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「マール王国の人形姫」はまぎれもないすっとこどっこい物件である。すっとこどっこい関係者各位はただちに入手されたい。
「マール王国の人形姫」をはじめた。
エトワールはコルネット(主人公)に惚れているようにしか見えない。「王子様と結婚なんかしない」のセリフを見た瞬間、脳内の百合回路が全開でスパーク、エトワールEDが見えた。
でもコルネットは王子様とくっつくのだろう。ううう。
近所で「カサブランカ帝国」を捜索したものの、発見できなかった。問題は配本の日程なのか、それとも配本の範囲なのか。
「カサブランカ革命」は、百合界にとってマイナスかもしれないような本だったが、今回は、作家陣に佐々木禎子や樹川さとみを入れてくるなど、改善のあとが見られる。が、もう一押しが足りない。たとえうっかりでも遊人を起用するような編集者だと考えれば、努力しているとは思えるが。
ネットの普及により、著作権という権利は現実的な基盤(それを守らせるに足る強制力)を失いつつあるのだろうか。これは私の十年来の疑問である。
もちろん、そう簡単に答の出る問題ではないし、こんな問いを立てること自体が危険でもあるかもしれない。が、同じことを考えているとおぼしき意見が見つかった。
歩兵の敵陣地への突撃は、人類が戦争を始めて以来絶えることなく存在しつづけたが、今世紀初頭、機関銃の実用化と普及によって消滅した。どれほど長く存在しつづけたものでも、人間的な価値観にとってどれほど重要と信じられたものでも、現実的な基盤を失うことはありうる。
久美沙織の「ドラゴンファームのこどもたち」を読んだ。
「リアン」というと、ペンギンをかかえた青髪シスコン眼鏡っ娘のビジュアルが頭に浮かんでしかたないのは私だけではないはずだ。
それにしても、1999年にもなってエヴァ線のオチはどうかと思う。もうこの世にソ連はないというのに。
CVGSを手に入れたので、動作の様子を観察した。
どうも、エミュレーション対象コードがイリーガルなことをやると異常が起こるような気配がある。実機なら無視されてしまうイリーガルなアクションが、CVGSでは副作用を生じてしまうような。
百合との情報を受けていたプレステのゲーム、「私立ジャスティス学園」を手に入れた。
CVGSでは通ることは通るものの、字がときどき変になったりと、かなり怪しい。Bleem!ではほぼ完璧だが、やや重い。
SDF作戦は現在、17世紀ヨーロッパ(風)の架空戦記と化している。当時の国際金融システムを調べなければ… 戦債の歴史について詳しい本はどこかにないものか。ううう。
L作戦についてよく考えてみたら、ファイルシステムの上にフィルタドライバを入れてファイルシステムの下のドライバと通信すれば、ファイルシステムを新しく起こすことなくファイルサイズでの分別が可能になるかもしれない。
…と思ったが、通信が重くて性能が出そうにないのでやめた。FreeBSDのファイルシステムを実装する羽目に陥らないよう神に祈るほうが効率がよさそうだ。
今日のフレーズ:
「手淫の害悪についての十分間の精神訓話」
(ジョージ・オーウェル「鯨の腹のなかで」より)
17日の日記に書いた、「王女と女魔術師のでたらめ道中物」(以後SDF作戦と呼ぶ。SDF:すっとこどっこいファンタジー)は特に考えもなく書き始めたのだが、変な意味で面白くなりすぎて冷や汗が出てきた。
どうも書くのが速いと思ったら、やはりJに操られているらしい。そろそろJを月猫にデビューさせるべきか。
Bleem!でデュープリズムをやろうとしたら、冒頭でいきなりコケた。なぬ~。
さいとうたかをの「劇画ゴルバチョフ」を読んだ。1991年4月発行。
1990年12月の人民代議員大会(シェワルナゼがゴルバチョフから離れた大会)までの話である。ここからゴルバチョフは1991年7月の破滅(保守派によるクーデター未遂事件)へと向かうわけだ。
ゴルバチョフ回想録の、微妙な表現の数々と照らし合わせながら読むと楽しい。
橋本治の「89」を読んだ。
私はこの本のことを、1993年にはすでに知っていた。マチダの図書館で見かけたからだ。が、読まなかった。
それはおそらく正解だった。マルチ(To Heartの)を知る前に読んでいたら、この本の圧倒的な正しさの前に、なにも言えなくなっていただろう。といっても私にとってはマルチではなく千歳(Naturalの)なのだが、それはともかく。
