2008年04月23日

虚無と犯罪

 山口県光市の母子殺害事件について。
 あの被告人の言葉には、虚無を感じる。特に有名なのは、「無期はほぼキマリでして、7年そこそこで地上にひょっこり芽を出す」だろう。
 「芽を出す」。この表現の暗さは形容しがたい。「シャバに戻る」ではなく「地上に芽を出す」。自分は地上に属する人間ではないのだと、暗に語っている。故郷のような「ここに戻りたい」と願う場所がないのだと、それも失ったのではなく最初からないのだと、暗に語っている。

 
 あまり注目はされていないが、これも虚無を感じさせる言葉が新たに報道された。
 「死刑もやむを得ないと思う?」と問われて、「はい。僕は死刑存置主義者ですから」
 法廷闘争のありさまからして、被告人は文字どおりの死に物狂いで死刑を免れようとしているのかと思っていた。が、この発言である。死に物狂いの人間の言うことではない。絶望や諦念でもない。無関心、というべきだろう。
 自分が殺されるというのに、無関心。しかし考えてみれば、出所が「ひょっこり芽を出す」ようなことである人間が殺されたところで、いったいなにを失うというのか。「ひょっこり芽を出」せなくなっても、ああそう、という程度のものだろう。
 
 仮にあなたが日本在住の日本人として、中東のどこかで戦略核が使われて港町がひとつ消し飛んだ、というシチュエーションを想定しよう。暗く痛ましいニュースではある。「ああそう」以上のことかもしれない。とはいえあなたはその港町の名前さえ聞いたこともない。
 ではもうひとつ別のシチュエーションを想定しよう。あなたを新潟出身の米国在住者に、「中東のどこか」を日本に、「港町」を新潟港に置き換えてみよう。これは、暗く痛ましいどころではない。天地が崩れ落ちたような苦しみをもたらすはずだ。
 死は、全宇宙が消し飛ぶこととほぼ等しい。その全宇宙が、中東のどこか名前も知らない港町のようなものだけでできているとしたら?
 「芽を出す」「はい。僕は死刑存置主義者ですから」という被告人の言葉は、そのような精神を暗示している。

Posted by hajime at 2008年04月23日 19:57
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