2011年08月16日

わかればいいのか

 『劇場版そらのおとしものf』を見たら、『劇場版リリカルなのは 1st』と共通する問題を感じたので、ここに書いておく。
 
・どちらもモノローグで説明しすぎ
・どちらも尺の割にセリフを詰め込みすぎ
 
 『そらのおとしもの』の日和のモノローグはほとんど全部ないほうがいい。『なのは』のフェイトも同じく。説明しないと何を考えているのかわからない? では、わかることにどんなメリットがあるのか。その場かぎりの作り話にすぎないものをわかることが、そんなに重要なのか。わかることと楽しいことのあいだに、どんな関係があるのか。前者が後者の必要条件だと思い込むのは、いったいどんな因果あってのことなのか。
 
 モノローグ乱発の割を食ってか、尺が足りない感じが全編にありありと漂う。『なのは』の編集はギリギリまで詰めて削ったのだろうと思わせたし(とはいえこれは編集のスタイルかもしれない)、『そらのおとしもの』ではセリフが全般に早口に感じられた(実際に早口かどうかは数えていないが、セリフのあいだの間の取り方などでそう感じられた)。
 
 あと、以下の問題は共通の問題とまでは言えないが、上記2つの問題と通底するものがあるので、ついでに書いておく。
 
・登場人物が楽しんでいるときのセリフに「楽しいね」はない
・モノローグで「誰々のことが好き」もない
 
 これらは脚本が絵コンテ・演出をまるで信用していないことの兆候だ。『なのは』にも多少その傾向があるが、『そらのおとしもの』は顕著だった。

Posted by hajime at 2011年08月16日 22:38
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