だが私たちはもうマルチを知っている。マルチと「圧倒的な正しさ」と、どちらを取るかといえば、マルチに決まっているではないか。
「ホモなんかダセーよ」
「帰ってエロゲーやろうぜ」
間違っているだろうか。きっと間違っているのだろう。が、マルチなのだ。
1998年の夏、まともな人間が10兆円をかけて行う景気浮揚策を考えれば、一つしかなかった。一般電話回線の完全光ファイバ化だ。が、どこかに金を捨てて莫大な借金を築き上げた大罪人は、非難を浴びないうちにこの世からトンズラを決めこみ、まんまと逃げおおせた。
かくのごとく、この世は平気で間違っている。マルチとオブチ。どことなく似ている。
1億総無責任体制はすでに完成しつつある。
つまり何が言いたいかというと、私は責任はとらないという、それだけのことなのだが。
まだ午前0時半だが、あまりにも腹立たしい出来事があったので日記の筆をとった。
17日の日記に書いた、「王女と女魔術師のでたらめ道中物」をモバイルギアIIとATOK
Pocketで書いていたときのことだ。「人夫」という単語を出そうとしたが出てこない。どこかの辞書かなにかに差別語として載っているせいだろうと見当をつけた私は、「資本主義に巣食うデジタルファシストどもめ、つけあがりやがって」と悪態をつきながら、「人夫」を単語登録しようとした。
すると、である。ATOK Pocketは、「単語に不適切な文字が含まれています」というエラーメッセージを返してきた。
「は?」
だ。もうそれだけしか思い浮かばなかった。「は?」だ「は?」。
いつから私は「不適切な文字」なるものを、徳島のソフトウェア会社ごときに指図されるようになったのか? 浮川某はじつは同志スターリンで、同志的な愛情をもってジャストシステムの同志とともにわれわれ人民を指導しており、私はそれを知らなかっただけなのか?
こういう場合、言うべき言葉はもはや一つしかない――「ぶっ殺す」だ。
もちろん私はギャングではなくプチブルなので殺さないが、それでも私の魂は殺意に満ち満ちている。ジャストシステムに三度アナテマ。
なお、Windows98標準のIME98およびWindows2000標準のIME2000では、このようなことは起こらない。
「いつか、重なりあう未来へ」の攻略本などを入手すべくアキバに出向いたところ、平野耕太の「コヨーテ」の2刷を見かけた。
一部業界では不良債権が大量発生して鼻から牛乳ロボがボロボロな感じでメートルが上がりまくっていることだろう(意味不明)。ちなみに私は「拝Hiテンション」を持っているので、すでに評価損を1万円は出している。いえーい。
Trident 9397とCA810のオンボードビデオの組み合わせでは、9397側をセカンダリモニタにすることができない。どうもドライバが対応していないらしい。CA810のオンボードビデオをSavage4にしても同じだし、Windows2000でも98でも同じだ。ドライバをIOデータ配布のものにすると起動時にハングする。が、IOデータのサイトには、9397をセカンダリモニタにできるというようなことが書いてある。うーむ。
WACOMのタブレットドライバ(Windows2000用)は、セカンダリモニタがプライマリモニタの左に来る場合には動作がおかしくなるような気がする。ただWindows2000では簡単にセカンダリモニタとプライマリモニタを入れ換えられるので、たいした問題ではないといえばそのとおりなのだが。
HalfDiskのインストーラは、HDDのシーク性能を詳しく調べている。逆順のtrack-to-trackのシークタイムや、シーク距離とシークタイムのプロット、プラッタを切り替えるだけのシークと実際にアームを動かすときのシークの違いなど、普段はなかなかお目にかかれない情報をとっている。この部分を独立させてシェアウェアにすれば、10万円は確実に回収できるのではないかと気がついた。
が、私はシェアウェアを憎悪しているのでやらない。しかしフリーウェアとして配布しても、HalfDiskの広告として有力な手段になる。ネットニュース(英語の)に投稿しても反応がない場合の、次の手はこれだ。
Trident 9397をWindows98で動作させることに成功した。
方法は、
1. IRQを完全に占有できるスロットを作ってそこに刺す
2.
