アナトーリー・S・チェルニャーエフ『ゴルバチョフと運命をともにした2000日』(潮出版社)を読んでいる。著者はゴルバチョフと直接やりとりのあった下僚のひとりで、当時の会話や印象を、自分の日記や党の内部文書から拾っている。
まだ3分の1ほど読んだだけだが、本筋のゴルバチョフには目新しいものは見当たらない。いつでもどこでもゴルバチョフはゴルバチョフだった、と確認できるだけだ。「どこでも」はいいとして、「いつでも」はもしかするとゴルバチョフの致命的な弱点だったかもしれない。君子は豹変する。ゴルバチョフはしなかった。
他では見ない資料でありながら見る意義のあまりなさそうな本書のなかで、アレクサンドル・ヤコブレフの人物批評にはなるほどと膝を打った。以下は142~143ページから。リガチョフとヤコブレフの対立について触れてから、著者はこう述べている。
もう一人(ヤコブレフ)は、ゴルバチョフを完全に「御する」能力がないことにますます絶望し、また、彼に対して腹を立て(「政治局でも、新聞の中傷に対しても自分を守ってくれない」)、自分自身の政治的「イメージ」をつくることを決意した。最初はゴルバチョフとの友情を利用しながら、しかし意図的に情報を「リーク」しながら――ペレストロイカの真の作者はこの私なのだ、その主要な構想は私が考えたのだ、ゴルバチョフは「伝声管」にすぎないのだ、と。後に、グラスノスチがほかならぬゴルバチョフ自身に襲いかかったとき、彼は反対派の立場をとり、これ見よがしに自分の不同意を示した。いわばみんなにこう言って聞かせるかように――ゴルバチョフが「私の言う通りに」に行動していれば、万事うまくいっただろうに。そして結局、クーデター後は、「寛大さを発揮した」ふりをし(どこへも行き場がなかったのに)、再びゴルバチョフの側に立った。今は、自分自身についての神話を強化するために「ゴルバチョフ・フォンド(基金)」を広く利用している。
陳腐な表現だが、政治は汚れた仕事である。そして世界がそうであるあいだは、そこへ身を置く者は、誠実な政治家でさえも、利口に立ち回ったり、立場を、さらには見解までも変えたりしないで済ませることは無理だろう。これはアレクサンドル・ニコラエビチ(ヤコブレフ)にも許すことができる。率直に言って、功名心のない人間にとっては何もすることのない政治の世界において目立ち、自分をひとかどの人間に見せたいという気持ちは許すことができる……。もし彼が高い道徳のチャンピオンの役を演じたり、これについて内や外向けにみんなにお説教をしたり(書いたり)しなかったならば、許すことができる。
われわれは長年、友人だった。そしてペレストロイカや「新思考」の主要な問題では私は彼(ヤコブレフ)と九五%意見が一致する。以前もいまも。しかし、私との付き合いで彼は自己陶酔と自己過信におぼれて「警戒心」を失った。そのおかげで、私は彼の性格のこういう特徴ものぞき見ることができた。だから私にとって、彼の自分のことしか考えない手やずるい行動は決して思いがけないことにはならなかったのである。
アレクサンドル・ヤコブレフについては、あまり人物像がつかめずにいた。リガチョフ(まるでスターリン主義者のカリカチュア)、エリツィン(原始のボリシェヴィキ)、シェワルナゼ(彼の短い回想録はスキャンダラスなまでに無内容で、かえって彼が何者であるかを雄弁に語っている)、ゴルバチョフ(いつでもどこでもゴルバチョフ)、誰もがかなりはっきりと焦点を結んでいる。しかしヤコブレフは? 回想録を読んでも、老人らしく愚痴っぽいだけで主張や内容に乏しいという感想しか持てなかった。しかし、『高い道徳のチャンピオンの役』――そうか、なるほど。
Posted by hajime at 2010年08月02日 21:34