ケン・ハーパー『父さんのからだを返して』(早川書房)を読んだ。
グリーンランド北西部には、「北極エスキモー」と呼ばれる人々が暮らしているという。
まずはこの北極エスキモーが、まるで古代の博物誌の記述でしかお目にかかれないような驚異の塊だ。19世紀初頭、西洋の白人の探検家が歴史上初めて彼らに接触したとき、彼らは、
・人口およそ200人
・外部の世界とは完全に切り離されており、自分たち以外に人間がいることを知らなかった
・海が凍らない期間は2か月あったが、船の知識を失っており、航海を知らなかった
・それどころか、鳥を獲る槍、魚を獲るやす、弓矢の使い方に至るまで知識を失っていた
19世紀初頭の探検家の記録は、古代の博物誌よりは信用できるとは思うが、やはり眉唾だと思わざるをえない。もし知識の喪失がすべて事実だったとしたら、それが生じるまでにいったいどんな過程があったのか。種としての人類の絶滅について考えるなら、北極エスキモーの事例をぜひ調べるべきだろう。
19世紀に北極エスキモーは外部と接触するようになり、近隣のエスキモーから多くの知識を得た。そして19世紀末、ロバート・ピアリーがやってくる。
ロバート・ピアリー。北極探検家。初めて北極点に到達した人間とされている。私は子供のころに、子供向け図鑑のたぐいで名前を知り、それきり忘れていた。
この名前を思い出したのは、NHKが放送した『フローズン・プラネット』という番組がきっかけだった。この番組が南極点到達競争のドラマを紹介していたのを見て、「では北極は?」という疑問を抱いた。北極到達が先だったのに、ドラマはなかったのか?
ピアリーの名前でぐぐって、なるほどと納得した。こんな胸糞の悪くて結論も出ないドラマは、到底エンターテインメントにはならない。だが人間について、20世紀初頭という時代について、当時の「探検」なるものについて、多くを教えてくれるドラマではある。読者諸氏もぜひ調べてみられるようお勧めする。
ピアリーのことを調べるうちに、本書のタイトルに行き当たった。
ピアリーは探検のスポンサーの歓心を買うため、北極エスキモー6人をアメリカに連れていった。一人は故郷に帰ったが、ほかはアメリカにとどまった。4人は病死したために帰れなかった。生き残った一人はまだ6歳か7歳で、親を亡くしたためにアメリカで育てられることになった。この子供が、本書の主人公、ミニックである。
病死した4人は、本人はもちろん誰の許可も得ることなく骨格標本にされ、ピアリーのスポンサーが運営する博物館に収蔵された。
これが20世紀初頭の「文明」だった。北極エスキモーと同じくらいの、古代の博物誌と同じくらいの、驚異だ。
本書のタイトルのとおり、ミニックは父親の遺体を埋葬しようとして、何度も博物館に抗議し、新聞に訴えた。
だが本書を傑作にしているのは、こうした驚異の数々ではない。
『この物語全体をよく表わしているのは、この本におさめられた写真のなかの一枚、子供のころのミニックがじっと見つめている眼差しである――きちんと帽子をかぶり、コートに身をつつんだ少年が、そのからだとは不釣り合いなほど大きい自転車を支えて、カメラの向こうにいる人の心をまっすぐにのぞきこんでいる。好奇心ではない、もっと暖かいものを求めて。』(本書19ページ)
「文明」の責任者の一人として恥じ入りつつも、私はミニックの信頼に応えたいと願う。