな子に、ガンつけて毒舌するのはやめて。みんな恐がってた。陛下は喜んでたけど」
私はそんなことをした覚えは――心の中で反論しかけたときに、思い当たる。
初めて緋沙子に会ったとき、言っていた。『もし設楽さまが、陸子さまのことで私に嫉妬したら、そのことを私に隠さないでください』。あれは、そういうことだったのだ。
「ひかるは相変わらず顔に出るねえ。思い当たったんなら結構。
さっき、井村さんに――女中頭に電話した。ひかるのこと、話を通すためにね。もうすぐここにくる。ガンつけるんじゃないよ。陛下はあの子には手を出してない、はず。でもそいつ、陛下は私のものです、みたいな顔したがる奴なんだわ。お面が自慢の子でさ、なんで陛下に手を出してもらえないんだろうって思ってるね、あれは。まあ、ひかると緋沙子を見たら誰だって、陛下のこと面食いだと思うか」
あとから思い返せば、このとき美園は巧妙に嘘をついていた。話の流れとしては言うはずのことを、わざと言わなかった。
「昔はひかるが年下だったから、みんな譲ってあげてたけど。今度はひかるが年上だからね。お姉さんしてあげよう。
……お説教はこれくらい」
言い終えると、美園は自分のアイスティーを一気に飲み干した。運転で喉が乾いていたのだろう。私も自分のを、美園のように一気にではないけれど、おいしく飲んでゆく。
美園が席を立ったのを、私はほとんど意識しなかった。次の瞬間、私は背後から抱きしめられていた。
「私の匂いで発情なさいませ、ひかるさま」
その言葉につられて、美園の匂いを意識した私は、その言葉どおりに動かされてしまった。
「――なーんてね。感じたでしょう? ありがと。ごめんね。情緒不安定なんだわ」
けれど腕は解かず、美園は続けた。
「ひかるにお願いがあるの。
判決が出て、陛下が…… そういうことになったら、私のところに来て。
いまの財団関係者の風向きとか人間とか、ぜんぜんわかんないでしょう。誰がなにをするかわからない。
私なら、ひかるに一番いいようにしてあげられる」
その言葉の裏にあるものが、私の胸をふさぐ。家族も失い、陛下のお側からも去り、美園はひとりになろうとしている。
「お願いされるまでもありません。私はいまこうして美園さんを頼っているのに、2週間後には手のひらを返すとでもお考えですか?」
「ひかるがどうするかは、そんなに重要じゃないんだわ。お願いすることが重要。わかる?」
「わかりません」
「そりゃそうだ。ひかるだもんねえ」
私が返事に窮していると、懐かしい音がした。玄関の呼び鈴だ。女中頭がきたのだろう。
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