世の中のほとんどの人は、自分が仕事でなにをやっているか知らない。社会的意義とかそういう空しい話ではなく、「これがこうなったらこうする」というレベルの話だ。プロ野球選手が自分の動作をどれだけ知っているか、と考えればわかりやすい。高度なコツは言わずもがなだが、スロービデオで見れば一目瞭然の簡単なことさえも知らないことが多い。たとえば、横の変化球を投げるとき、腕をどうひねるか? スロービデオによれば、噛み合う2つの歯車のようにボールと腕を逆方向にひねっているのに、そのことを認識している投手は少ないという。長嶋語は誰が聞いてもわからないが、自分のやっていることを誠実に説明しようとしたときの必然である。
さらに衝撃的な話が、「ファインマンさん」シリーズのどれかに出てくる。ファインマンがあるとき、看板を作る塗装工としゃべったら、「××色を作るには○○色と△△色のペンキを混ぜるんだよ」と塗装工が言った。その混色がありえないと思ったファインマンはすぐに実演してもらった。すると、やはり○○色と△△色をどう混ぜても××色にはならない。塗装工は「おかしいなあ」と脂汗を流した。普段からずっとこんな具合ではとても勤まらないだろうから、通常のワークフローで××色という指示が出たときには正しくやれるのだろう。プロ野球の投手と同じで、体は正しく動くのに、自分がなにをやっているか知らないのだ。
以上の事実を知ってか知らずか、世の中のほとんどの人は、「なぜそうするんですか?」と訊いて返ってくる答えを聞き流す。そもそも自分がなにをやっているか知らないのに、なぜそうするのかを説明しようとしても、荒唐無稽なナンセンスしか出てこない。さっき、「知ってか知らずか」と控えめに書いたが、これもまた「自分が仕事でなにをやっているか知らない」の例だろう。
だから、自分がなにをやっているか知っているけれど、なぜそうするのかは知らない、というのはかなり幸運なケースだ。知らないということを知っている、つまり無知の知があるのだから。ある夫婦が料理したときの話だ。肉のブロックを煮込む前に、妻が肉の両端を切った。それを見て夫は「どうして切るんだい?」。妻は「知らない。母から教わったの」。それで妻は母に電話して訊いてみたら、「知らない。おばあちゃんに訊いてみる」。祖母は、「どうしてあんたたちがそんなことをしてるのかわからない。昔は大きな鍋を持ってなかったから、端を切らないと肉が鍋に入らなかったんだよ」。これは理想的なまでに幸運なケースで、作り話ではないかと私は疑っているが、少なくとも作者は私ではない。
さて今回私がぶちあたった問題――なぜ自転車のホイールのスポークは綾取り(interlace)するのか?
・完組ホイールの大半がnon-interlaced
・interlacedとnon-interlacedの剛性を比較した研究は見つからない
・「なぜ」という問いに対して専門家がバラバラの答えを返す
こんな状況で、よくもまあ「なぜ」という問いが沸騰しないものだと感心する。私は沸騰した。
この件に限らず、自転車のホイールの世界では、工学どころか無知の知さえどこにも見当たらない。「スポークテンションが高ければ剛性が高い」というオカルトさえいまだに生き残っている。自社研究施設での実験データ(社外秘)を持っている人以外のほぼ全員が、ファインマンの出会った塗装工のようなものだと考えるべきだ。世の中が完組一色になるのも当然だろう。
「なぜ」という問いに対する専門家の答えは、
1. 剛性を高めるため
2. 衝撃時にテンションがゼロになってニップルが回らないようにするため
3. 折れたスポークが走路に落ちないようにするため
1は逆としか思えない。2はグリースを塗れば防げる。3はもっともらしいが、歴史はしばしばこういう期待を裏切る。
専門家ではないが私もひとつ当て推量をしてみる。
・丸スポークをnon-interlacedで組むと、スポークが太すぎて剛性が高すぎるのと同時に、スポークが細すぎてねじれてニップルを(スポークに対して)回せない
つまりスポークの太さと剛性の低さを両立させるためのinterlaceではないか。「スポークが太すぎ」は「スポークが多すぎ」と読み替えてもいい。スポークの数が増えればテンションが下げられるのでニップルを回しやすくなるが、その分スポークを細くしなければ剛性が高すぎるし、細くすればねじれてニップルを回せない。
エアロスポークならねじれを押さえながらニップルを回せるので、non-interlacedのほうが軽く作れる。完組がnon-interlacedなのは、細いエアロスポークを使うからではないか。
しかしこれはみな当て推量で、やってみなくちゃわからない。大科学実験で(声:細野晴臣)。