どこかから拾ってきたドライバ(ファイル名はtrident_9397_w9x.exe、サイズは556032バイト)をインストールする
である。問題のあるドライバを配布しつづけるIOデータにアナテマ。
続いての問題は、PowerDVD2000がマルチモニタに対応していないのか、プライマリでないモニタで再生できないことである。Windows98ではプライマリのモニタはソフトでは変更できないので、非常に困る。そろそろ完全にWindows2000に移行しろという神のお告げか。
最近お茶会方面で、「歳のせいか、すっとこどっこいファンタジーが書けなくなった」という声を聞いた。それでは私が試してみようというわけで書いている。
すっとこどっこいファンタジーの王道をゆくべく、王女と女魔術師のでたらめ道中物にしてみた。貴族病からロリまでカバーする全天候型である。
Trident 9397は、Windows2000ではまともに動くようになった。IRQを完全に占有させるのがコツだ。が、同じハードでもWindows98では起動さえうまくいかない。ドライバが悪いにちがいないが、まともなドライバはどこにあるのか。リファレンスドライバはどこを探しても見当たらない。うーむ。
調べてみると、どうもLCD-D15T2はDFPではなく独自形式らしい。DFPへの変換ケーブルを売っている。しかも「アップグレードサービス」と称して期間限定の通信販売で、しかもその期間はもう1年ほど前のことらしい。うーむ。
マシンの完全無音化計画の一環として、液晶モニタ(デジタル接続)を手に入れた。CRTは起動が遅いので、24時間運転のメリットが著しく薄れてしまう。ちなみに型番は、IOデータのLCD-D15T2。
が、ビデオカード(Trident 9397)がろくに動かない。Windows98だとまるでダメ、2000だと少し動いてから固まる。どうやら、かなりマイルールでリソースを要求しているような気配がする。調べてみると、オンボードで使うように設計されたものをPCIカードに仕立てているらしい。
マイルール設計をする側と、それを無視する側と、どちらがより悪いのか。うーむ。
何気なく「電撃大王」というまんが誌を読んだら、百合を小ネタに使った作品が2つもあった。
もしかしたら今は1916年なのかもしれない。
「美しき獲物たちの学園」のエンディングを一つ見た。克巳と一緒にフランスに逃げる、というものだ(明日菜視点)。
後半からはエンディングまで、ずっとへこみっぱなしだった。攻略情報を見ると、後半の展開はもう一つあって、こちらでは明日菜が悪鬼のごとく逆襲するらしい。どうやらこちらが本筋か。
「美しき獲物たちの学園」を進めている。
後半は、前半ほどにはよくない。保守派のエロ小説を、メタな視点から模倣したような印象を受ける。模倣でも、ナチュラルな視点からであればまだそれなりに見られるけれど、メタな視点からだとどうにも居心地が悪い。
…と書いてから気がついたが、私のギャル理論研究とその実践も、「メタな視点だから居心地が悪い」と思っている人がいるかもしれない。うーむ。
以前から気になっていたエロゲー、「美しき獲物たちの学園」を手に入れた。まだ少ししかやっていないが、素晴らしい。
キャラがみな突拍子もないドレスを着ており、しかも端役に至るまで毎日着替える。そして、テニス部の主将にテニスで完勝する、万能の天才の超お嬢様。この上なにをか言わんや、だ。
ただ、克巳が余計だ。もし克巳のポジションにいるのが男装の麗人だったら、百点満点で140点くらいついただろう。画龍点睛を欠くとはまさにこのことである。
それにしても、エロゲー等の監禁シーンを見るたびに、「ちゃんと風呂に入れてやれよ」と思うのは私だけか。刑務所内で男が強姦される話でもなければ、マルキ・ド・サドばりの不潔愛好の話でもないのだから。
でじこといい、車のCMといい、目からビームを出すのが流行っているような気がする。おかげで「目からビーム」とは言いにくいご時世になってしまった。きゅう。
日本語14ドットフォント(アンチエイリアシングあり)を通常のアウトラインフォントから自動生成する方法を考えてみたところ、それほど難しくないことがわかった。かいつまんで言えば、
1.
