JavaScriptを地上から抹殺したいと思い続けて10年、敵の勢力は一向に衰える気配がない。
JavaScriptの生みの親、Brendan Eichがインタビューで以下のように語っている。
Netscapeが世に出ると ブラウザ上にプラットフォームが作れることが分かりました
プログラミングや高度なグラフィックをサポートするものです
単なるテキストだけではなく、今、Web 2.0の要素とされているようなものです
しかし当時、それらはなく Javaは登場したばかりでした
ですからNetscapeとJavaScriptの間に溝があったのです
大衆向けのスクリプト言語が必要でした
Javaは専門家向けの高度なものです
なぜ2つの言語が必要かといえば、対象が違うからです
プログラミングを本格的に学んだことのない人でも JavaScriptなら容易に……
――いわば“Visual Basic”?
そう。ウェブ用のね
(中略)
(Javaは)C++にとても近い言語なのです
Visual Basicよりもね
つまり上級者向けの仕様になっているんです
それに対しJavaScriptは簡単で 変数を宣言する必要さえありません
大衆向けのものであり、高度な言語を補完するものなんです
(中略)
――開発には何ヶ月もかかりましたか?
いえ、短期間です
社内中がマイクロソフトにおびえていました
(中略)
新しい言語を早急に開発する必要がありました
また私はユーザー向けの開発に興味がありました
(Mozilla CTOが語る「Netscape」から「Firefox」への軌跡より)
Javaを「専門家向けの高度なもの」「C++にとても近い言語なのです Visual Basicよりもね」と言ってのけるセンスにも腰を抜かすが、「大衆向け」「プログラミングを本格的に学んだことのない人」という発言によくご注目いただきたい。そしてPaul Grahamのエッセイの、以下の部分をご覧いただきたい。
Posted by hajime at 2008年03月24日 23:28良いデザインが出て来やすいのは、対象とするユーザーがあなた自身を含んでいる時だ。あなた自身を含まないグループに対して何かをデザインしていると、対象ユーザー層は自分より上ではなく、下だと思ってしまいがちになる。
それは問題だ。ユーザーを見下ろすことは、たとえ慈悲心があったとしても、いずれはデザイナーをだめにする。アメリカの住宅のうち、自分でそこに住もうと思っている設計者が作ったものはほとんど無いんじゃないか。同じことはプログラミング言語にも見て取れる。 C、Lisp、Smalltalkはデザイナーが自分で使うために作られた。 Cobol、Ada、Javaは他人が使うために作られた。
あなたがまぬけのために何かをデザインしているんだとしたら、まぬけにとっても役に立たないものをデザインすることになるのが落ちだろう。
(デザインとリサーチより)