川原由美子『ななめの音楽』(朝日新聞出版)を読んだ。1950年頃のレトロ&レトロフューチャーな飛行機と百合テイストと白昼ポエムを結合させた謎のまんがである。なお白昼ポエムはメカ側(=『湾岸ミッドナイト』)ではなく百合側。…と説明しても、なんだかわけがわからないが、読んだ私もなんだかわからない。
2巻232ページの展開も謎だった。とはいえ思えば川原由美子は昔からずっとこんな感じだった。なにが「こんな感じ」なのか説明が難しいが、まるでホモソーシャルな人間関係に恨みでもあるような、とでも言えばいいか。
もう少し詳しく言えるような気がしてきたので追記する。
2巻232ページの異様さは、下半分のセリフで世間的な一般論を語っているところにある。
自分がいかに結婚相手としてふさわしいかを世間的な一般論で説明するプロポーズは、結婚相手を選ぶ自由がほとんどない世界ならともかく、百合が成立する世界では、ずいぶん奇妙なものに見える。
その異様さが作品になにをもたらし、どんな機能を果たしているかというと、どうも判然としない。そこで一般論の中身に目を向けると、「性に強く言及したかったのでは」と思えてくる。
この作品を、性とほとんど無関係なまま終わらせることは簡単であり、そのほうが自然でもある。少年まんがのホモソーシャルな世界、ただし主役を少女たちに替えたものを描くわけだ。作者はそれを避けるために、この異様さをあえて冒したのではないか。プロポーズとその後の交際に触れるだけでは足りず、異様さをあえて冒すところに、作者の力みを感じるのは、私の空目空耳だろうか。もしこの異様さがなければ、プロポーズとその後の交際は、少年まんがのやおい的な読み替えになるだろう。少年まんがのやおい的な読み替えも、ネタにするという形でホモソーシャルに抵抗するものだと私は考える。しかし作者の力みようには、そんな抵抗では生ぬるい、徹底的に破壊したい、という意志がうかがえる。
作者のこういう破壊衝動は、代表作の『前略・ミルクハウス』にも垣間見える。終盤での涼音の使い方には鬼気迫るものがあった。