幅と重要性の情報をつけてストロークを抽出する
2.
線がハーフトーンに埋もれないようにストロークをずらす
3.
線の数が多すぎる場合、重要性の低いストロークを無視する
この手の考えやすいことは、どこかで嫌というほど論文が書かれているにちがいないが、探すのが面倒くさいし実装するのはもっと面倒だ。うーむ。
HalfDiskへの理解を助けてくれると思われる記事があった。
が、ここで紹介されているCheetah X15の平均シークタイムの意味には、疑問がある。
当然のことながら、近くのトラックより遠くのトラックにシークするほうが時間がかかる。このCheetah
X15のプラッタ径は、普通の3.5インチHDDよりもかなり小さい。だから、平均シークタイムを単純に比較することには意味がない。アメリカを横断する飛行機よりも日本を横断する飛行機のほうが速い、というようなものだ。
プラッタ径が同じであれば、平均シークタイムはヘッドの移動性能の指標にはなる。が、ランダムアクセス性能を論じる場合には、記憶容量を考えに入れなければならない。もし、平均シークタイム7.0msで50GBのHDDと、平均シークタイム6.0msで10GBのHDDがあれば、実際にランダムアクセス性能が高いのはほぼ間違いなく前者である。同じ範囲をシークするためにヘッドが5倍の距離を移動しなければならないのだから、多少シークが速くても意味がない。
ただし、現在主流のファイルシステムには、フラグメンテーションを防ぐためにファイルをパーティション内にばらまくものがある(Linuxのext2、WindowsのNTFSなど)。この場合も、パーティションの記憶容量を同じにして比較すれば問題ないが、もしHDD全体を一つのパーティションにしていると、6.0msで10GBのHDDが優位になるかもしれない。
忙しい。きゅう。
Windows2000ではIntelliPointは不安定すぎてまともに動かないが、Windows98でもかなり不安定だということに今ごろ気がついた。
思うところあって、「月猫通り」を暗号帳にした裏ページを企画している。読みたいと思う読者諸氏は、今のうちから通販で「月猫通り」を手に入れておくことをお勧めする。
ジョージ・オーウェルの文芸評論集「鯨の腹のなかで」を読んだ。
扱われている作家はヘンリー・ミラー、ディケンズ、キプリング、ケストラー、スウィフトである。編者のテーマは「信念と芸術」といったところか。
スウィフト論(なお私は「ガリヴァー旅行記」を読んでいない)をみるかぎりでは、どうやら彼は、悪意をする作家(1998年11月1日の日記を参照)であるらしい。以前にも書いたように、悪意による作品は私の敵である。
が、このスウィフト論を読んで私は、スウィフトは私とよく似たところがある、と思わされた。信念という刃で問答無用に人を突き刺そうとする、その心性がよく似ている。
スウィフトは憎悪と怨恨に凝り固まり、私は先見性(過去の人間から見ればただの妄想である)が骨の髄まで染みついている。が、どちらもその信念を、新聞の社説のような言葉で説明することはない。憎悪と怨恨を社説のように書けば間抜けなだけだし、社説とは先見性を発揮する場ではなく読者を気持ちよくくすぐる装置である――と書けば説明がついているようだが、そうではない。がらくたで飾りたてた憎悪と怨恨によって書かれた社説など珍しくもないし、経営者とは社説のような言葉で投資家を気持ちよくくすぐりながら先見性を発揮するものだ。
信念という刃で問答無用に人を突き刺そうとするこの心性には、必然性がない。必然性がないので、なぜそうなるのかを説明することができない。だから、スウィフトと私は似ている、としか言いようがない。
人間的には最悪の信念であっても、それがきわめて強烈であり表現の力と結びついているので、「ガリヴァー旅行記」は偉大な芸術作品たりえている、とオーウェルは言う。だがスウィフトは、芸術などという価値観には一顧だにくれなかったにちがいない。己の信念が読者の心臓を刺し貫くかどうか、それだけが問題だったはずだ。
タイミングを見過たない観察力や、決定的な瞬間に駆けるための脚力や、確実に標的を仕留めるためのナイフ捌きを鍛える暗殺者のように、スウィフトは想像力や言葉を鍛えたのだろう。私がいまそうしているのと同じように。
