App Storeでは、村上春樹さん、東野圭吾さんらの人気作や漫画を無断で電子書籍化したと見られるアプリの販売が相次ぎ発覚している
「働きマン」(安野モヨコ作の女性編集者が主人公のコミック、もちろんエロ系にあらず)は、主人公が疲れを癒す目的でマッサージを受けているとき、伸びをしたところ誤って胸が露出したシーンが引っかかりました(どうでもいいがこの記事、仮にも出版業界の法務関係者が本当に「確信犯」を誤用したのだろうか)
おそらくAppleは、インドやベトナムや中国で、「乳首や性器や流血やハーケンクロイツを探すだけの簡単なお仕事です」「外国文化に詳しい人歓迎」という募集をかけているのだと思う。それ以外の問題を問題にしないのは、経営理念やサービスデザインゆえではおそらくなく、「外国文化に詳しい人」の雇用コストが高すぎるから、に尽きるだろう。
・解決できない問題は目に見えない
・問題は解決できるようになって初めて問題として認識される
もしかすると近い将来、世界はApp Storeメソッドに飲み込まれて、この問題を認識しなくなるかもしれない。たとえば映像業界は、とうの昔にYouTubeメソッドに飲み込まれており、今日も今日とてあらゆる動画サイトに削除要請を出して回っているが、もはや問題を叫ぶ声は聞かれない。違法動画のアップロードは今や「目に見えない」問題であり、問題として認識されていない。
そうなる前に――と焦る関係者各位の奮闘努力はさておき、私の目は、遠い昔からずっと見えないままのものを見つめようとする。
解決不可能であるがゆえに目に見えない問題は、どこにでも、いくらでもある。もちろん現在の出版業界にも。たとえばどんな問題が、とは訊かないでほしい。もし説明して、「人生って厳しいわ」以外の反応がありうるものなら、それはかなり見えやすい問題だ。
問題は解決できるようになって初めて問題として認識される――ということは、世に広く問題とされているものは、その解決手段の影にすぎない。なんらかのセールスマンが解決手段の売り込みにある程度成功したとき、問題は初めて問題として認識される。
セールスマンに誠実さを求めても無駄だし、売り込みの動機に清廉潔白を求めた日には全人類芸術家化計画になってしまう。例の都条例案が、「清く正しく美しい国ニッポン」を欲望する国家フェチを動機としていることは明らかだが、そこは問うまい。「ほかに手をつけるべき問題はたくさんある」と叫んだところで、その方面にはセールスマンがいないのだから仕方ない。問うべきは解決手段の是非だ。すなわち――行政のゾーニングへの介入は是か否か? そもそもゾーニング自体、是か否か?
私の答えはどちらも否だ。その理由については前に長々と書いたが、どうも出来がよくないので、いずれまた書きたい。
しかし、もしかするとこれは、出来がよくないのではなく、どう説明しても「人生って厳しいわ」以外の反応がありえない問題なのかもしれない。だとすると私は、オヤジ・ロック(藤子・F・不二雄)のセールスマンというわけだ。人生って厳しいわ。