クレイグ議員に対しては、同性愛癖の好悪ではなく、(1)同性婚反対を唱えた議会活動と私生活の落差(2)公共の場所で違法行為を働いた犯罪性-が批判の焦点だった。
犯罪性はともかく、「同性婚反対を唱えた議会活動と私生活の落差」とやらは、意味がわからない。落差などない、一貫している。「ゲイは隠れていろ」を公言・実践しているではないか。「ゲイ=同性婚賛成」というのは「ユダヤ人=シオニスト」並みの妄想だ。
一貫しているといえば、性犯罪を犯したこととも一貫している。犯罪を犯すような存在だから隠すべきで、制度内に取り込むべきではない、というのは筋が通っている。
……というようなことをクレイグ議員にはぶちまけてほしかったが、おそらく言っても通じなかっただろう。「寛容」な制度がどんなにむかつくものかを知っているのは、クレイグ議員のような人だけだ。