もしあなたが坂のない街に住んでいるのなら、街をゆくママチャリ(主婦らしき人が乗っているものに限る)を観察してみてほしい。おそらく90%以上の割合で、サドルが一番下にセットされているはずだ。
なぜなのか。空想はいくらでもできる。
・共用説
サドルが高すぎるとペダルに足が届かないが、低すぎても一応は乗れてしまう(ただし坂があると乗れない。サドルが低すぎると、座ったままでは踏み込む力が出ないため)。そこで、子供が乗るためにサドルを低くしたあと、誰もわざわざ高くしようとはしないので、一番低いままになる。
共用説への反論:
街をゆくママチャリのなかには、子供が成長する前や成長したあとに買ったママチャリも、10%以上は混じっているはずだ。しかしサドルの位置が一番下でないママチャリは10%未満である。
・足つき説
自転車に乗りたてのときには、サドルに座ったままで両足が地面につかないと怖い。両足がつくことの安心感は、完全に気分だけのものであり、実際には危険なのだが、その気分から抜け出せないままでいる人がほとんどである。
足つき説への反論:
ママチャリのサドルの一番下の高さは、非常に背の低い人に合わせてある。ほとんどの人は、サドルが一番下でなくても、両足が地面につく。
(低すぎるサドルが危険である理由:
いったん動き出したあとには、両足が地面についても意味がない。もし時速10kmで走行中に、両足を地面に踏ん張ったら、転倒する。
重心が低いため、障害物を踏むなどして左右のバランスを崩した際に、より転倒しやすい)
・販売時説
自転車屋がママチャリを客に引き渡すとき、サドルを一番下にしているのではないか。
サドルが高すぎると、引渡し時に「下げてくれ」と言われる場合があり、余計な手間がかかる。しかし一番下なら、それ以上は下げようがないことが客にも明白であり、余計な手間はかからない。
販売時説への反論:
面倒くさがりの零細自営業者はすぐに潰れる。実際にはむしろ、執拗なまでにおせっかいに「サドルは高く」と指導する自転車屋のほうが多い。
・調整時説
共用説で述べたとおり、坂がない街では、サドルを上げようとすることはない。サドルの高さを調整するとすれば、それは下げるに決まっている。
サドルを下げるとき、ちょうどいい高さを出すのが面倒なので、一番下にしてしまう。
調整時説への反論:
ママチャリを購入した主婦は、購入からかなり短期間のうちに、サドルの高さを調整していることになる。この仮定を満たすには、販売時説とは正反対に、両足のつかない高さで引き渡されていると考えなければならない。両足がつかないことを恐れる購入者が、そんな自転車を受け取るとは考えられない。
以上、私の思いつくかぎりでは、決定的と思える仮説はない。
では、調べてみればいいのでは? ――だがここで、科学の方法論は無力さをさらけだす。
1. アンケート
本人たちに話をきけばわかる――もし本人たちが知っていることなら。
しかし、ママチャリのサドルの高さを意識して暮らしている主婦は皆無である。もしサドルの高さを意識する人であれば、サドルの高さを適正に保つはずであり、それは例外の10%に入る。
2. 追跡調査
ママチャリの販売時にサンプルを無作為抽出する。サンプルとなった主婦は、サドルの高さを調整するときに、聞き取り調査に応じる。聞き取り調査を漏れなく行うために、サンプルの自転車には、サドルの高さが調整された際そのことを自動的に通報する仕組みが組み込まれる。
しかし、この調査のサンプルとなった主婦は、サドルの高さを意識するようになる。これは現実のママチャリの利用状況とはあまりにも異なる。
3. 定点カメラ
街頭に定点カメラを設置し、ママチャリに関するデータを長期間にわたって収集する。画像認識を用いて、ママチャリを個体識別し、各個体のサドルの高さの経時変化を追跡することで、一部の仮説を退けるようなデータが得られる可能性がある。
しかし、一部の仮説を退けたとしても、残った仮説のうちどれがどの程度寄与しているかはわからない。
ほかにこれといって思わしい方法は思いつかない。
人間の社会は、当事者たちがほとんど意識しないところで、多くの非合理的な振る舞いをみせる。簡単に説明がつく振る舞いも多いが、ママチャリのサドルの高さは、説明が難しい振る舞いだ。
当事者たちがほとんど意識しない非合理性の理由を、調査などによって探り出すのは難しい。調査は当事者たちの意識を招くためだ。
とはいえ、アンケートくらいは、試しにやってみてもいい気がする。子供の夏休みの自由研究にいかがだろうか。その際には、坂のある街とない街の比較も、ぜひやっていただきたい。
追記:
今日、よくよく観察したら、そこまで一律に一番下ではなかった。