2007年11月08日

人がスパムボットになるとき

 いわゆるネット右翼の挙動は、人間よりもスパムボットに近い。ネット右翼という現象自体、人間というハードウェアの上でボットネットが動いているかのように思える。
 このスパムボット感が、1992年に予言されていた。
 笙野頼子『レストレス・ドリーム』(河出書房新社)
 主人公の跳蛇が、悪夢のなかでビデオゲームのように戦う、一種の幻想小説である。敵はゾンビだ。跳蛇はゾンビの街スプラッタシティで戦いを開始する。
 シューティングゲームの弾や敵機に相当するのが、ゾンビ達が感染し撒き散らす「言葉」だ。ゾンビ達は、跳蛇のような犠牲者をこの「言葉」でリンチにかけて殺し、感染させ、ゾンビに仕立て上げようとする。現世にいる読者の目にはその「言葉」は、押し付けがましい権力的な言辞や、そのような押し付けに迎合する翼賛的な言辞として読める。

 ――どうか、ボクを守ってください。ボクはナイーブで子供っぽい男だから。(84ページ)

 「あらっ、あたしは政治に関心のない馬鹿女とは違うわっ、同時にいつでも女である事を忘れたくはないし……」(57ページ)

 権力的・翼賛的な言辞が弾幕のようにゾンビ(=感染者)から放たれる――その感触は、ネット右翼の挙動のスパムボット感と、気味が悪いほどそっくりだ。

Posted by hajime at 2007年11月08日 01:44
Comments
Post a comment






Remember personal info?