ただ、私はスウィフトよりも恵まれている点が一つある。スウィフトの憎悪と怨恨は誇張された真実だったため、読者の心臓を刺し貫くかわりに、かゆいところをかくための孫の手として残ってしまった。もしスウィフトが地獄でこのありさまを見ているとしたら、自分の力不足に歯噛みしていることだろう。一方、私の先見性がもし妄想として終わるなら、ただ忘れ去られるだけなので、地獄で自分の力不足を悔いるはめには陥らずにすむ。ありがたいことだ。
ワンダースワンのソフト開発キットが出るという。調べてみると、ワンダースワンのCPUは80186互換の3MHzらしいとわかった。没。
CPUパワーの重要性がわかっていない馬鹿どもにアナテマ。
L作戦は現在、HalfDisk QandAの英訳を進めている。
私は英語が書けない。ちなみに漢字も書けないが、こちらはワープロのおかげでまったく問題ない。英語もいずれ人間以上に完全な自動翻訳ができるようになるのだろうが、そんなものの完成を待っていたら寿命がいくらあっても足りないので、怪しい中国人(丸いサングラスつき)のしゃべる日本語よりもさらに怪しい英語をちまちまと書き綴っている。
それにしても、今のうちに10億円で買い叩こうという慧眼の読者はいないものか。…と思ったが、HalfDiskが一番役に立つのはノートパソコンなので(HDDの回転数はそのまま消費電力になる)、ということは自動的にOSはWindowsで、ということはMSが無視すれば値打ちは半減するわけで(Windows2000の起動パーティションにHalfDisk… 大仕事だ)、HDDメーカにも無視されればさらにお値打ち半分なわけで(低回転低電力・高速シークのHDDがないとHalfDiskの真価は発揮できない)、こんな冒険的な話に今のうちから乗るのはよほどの勇者だろうと気がついた。
しかし10万円をすでにつぎこんだ私としては、たとえフリーUNIXのファイルシステムを実装してでもHalfDiskから金を引き出さなければならない。サーバ市場を食い荒らされてから吠え面かくなよビル、などと強がってみる。
スチュアート・ブランドの「メディアラボ」を読んだ。底本は1987年発行。
アンチエイリアシングされたフォント(この本では「ファジーフォント」と呼んでいる)は1971年に発明されたという。そして2000年の今日、Windows2000のシステムフォントはアンチエイリアシングされていない。
「形態は失敗に従う」という格言がある。今あるものが不都合なものだと認識されないかぎり、改良は受け入れられないという意味だ。アンチエイリアシングされていないフォントは不都合なものだと認識されず、そのためファジーフォントはいまだにシステム標準になっていない。
もし私がスターリンなら、アンチエイリアシングされていないフォントはQWERTYキーボードともども、労働者と農民の楽園から永久に追放してしまうだろう。既得権益にしがみつこうとする反動主義者はNKVDの同志に片付けてもらえばいい。
だがこの世にはスターリンはおらず、私たちの机に置かれたQWERTYキーボードは既得権益を強力に主張してやまない。
どんな投票も、どんな軍隊も、アンチエイリアシングされていないフォントやQWERTYキーボードを抹殺することはできないだろう。この世界が抱える根本的な欠陥のひとつを、これらの例は如実に示している。
「いつか、重なりあう未来へ」のリュイEDを見た。
萌えるの一語に尽きる。主人公がお姉様チックなので、萌え感がさらに50%アップ。
プレステの「いつか、重なりあう未来へ」のリュイが萌える。アイリスの1000倍くらい萌える(当派比)。
というわけで、ギャルの属性に「敬語」を加えることにした。あと半年で21世紀だというのに、「うぐぅ」だの「りゅん」だのと言ってる場合ではない。
HalfDiskのページを設けた。あとは公報活動だ。
今日のソ連:
谷畑良三の「クレムリンの赤い星をみつめて」、1996年12月発行。
冷戦後の本は、どんなにいい素材をもってきても面白くない。不安がなく、確信だけがある。冷戦中の本が、「ソ連が崩壊するという論は幻想だ」と言い切るときにも、「ソ連は必ず崩壊する」と断言するときにも、そこには不安がある。
不安のない100%の真実は、不安のある10%の真実に劣る。私も常に不安を持ちつづけてゆきたい。