ハシェク『兵士シュヴェイクの冒険』(岩波文庫)を読んだら、あまりの面白さに打ちのめされた。
第一次大戦中のチェコという舞台は、卑怯なまでに素晴らしい。主人公のシュヴェイクは、チェコ人なのにどういうわけかオーストリア・ハンガリー帝国(当時チェコはこの帝国の一部だった)に忠誠心を抱いていて、開戦の報を聞くなり街頭に飛び出して「聖戦貫徹!」と叫び、ひとりでデモのようなことを始める。シュヴェイクのまわりに野次馬が集まり、やがて官憲がやってきてシュヴェイクは逮捕される。罪状は、「心にもない当てこすり(=聖戦貫徹)を叫んで群衆を扇動した」である。戦争に熱心なチェコ人などありえない、というわけだ。
逮捕後、シュヴェイクは精神鑑定にかけられる。鑑定する医師たちの集まった部屋に皇帝の肖像画があったので、シュヴェイクは「皇帝万歳!」と唱える。それを見た医師たちは即座に、シュヴェイクを精神異常と診断する。皇帝に忠誠なチェコ人など精神異常でしかありえない、というわけだ。
シュヴェイク以外のチェコ人はたいてい正常で、兵役逃れに命をかけている。手足の一本くらいなくしても兵役を逃れられれば安いものだ。前線では大量殺戮が行われており、兵役逃れに失敗すれば死ぬ確率が高い。たとえ兵役逃れに失敗しても、知恵と気概のある者は、全力で将校にごまをすって塹壕から遠ざかろうとする。
こんなチェコ人を徴兵で集めて軍隊を作って、大量殺戮の真っ最中の前線に送り込む――バベルの塔にもまさる野心的プロジェクトだ。オーストリア・ハンガリー帝国に忠誠を尽くすシュヴェイクの運命やいかに?
しかし、こうした舞台の面白さなど、ほんの脇役にすぎない。登場人物たちの異常さと人間味と知恵をつなぎあわせる作者の技の冴えときたら、超スピードや時間停止どころではなく、四次元空間からタコ殴りにされているような気さえする。優れている、などという段ではなく、まさに別次元だ。
4巻の後半には、表題作のもとになった中短編が収録されているが、これはあまり面白くない。両作品の執筆の間に、作者は赤軍の政治委員を務めたというが、それでこんな四次元能力を獲得できるのなら、私も赤軍の政治委員になりたい。